〈One and Only~かけがえのない命~ 信仰体験〉47 あっちゃんのこいのぼり2024年5月6日

  • 信じてくれる人がいて自由になれた
  • 平凡な暮らしの毎日に幸せがある

“あっちゃんのこいのぼり”と晴れ渡る“常勝の空”

“あっちゃんのこいのぼり”と晴れ渡る“常勝の空”

 大阪市港区の道田ハル子さん(81)=支部副女性部長=にとって、週末は大切な時間です。金曜日の午後4時、長男・篤史さん(53)=壮年部員=が家に帰ってきます。3年前から、平日はグループホームで、週末は自宅で過ごす生活です。知的障がいを伴う自閉スペクトラム症がある篤史さんには、決まったリズムがあります。帰宅すると洗濯物を取り入れて、風呂に入って。熱中しているのは、とある物作り。“空”にまつわる親子を紹介します。

行きつけの生地店で。道田ハル子さん㊨が、真剣なまなざしの篤史さんと

行きつけの生地店で。道田ハル子さん㊨が、真剣なまなざしの篤史さんと

 4月の空が澄み渡る午後、親子で“仕入れ”に出かけた。通る道も立ち寄る場所も、篤史さんのルールがある。息子の赴くまま、母は手押し車でついて歩く。
 着いたのは生地店。篤史さんが白い生地の手触りを確認する。選んだ後は、ペンを買いに行った。こうして30年近く、こいのぼりを一から作っている。
 帰り道、ふいに篤史さんが立ち止まった。空を見上げると、春の風に旗がなびいている。昔から大好きな光景だ。

何度もうろこに色を塗り重ねる

何度もうろこに色を塗り重ねる

 自宅に戻ると、篤史さんは生地にハサミを入れていく。鉛筆で型を取り、うろこも下書き。「こいちゃん、こいちゃん」。そう言いながら、次はペンで色塗りを。ひれを縫い合わせ、口の部分には針金を通し、立体的に。これまで300匹ほどの“鯉”に、命を吹き込んできた。
 月曜日の朝になると、篤史さんは「母ちゃん、金曜日、カレー」と、好物を頼んでから作業所へ出発。そんな息子との日常に、ハル子さんは喜びをかみ締める。

ハル子さんの晴れやかな笑顔

ハル子さんの晴れやかな笑顔

 ――みじめな気持ちに縛られた前半生だった。病弱な父と鉄工所で働く母のもと、爪に火をともすような生活。ハル子さんは幼い弟たちに手料理を食べさせ、寝息を聞くまでが役目だった。中学校卒業後に縫製工場で働いた。住み込みで5年間。同世代の姿を見ると、劣等感が湧く。自分は何もかも楽しくない。「隠れるように生きた」
 23歳で結婚。夫はアルミサッシの職人だった。経済苦と縁が切れた。幸せがやって来る。そう思った。

花が好きなハル子さん。路傍の花にも「小さな幸せを感じます」と

花が好きなハル子さん。路傍の花にも「小さな幸せを感じます」と

 篤史さんが生まれ、思い悩んだ。多動で落ち着きがなく、言葉も出ない。自閉スペクトラム症だった。
 見境なく家でも外でも走り回り、他人の家にも入り込む。団地暮らしで、周囲に疎まれた。他の親子が、うらやましかった。
 「家の外で、見られたくない。人に迷惑をかけたくなくて、ふさぎ込みました」
 息子の覚えた言葉というと、風になびく様子が好きで「ハタ、ハタ」だけ。「できないことばかりに目がいって、母親として現実を受け止められなかった」

道田さん親子が長年ともに歩む同志と

道田さん親子が長年ともに歩む同志と

 創価学会への入会は、1978年(昭和53年)4月。「苦労の悩みのてっぺんにいる心が変わるんやで。迷ってないで信心するんや」。その言葉に背中を押された。
 これまで冷ややかな目で何度も見られてきた。それが「道田さんとこの子どもかいな! 元気やな!」。優しいまなざし、温かい声かけ。同志の接し方に心が和んだ。
 同じ年の7月、関西の歌「常勝の空」が誕生する。同志の歓喜に触れた。

 自分の胸の内はというと、空を仰ぎ、景色を楽しむ余裕もない。「どんな人にも使命があるんやで」。先輩の確信を感じたくて、学会活動に励んだ。
 ある日のこと。小学生の篤史さんと一緒に出かけた帰りの電車で、聖教新聞を読む女性を見かけた。降りる駅が同じで、思わず声をかけた。学会員だった。篤史さんを見て何かを感じた様子。話し込むと、同じ自閉スペクトラム症の子どもを育て、その子も今は働いていると教えてくれた。

