〈教育〉 アメリカのインクルーシブ教育2024年4月25日

  • 障がいのある子と共に学び、共に生きる社会へ

ジャーナリスト 田代友子・マーカスさんに聞く

 国籍や人種、障がいのあるなしにかかわらず、全ての子どもたちが公平に学べる教育を「インクルーシブ教育」といいます。「SDGs」の目標の一つにも掲げられています。インクルーシブ教育の利点や課題について、アメリカ在住ジャーナリストの田代友子・マーカスさんに聞きました。

表情の変化が気になった

 ――日本では一部の学校で、障がいのある子が通常のクラスで障がいのない子と一緒に学ぶ取り組みをしています。この試みはインクルーシブ教育ともいわれますが、専門教員の不足や教材、設備などの面で多くの課題があります。アメリカでのインクルーシブ教育の取り組みについて教えてください。
  
 インクルーシブ教育は、アメリカで1970年代からその理念と実践が広まりました。現在は法律も整備され、障がいのある子どもが通常学級で障がいのない子と共に学習できる制度のことを指します。全面的、部分的など、取り組みの違いはあるものの、全米公立学校の50%以上がインクルーシブ教育を実施しています。
  
 ――障がいのある子どもの教育に関心を持ったきっかけは?
  
 私はアメリカで2人の娘を出産しました。次女(現在24歳)には幼い頃から言語・知的能力などの障がいがあります。そのため、居住地域(ネバダ州)の公立学校区の体制に従い、専門教員のいる障がい児だけのクラスへ通いました。ところが、半年もしないうち、私はその隔離された教室での教育内容に疑問を抱き始めました。
 母親として最初に気付いた娘の変化は、顔の表情です。学校での一日を終えて帰ってくる娘の瞳に輝きはなく、表情が乏しくなっていきました。周囲は、知的障がいがあれば、そのような顔つきなのだろうと思ったかもしれません。しかし、娘を知る私にとって、その表情の変化は憂慮すべき点でした。実際に、授業を見学させてもらい、教員に私の懸念を話しましたが、疑問は拭えませんでした。
 障がいのある子の、個々に必要な学習法はさまざまなはずですが、州および学校によってサポート体制に限界があり、ネバダ州では具体的に実施できない環境にありました。児童数にかかわらず、1カ所に集めて教育するために、教育内容をひとくくりで進めざるを得ない面もありました。また、障がいがあることを前提として集められた場(教室)では、教員はじめ周囲の人の、子どもに対する期待値が下がるようにも感じました。できなくても仕方ないのだからと目標設定も低くなってしまいがちだと。

ごく自然に接する生徒たち

 ――幼い子は知識が少なく、自分一人では、自分に合う学校選びはできません。親が最善の教育環境を探すことは大切なことです。
  
 誤解のないように申し上げますが、個々の家庭がどういう考え方の教育を選択するかは全く自由であり、尊重されるべきです。
 私の場合は、娘に合う教育環境を探し求めていた頃に、北アリゾナ大学の教育学部でインクルーシブ教育の法律、理念、実践法を教えていた教授と知り合いました。
 興味を持ち、アメリカ各州のインクルーシブ教育の実情を調べました。全米各地で開催される障がい者教育の会議や、教員のインクルーシブ教育実践の研修会等にも積極的に参加しました。近年の教育現場で多く導入されるテクノロジーも含め、最新の実践法が紹介され、教室運営の在り方なども含め、議論されていました。
 知識を得る中で、障がいのある娘をインクルーシブ教育制度の中で育てたいと強く思うようになったのです。アリゾナ州で長年インクルーシブ教育を実践している公立学校を知り、悩んだ末、長女の高校卒業を機に、次女と2人(夫の協力も得て)で移住。次女はその教育学校区で、11歳から計9年間(中・高校、大学)を通常学級で学びました。
  
 ――インクルーシブ教育環境では、どのような学びがありましたか。
  
 できる能力に目を向け、自ら進んで努力する姿勢が身に付きました。毎年、学力と社会性など分野ごとに目標が細かく設定され、個別の教育プランが作成されます。そこには、通常教室での学習に必要な学校と教員側の総合的で具体的なサポート実践内容も併記され、娘は諦めずに挑戦できる環境を手にし、成長することができました。
 娘の成長だけではなく、印象的だったのは障がいのない生徒たちの姿です。クラスに1人か2人、障がいのある生徒がいる環境での学びは、幼い頃から慣れ親しんできたものでした。そのため、ごく自然に障がいのある子たちに接するのです。
 その中学・高校は、ともに全米、州内でも学業の成績優秀校。娘は友達ができ、表情ははつらつとし、積極性も出てきました。高校卒業前に、教員と生徒からの推薦で毎年10人ほど顕著な成績を修めた生徒が選出されるのですが、娘はその1人に選ばれました。努力・進歩の姿が周囲に感銘を与えたことがその理由でした。
 娘は現在、新聞社でデータベースを管理する仕事に就いています。中学・高校で、タブレットなどが適切な学習補助ツールだと認定されていたため、コンピューター操作に慣れ、その力を伸ばしてきました。
 インクルーシブ教育は、単なる理念や理想ではありません。それは、互いに排除することも、されることもない社会の実現に欠かせない教育の視点を提供するものです。また、全ての子どもの可能性を引き出す実践方法を示すものです。これが社会全体にもたらす利点は、想像以上に大きいものだと思います。

 たしろ・ともこ・まーかす 1957年生まれ。東京都出身。1981年アメリカ留学の後、フリーライター、翻訳業などに従事。1990年、結婚を機に米国へ移住。ネバダ大学日本語講師。2女の母。次女に言語・知的能力の障がいがあり、インクルーシブ教育を推進する学校で学ばせる。障がい児教育に強い関心を持ち、障がいのある子とない子が共に学ぶ環境づくりに向け、メディア等で発信を続ける。