〈TOHOKUユース・ミーティング――私たちがつくる明日〉 シンガー・ソングライター 普天間かおりさん2024年4月24日

  • 復興への歩みを歌で支えたい

 各界で活躍する東北ゆかりの著名人と東北青年部が、希望の明日を開くために必要な「東北のチカラ」について語り合う企画「TOHOKUユース・ミーティング――私たちがつくる明日」。今回は、福島でラジオパーソナリティーを務めるシンガー・ソングライターの普天間かおりさんとの語らいを掲載する。

“第二の故郷”

澤田舞子福島第一総県女子未来部長

澤田舞子福島第一総県女子未来部長

 〈澤田舞子福島第一総県女子未来部長〉 普天間さんは2001年から、ラジオ福島のパーソナリティーを担当し、福島のホットな話題を発信してこられました。沖縄出身の普天間さんにとって、福島にはどんな魅力があると感じていますか。
 
 〈普天間かおりさん〉 福島の四季折々の自然、豊かな食文化はもちろんですが、「人の温かさ」が一番の魅力だと思います。ラジオ福島のレギュラー番組を23年間持たせていただき、リスナーの皆さんと心を通わす中で、そう感じました。
 福島の野菜の話題で盛り上がった時には、福島市内に住む農家のリスナーさんが、「うちの野菜は美味しいよ」と、朝採れのキュウリを生放送中に持って来てくださいました。みずみずしい桃を届けてくださった方もいます。
 まるで家族や親戚のように温かく接してくださるリスナーさんに、私の地元・沖縄の人の優しさに共通するものがあると感じました。今では福島は私にとって“第二の故郷”です。

曽根周作総福島青年部長

曽根周作総福島青年部長

 〈曽根周作総福島青年部長〉 心温まるエピソードですね。2011年3月11日に東日本大震災が起きた時も普天間さんはラジオ福島で生放送をされていました。
 
 〈普天間〉 ラジオ福島の男性アナウンサーと一緒に、地元の旬な話題をお届けしていました。地震が起きたのは、放送終了まで残り15分という時です。
 すぐに収まるかなと思った揺れは、どんどん激しくなって、スタジオ内の機材もガタガタと揺れ、その音をマイクが拾うほどでした。「ゴゴゴゴゴ」という地鳴りのような音も聞こえて、血の気が引いたのを覚えています。
 番組はすぐに災害情報の発信に切り替わりました。ほどなくして大津波警報が発令。被害状況を伝えるとともに高台への避難を必死に呼びかけました。あの時、スタジオのモニターで見た、津波が町をのみ込む恐怖は忘れられません。

福島市にあるラジオ福島の本社

福島市にあるラジオ福島の本社

放送中にともる「ON AIR」の光

放送中にともる「ON AIR」の光

 〈曽根〉 生放送の後、自宅のある東京には帰れず、福島で避難生活を送られたそうですね。
 
 〈普天間〉 ホテルでは「安全を保証できない」との理由で宿泊を断られ、知人宅にお世話になりました。どこのコンビニやスーパーマーケットに行っても、すでに食料や飲料水は売り切れて手に入らない状況で途方に暮れていた時、知人から「東京から来てこんなに不安なことはないでしょう。私たちはご近所で助け合えるから大丈夫ですよ」と、食べ物を譲ってもらった時は、心から感謝しました。
 この知人をはじめ、多くの方々の善意に支えられて生活することができ、数日後に飛行機で帰京しました。“ご自身が被災しているにもかかわらず、なぜ福島の人はこんなにも温かいんだろう”と機内で涙したことは、今も鮮明に覚えています。この時、福島のために私にできることを全力でやろうと誓いました。

音楽が持つ可能性

 〈澤田〉 震災が起きた当時、私は東京・八王子市の創価女子短期大学を卒業する直前でした。福島に住む両親の意向もあり、卒業後、しばらくは地元に戻らず、東京で仕事をしていました。両親は元気でいてくれていたものの、日々のニュース等で目にする故郷の状況に、心配で仕方がなくなり、やり場のない悲しみで心は沈んでいました。
 そんな時、私の支えになったのは、池田先生が「春を告げよう!/新生の春を告げよう!」との書き出しで、東北の友への励ましをつづってくださった小説『新・人間革命』「福光」の章の新聞連載です。先生の温かな心に触れて、私の気持ちも少しずつ前向きに変わっていき、“福島の人たちのために、自分にできる復興の一歩を”と決意しました。
 
 〈普天間〉 私も福島のことが頭から離れず、「Smile Again」という曲を祈るような思いで書き上げて、ラジオ福島に送りました。帰京して10日もたっていない頃だったので、被災地ではまだライフラインが整っていません。
 被災された方々は毎日を生きるのに精いっぱいで、音楽を聴ける状況にないかもしれないとも思いましたが、何もしないではいられませんでした。
 
