〈世界の体験〉 アメリカ最大の音楽協会元理事長2024年5月3日
アメリカSGI
ウィリー・マックさん
1枚の写真がある。
そこに写るのは、サックスを吹くウィリー・マックさんと、池田先生。
先生はマックさんに合わせて、サックスを奏でるしぐさを。1996年6月、アメリカ・ニューヨークで、マックさんらが真心の演奏で先生を迎えた時のひとこまだ。
「私の人生は、先生あってこそ。先生との出会いを胸に、広布のために全力投球しています」
現在、92歳。
アメリカSGI・キーストーン支部で現役の支部長を務めるマックさんは、この写真を額に入れ、今も大切にしている。
師とほぼ同じ時代を生きたマックさんは、サウスカロライナ州ダーリントンの出身。「誰もが何かの楽器を演奏しているような町」で生まれ育ち、幼い頃から自然と楽器を手に取っていた。
小学生の時、ニューヨークのハーレムへ。ジャズの本場で、多くの音楽家と出会う機会があった。オーケストラの一員として、音楽の殿堂カーネギーホールで演奏する機会にも恵まれ、自然と音楽を志し、ビッグドリームに思いをはせたが、事は進まなかった。
うまくいかない日々が続いていた73年、ニューヨークのレストランで同じサックスを奏でる仲間から、仏法の話を聞いた。
言われるがままに題目を唱えると、とてもすがすがしい気分になった。
しばらくしてから、友人の前で吹いてみると、演奏の変化を指摘された。
「音が良くなってるね。何をしたの?」
信仰の力を実感し、翌74年、SGIに入会。御本尊を受持した。
人生の暗闇からの出発
生涯の原点となる出会いが訪れたのは、入会から7年後のことだった。
81年6月、マックさんはニューヨークを訪問した池田先生を歓迎する演奏メンバーの一人に選ばれたのだ。曲目は「オーバー・ザ・レインボー」。
マックさんたちが演奏を終えると、先生はピアノを弾いてくれた。その後、先生は、通訳と共にマックさんの前に歩み寄り、彼の手を握りながら言った。
“私と一緒に広宣流布のために戦いましょう”“世界平和のために、私と一緒に戦ってください”
「はい!」
気付けば、涙がとめどもなく流れていた。師と心で繋がった。
「当時、妻のメアリー、2人の幼い子と暮らしていましたが、私の収入は不安定。小さな賃貸アパートに身を潜めるように住んでいたんです。まるで暗闇にいるような状態でした。しかし先生との出会いを果たしてから、私の悩みなど、急に小さなものに思えてきたんです。そして誓いました。全人類から悲惨を取り除き、幸福を広げるという師の夢を実現する、と」
地元キーストーン支部の友と(最後列左から2人目がマックさん)
この出会いの直後、先生は長編詩「我が愛するアメリカの地涌の若人に贈る」を発表した。マックさんもまた、この詩を心に刻み、前進の糧とした。
祈る中で、マックさんは教育の世界で勝負しようと決めた。
「母親も教員でした。私も同じ道で師恩に報いようと思ったのです」
最初は私立の小学校に勤務し、のちにニューヨークの公立小学校に赴任。受け持ったのは、授業についていけない児童たちの補習授業だった。
マックさんは朝晩の強き祈りを重ねながら、全身全霊で子どもたちと関わり、彼らの創造性を引き出そうと努力を続けた。共に歌い、楽器を演奏した。
時にはオーケストラを結成し、イベントにも出演。どこまでも一人の可能性を信じ抜いた結果、彼が教えた児童たちの授業態度は良くなり、成績も向上した。
豊かな“文化の華”を
教員としての使命を全うしながら、マックさんはもう一つの使命を担っていた。それは、「ニューアムステルダム音楽協会(NAMA)」の理事長としての役目である。
同協会はアフリカ系アメリカ人のためのジャズ団体として1900年代初頭に創立。全米最大の規模と最古の歴史を持ち、多くの有名アーティストを輩出してきた、由緒ある団体だ。
「実は昔、協会でレッスンを受けさせてもらっていたんです。その恩返しと思って、役職を引き受けました」
マックさんは子どもたちに無料のレッスンを開講し、10年以上にわたって、後進の指導に尽力。協会の発展に大きく寄与した。その結果、ニューヨーク市から「パブリック・アドボケート賞」が贈られている。
マックさんが理事長を務めたニューアムステルダム音楽協会のコンサート
師匠との原点を片時も忘れることなく、実証を示してきたマックさんが今も暗唱する長編詩の一節がある。
「君達よ!/世界をば/花園の安穏にリードしていく/責務ある妙法の戦士達よ!/声高らかに妙法を唱えながら/そして社会の大地に/足を踏まえながら/根を張りながら/花を咲かせながら/あの人のために/この人のために/あの町の人のために/あの遥かなる友のために/走り語り訴えつづけていくのだ」
広布への情熱を燃やし続け、青年の心で進むマックさんに限界はない。
「最も重要な時は今だと思っています。先生が目指された人間主義の“文化の華”を咲かせるため、これからも音楽の発展に貢献するとともに、人に会い、励ましを送り続けていきます。それが師匠から託された私の使命ですから」
取材協力 アメリカ/「World Tribune」紙
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