〈英知の光源 希望の哲理に学ぶ〉 テーマ:地涌の菩薩2024年5月7日

 連載「英知の光源 希望の哲理に学ぶ」では、仏法理解を深めるための鍵となる教学用語や法理を解説。また、関連する池田先生の指導を掲載します。今回は「地涌の菩薩」をテーマに、創価学会員の使命について考察します。

池田先生の指導から

 今、世界中で学会員が、「我、地涌の菩薩なり」と立ち上がってくれています。地涌の勇者の舞が世界を包み、人々を希望の光で照らす時代になりました。創価学会によって、法華経に記された「地涌の菩薩」の絵巻が現実のものとなり、全地球に広がったと言えるのです。(中略)
 人は、「使命」を自覚した時に、自身の内奥の力を涌現させることができます。「使命」の道に生き抜く時に、あらゆる苦難を乗り越える、不退と忍辱の力が込み上げてきます。「使命」を果たし抜く人生は朗らかであり、爽やかです。一点の悔いもなく、突き抜けた青空のごとき王者の境涯に至ります。
 その「無上の使命」こそ、地涌の大願の人生です。地涌の生命を燃焼している人は、無上の幸福を築いているのです。(中略)
 広宣流布とは、人類の無明を打ち破り、宿命を転換しゆく偉大な未聞の精神闘争です。この大確信に胸を張り、威風堂々と進んでいきましょう。(2023年8月号「大白蓮華」〈世界を照らす太陽の仏法〉)

Q1:妙法弘通を担う使命――法華経では どのように説かれていますか?

 法華経では、法師品第10以降、“釈尊滅後の弘教を誰に託すのか”が大きなテーマになります。そのハイライトの一つが、従地涌出品第15で劇的に描かれる、地涌の菩薩の出現でしょう。
 まず、勧持品第13では、声聞らが、苦悩の渦巻く娑婆世界を避けて他の国土で弘通することを望んだのに対して、菩薩たちは苦難に耐えて弘教に励むことを誓願します。さらに、涌出品の冒頭で、十方世界(全宇宙)から集ってきた菩薩たちが、釈尊滅後に娑婆世界で妙法を弘めることを誓います。
 釈尊は、この菩薩たちに滅後の弘通を託すに違いない――そう誰もが思うような場面で、釈尊が放った一言は衝撃的でした。
 「止みね。善男子よ」(法華経451ページ)。あなたたちが法を護持する必要はない、と。
 そして釈尊は、“この娑婆世界にいる膨大な数の菩薩たちが、滅後の弘通を担うのだ”と宣言します。
 その時、震裂した大地から躍り出てきたのが、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩をリーダーとする、無数の地涌の菩薩たちです。それぞれが金色に輝く立派な姿で、六万恒河沙という数え切れないほどの眷属(仲間)を率いて涌出しました。
 会座にいた弥勒菩薩は思わず釈尊に問います。「これらの見たこともない大菩薩たちは、一体どこから来て、どのような因縁で集まったのでしょうか」
 この「弥勒の疑請」を受けて、釈尊が明かした由縁は、“実は久遠の昔から、これら地涌の菩薩たちを教化してきた”ということ。それは弥勒をはじめとする会座にいた聴衆にとって、非常に驚くべきことでした。

Q2:久遠の昔から教化してきたことが なぜ驚くべきことなのでしょうか。

 なぜなら、会座の人々はそれまで、“釈尊は今世において出家し、菩提樹の下で初めて覚りを開いた”と信じていたからです。この「始成正覚」の立場にあったからこそ、釈尊が覚りを開いてからのわずかな期間で、無量無数の大菩薩たちを教化してきたとは、到底、信じられなかったのです。
 浅い教えに執着している心が動揺し、疑いが生じる。この驚きを「動執生疑」といいます。
 “これまで師・釈尊が示した教えの真意は”“師の本当の境涯とは”――。疑念が深まる弟子を前に、釈尊は、さらに驚愕の真実を明かします。それが、涌出品に続く如来寿量品第16での説法です。
 “私は久遠の昔に成仏して以来、常に娑婆世界で人々を教化してきたのだ”。いわば、「久遠実成」の不可思議な姿をもって、仏の生命が永遠常住であることを明かしたのです。この久遠の仏とともに、衆生救済に戦い抜いてきたのが地涌の菩薩です。
 寿量品の最後で釈尊は、“常に、そして永遠に人々を救っていきたい”という、久遠の仏としての願いを示しました。この慈悲の大願について、日蓮大聖人は「『毎自作是念』の悲願」(新516・全466)と仰せになっています。
 御聖訓には、地涌の菩薩について「この菩薩は本法所持の人なり。本法とは、南無妙法蓮華経なり」(新1047・全751)とあります。
 まさに、法華経本門の肝心たる本源の法、すなわち妙法を持ち、末法の万人救済という、久遠の仏の大願をわが誓いとして出現した本門の真正の弟子こそ、地涌の菩薩なのです。

Q3:久遠の昔から仏の真正の弟子として 戦い続けてきたのですね。

 日蓮大聖人が「よくよく心を鍛えられた菩薩なのであろう」(新1608・全1186、通解)と仰せのように、地涌の菩薩は、はるか久遠の昔から妙法を修行して鍛え抜かれているからこそ、悪世での大難に打ち勝ち、妙法を弘通していけるのです。
 涌出品では、地涌の菩薩の英姿をこう示します。「志念は堅固」(法華経459ページ)、「難問答に巧み」「其の心に畏るる所無く」「忍辱の心は決定」(同472ページ)――固い決意を貫く人であり、智慧と確信あふれる対話の達人であり、恐れなき勇気と、不屈の忍耐力がある人である、と。
 とりわけ、苦悩が渦巻く現実社会の中で妙法を弘め、人々を救う清らかな姿は「蓮華の水に在るが如し」(同471ページ)と、泥水にあっても泥に染まらず麗しく咲く、蓮華に象徴しています。
 法華経に示された誉れの姿さながらに、末法広布の地涌の使命に生き抜いているのが、私たち創価学会員です。
 「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」(新1790・全1359)と師子吼された大聖人に直結し、人類救済に立ち上がった創価三代の師弟に続いて、日本中、世界中で妙法を語り広げてきた創価の連帯こそ、仏意仏勅の地涌の教団にほかなりません。
 御聖訓には「『大願』とは、法華弘通なり」(新1027・全736)とあります。広宣流布こそ、末法の御本仏・日蓮大聖人の大願です。それはまた、創価の師弟の大誓願でもあります。
 地涌の菩薩――それは、師の誓いをわが誓いとし、最も大変な時代・社会で妙法を弘め、苦難にあえぐ人々に真の幸福を築く力を開かせるという、無上の使命に生きる勇者の異名なのです。