 〈曽根〉 普天間さんは、震災から1カ月もたたないうちに、福島の避難所で支援ボランティアをされていますね。
 
 〈普天間〉 震災の翌月にはラジオ番組が再開し、また福島に通うようになりました。4月7日から3日間、4カ所の避難所で炊き出しボランティアをしながら、合間で歌を歌わせていただきました。
 4月といっても福島はまだまだ寒く、底冷えする避難所の体育館でダンボールや毛布を使って暖を取る被災者の様子に、胸が締め付けられました。“この状況で歌なんか歌っていいのだろうか”と思いながらも、一人でも元気になってもらえればと、勇気を振り絞って歌いました。
 歌い終わった時、一人の男性が立ち上がって、「来てくれてありがとう!」と、あふれる涙をぬぐいながら言ってくれました。会場を後にするまで、多くの方が泣きながら「私たち、頑張るからね」と次から次へと声をかけてくださったんです。“真心は届くんだ”と、教えてもらう思いでした。
 
 〈澤田〉 音楽や歌には、言葉では言い尽くせない特別な力がありますね。
 
 〈普天間〉 その通りです。音楽それ自体は、お一人お一人が抱える課題を解決できるわけではないけれど、頑張る人を応援することはできます。「泣きたい時に泣いてもいいよ」と寄り添い、心をほんの少し開くためのお手伝いはできると思うんです。温かく迎えてくださる福島の方々のために、歌い続けていこうと決めました。

ラジオの生放送中の普天間さん。番組に寄せられる手紙やメッセージを紹介しては、リスナーと心の交流を結ぶ

ラジオの生放送中の普天間さん。番組に寄せられる手紙やメッセージを紹介しては、リスナーと心の交流を結ぶ

思いを寄せる力

 〈曽根〉 私たち東北創価学会の同志にも、大切にしている「青葉の誓い」という歌があります。
 その歌詞には「ああ東北の 功徳の山々よ」とあり、震災後に池田先生は「健気な東北の友の『心の財』が積まれた『功徳の山々』は、絶対に壊されない」とつづり、私たちを励ましてくださったことを思い起こしました。
 普天間さんは、福島第1原発事故で全域に避難指示が出された富岡町の応援歌「桜舞う町で」もつくっておられますね。
 
 〈普天間〉 震災から2年がたった頃に、富岡町出身の方からラジオ番組に寄せられた手紙が、楽曲制作のきっかけとなりました。そこには、“町民が各地にバラバラになって、いつ故郷に戻れるかも分からない状況だからこそ、せめて皆で富岡を感じられる歌がほしい”との思いがつづられていました。
 制作に当たって、“歌詞に入れたい言葉は?”といったアンケートを取らせてもらいました。すると、ほとんどの方から、富岡が誇る桜の名所「夜の森」を入れてほしいとの回答があったんです。それで桜の歌を書こうと決めました。

東日本大震災の際、ラジオ生放送を行っていたスタジオで「桜舞う町で」を歌う普天間さん(本年3月、ラジオ福島で)

東日本大震災の際、ラジオ生放送を行っていたスタジオで「桜舞う町で」を歌う普天間さん(本年3月、ラジオ福島で)

5:22普天間さんが「桜舞う町で」を歌う動画を視聴できます

 〈澤田〉 故郷を愛しく思う気持ちが、伝わってくる素敵な歌ですよね。
 
 〈普天間〉 ありがとうございます。「広がる青空 ふるさとへ続いてる」との歌詞は、青空の下では私たちはつながっていることを伝えたいと思って書きました。町民の思いを注ぎ込んだこの歌が、皆さんが前を向き、復興への歩みを進める一助になってくれれば、これほどうれしいことはありません。
 
 〈曽根〉 富岡町では現在、一部を除いて避難指示も解除されました。今月初めに行われた「夜の森桜まつり」でも、普天間さんはこの歌を披露されていましたね。この歌が誕生して10年以上。歌に込められた思いや復興を願い続ける心は、今も福島の希望をつくる力になっていると確信します。

ラジオ福島のスタジオで普天間さん㊨が、曽根総福島青年部長㊧、澤田福島第一総県女子未来部長と

ラジオ福島のスタジオで普天間さん㊨が、曽根総福島青年部長㊧、澤田福島第一総県女子未来部長と

 〈普天間〉 私はこれまで福島の人の温かさに何度も触れてきました。その奥にあるものは何だろうと考えた時、「苦しむ人の気持ちをくみ、思いを寄せる力」なのだと思いました。
 震災に遭った時、私が困っている状況を察して、多くの方が支えてくださいました。本年元日に能登半島地震が発生した際には、ラジオ福島の番組に、能登の被災者のお体を心配する声や、一日も早い復旧・復興を願う声がたくさん寄せられました。
 人の苦しみやつらさに寄り添おうとする福島や東北の方々の真心がつながっていく中で、希望の社会が築かれていくのだと私は信じています。
 
 〈澤田〉 お話を伺い、相手の思いに共感する心、寄り添う心を受け継ぎ、育んでいくことが大切だと感じました。私たちも自分の今いる場所で目の前の一人と心を通わせ、励ましのネットワークを広げていきます。
  
  

 ふてんま・かおり 沖縄県中城村出身。2002年にメジャーデビュー。NHK金曜時代劇「蝉しぐれ」の主題歌「遥かな愛…」をはじめ、「守りたいもの」などヒット曲多数。2001年から現在に至るまでラジオ福島で番組パーソナリティーを務めるほか、福島の「しゃくなげ大使」、北塩原村が委嘱する「裏磐梯観光大使」などを務める。
  
  

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