親子での買い物前に、自宅の団地で。カメラを見ると、篤史さんは必ずピースサインを

親子での買い物前に、自宅の団地で。カメラを見ると、篤史さんは必ずピースサインを

 「お母さん、頑張りや」「僕も、偉いね」
 同じ境遇の友の言葉は素朴であっても、胸に響いた。
 それからは、いつも親子で学会活動へ、対話へ。夫も活動に励み、団地では自治会長に。息子を理解してもらおうと、信頼を広げた。学会の庭でも、地域でも「あっちゃん」の存在がよく知られていった。
 篤史さんの多動傾向は落ち着いていき、20代半ばのある日。突然、こいのぼりを作り始める。

糸で縫い合わせ、目には金や銀の紙をつける

糸で縫い合わせ、目には金や銀の紙をつける

 驚く親に目もくれず、楽しそうに何時間も没頭した。
 男子部では、篤史さんは先輩と共に会合に参加した。皆が親しみを感じ、応援団となってくれた。
 ハル子さんは83年から、婦人部(当時)の合唱団に所属した。関西戸田記念講堂で舞台に立った時、胸に迫ったのは「やっぱり『常勝の空』」。「君と我」の縁を、「久遠より」とうたう心に涙し、池田先生をそばに感じた。

色を塗るためのペンがたくさん

色を塗るためのペンがたくさん

 会場の一番後ろで、篤史さんが見ていた。会合が終わると、真っ先に抱き締めた。
 障がいは、不自由で、みじめな気持ちの原因だと思ってきた。違った。「自分の心が不自由になっていた」。“なんで”と嘆く心を制し、誰もが持つ仏性をたたえる。その生き方を学会の中で培った。
 今、篤史さんは作業所で働いている。話すことや文字を書くことが苦手でも、手作業は得意。こいのぼりも評判になった。

そよぐ風に、自由に泳ぐこいのぼり

そよぐ風に、自由に泳ぐこいのぼり

 夫が先立ってから、ハル子さんは老後に備え、篤史さんの居場所について祈ってきた。生活を切り詰め、資金をためた。3年前、篤史さんは50歳を機に、グループホームに入った。
 ハル子さんは、平日は1人暮らし。団地の5階は、体にこたえる。だけど環境の変化が苦手な息子を思い、転居はしない。散歩に活動に、友人とのおしゃべり。今、楽しいと感じるのは「普通に暮らしていけること」。

散歩しながら潮風に吹かれて

散歩しながら潮風に吹かれて

 池田先生の言葉のままに、心の景色は晴れ渡っている。
 「平凡にして 地味な 信仰の道の彼方に 幸の頂上がある」
 関西総会として開催された先月の本部幹部会の中継行事。「ほら、先生やで」。篤史さんに呼びかけると、にこっと笑った。鍵盤をたたく先生をじっと見ていた。
 篤史さんが作るこいのぼりは、福祉の視察で作業所を訪れた外国人が気に入り、海を渡った。

“あっちゃんのこいのぼり”が泳ぐ商店街へ

“あっちゃんのこいのぼり”が泳ぐ商店街へ

 施設にも贈られ、重度の障がいがある子どもたちも笑顔にした。
 大阪市内のある商店街では、100匹のこいのぼりが飾られている。大半が“あっちゃんのこいのぼり”。一匹ごとに、柄も、形も違う。ほつれた糸もご愛嬌。色とりどりの個性を光らせながら、そよぐ風に、気の向くままに――。この春も、大きな空を泳いでいる。

“あっちゃんのこいのぼり”が道田ハル子さん㊧、長男・篤史さんの手で青空を泳ぐ

“あっちゃんのこいのぼり”が道田ハル子さん㊧、長男・篤史さんの手で青空を泳ぐ

 道田ハル子さん 1943年(昭和18年)生まれ、78年入会。団地で50年間暮らし、信心を胸に信頼を集めてきた。「『池田先生』って名前を言うだけで涙が出てきますわ」。篤史さんのこいのぼり作りを見守り、支えてきた。

 道田篤史さん 1970年(昭和45年)生まれ、78年入会。こいのぼりが大好きで作り続ける。大阪市内の商店街に購入され、去年の春から飾られるように。一人で電車を乗り継ぎ、作業所に通う。料理もこなし、うどんが得意。

中央の大きなこいのぼりも篤史さん手作り

中央の大きなこいのぼりも篤史さん手作り

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