【新連載】つなぐ――聖教電子版の魅力をルポします2024年4月20日

 きょう4月20日は本紙の創刊記念日です。創刊から73年、読者の皆さまに支えていただき、発展の歴史を刻むことができました。新連載「つなぐ――聖教電子版の可能性」では、聖教電子版の魅力を、読者の皆さまの活用の姿とともに、紹介していきます。初回は、今日に至る聖教電子版の歩みを、“震災と電子版”の観点から振り返ります。

 聖教新聞が公式ウェブサイトSEIKYOnetを開設したのは、2006年11月18日。5年後の2011年5月3日には、SEIKYO onlineに名称変更した。その直前に起こったのが、3月11日の東日本大震災だった。
 配達網は寸断。震災の被害により、3月16日からは、紙面を12ページから8ページに一時的に変更する、特別編集紙面で発行を継続した。
 
 前後して、震災翌日の3月12日、青森県の本紙配達員から、一通のメールが本社に届いた。「現在も多くの地域で停電しています。わが家は太陽光発電でかろうじて晴れている間はパソコンが使えています。時間がかかっても新聞が来るのであれば配達しなければならないと思っているのですが、地元の販売店とは連絡が取れないのでメールしてみました」
 
 このメールを見た時の思いを、社内関係者は語る。「ご自身も被災され、筆舌に尽くせぬほど大変な中で、使命感に突き動かされ、声を寄せてくださる。紙面の配送はすぐには復旧できない。ならば、インターネットで何か届けられないか。いや、絶対に何かしなければならないという決意を、関係者一同、深くしました」

 東日本大震災の発生当日から、当時のホームページ制作担当者は、毎日、震災に関する本紙の記事を手で打ち、インターネット上で公開した。スマートフォンの普及率も今ほど高くなかったため、パソコン閲覧用と“ガラケー”閲覧用を別々に、地道に作業を進めた。
 そして、2011年3月16日、本紙に池田大作先生から、被災した全同志へのメッセージが掲載された。
 
 「『心の財』だけは絶対に壊されません」――先生の励ましは、全同志の心を包み、立ち上がる力となった。
 
 後日、一時的な避難所となっていた学会の会館で、被災者が先生のメッセージを見て朗読したという話が、本社に寄せられた。当時の担当者は言う。
 「技術的な不足を人力で補ったのが、東日本大震災の時でした。当時、すでに一般紙各紙が電子版に力を入れ始め“群雄割拠”の時代に入ってきていた。この大震災時の経験を経て、絶対に電子版は必要であり、全読者のために拡充していくべきものだという信念が定まりました」

 2016年2月に、SEIKYO onlineをリニューアルし、有料会員登録がスタート。本紙全12ページの閲覧が可能となり、スマートフォン向けのアプリ配信も始まった。
 その後も機能を拡充し、2019年11月には、世界聖教会館の完成と時を同じくして聖教電子版がオープン。人間革命検索サービスが始まり、音声読み上げ機能、動画コンテンツなども整備・充実。SNSで記事を友人とシェア(共有)できるようになった。そうした中、本年1月1日、能登半島地震が発生した。
 
 東日本大震災当時を知る電子版関係者たちは、“最大震度7の地震”“気象庁が大津波警報を発令”等の情報が入るたびに、思いを一様にした。
 “スピードが生命線である”
 地震発生後、即座に創価学会本部と北陸方面、信越方面に災害対策本部が設置された。聖教電子版と聖教新聞公式X(旧Twitter)では、すぐさまその一報を発信した。早速、被災者から声が届いた。「情報が錯綜し、不安でいっぱいの中、電子版の速報が入りました。『こんなに早く対応して動いてくれているんだ』とホッとするとともに、『絶対に負けない!』と勇気が湧きました」
 
 被災地には石川支局と富山支局、本社および関西支社、中部支社の記者が入り、報道とともに状況を調べた。
 余震が続く中で、記者たちが確認したのは、停電、断水、道路の寸断、孤立集落が数十に上ること、そして、災害関連死で亡くなる事例が起きていることだった。記者は「関連死を防ぐため、避難生活で必要な情報などを早く出すべきだ」と、本社へ報告した。
 そこで聖教新聞では、電子版の無料開放とともに、エコノミークラス症候群や低体温症の予防、ごみ袋と新聞紙で代用する“緊急トイレの作り方”、一酸化炭素中毒に関する注意点など、避難生活の中で気を付けるべき情報を次々発信した。

 また、現地から要請があり、東日本大震災当時の、池田先生のメッセージを再び電子版で掲載することを決定。紙面レイアウトを担う部署がデザインし、A4サイズの紙に印刷できるデータを、文章と合わせて発信した。
 その経緯について、電子版関係者は「“いつでも誰でも読める”といっても、電波や充電がなければ、電子版は見られません。“全員に届けたい”なら、紙で、人づてに届けるケースも考えなければならない」と。
 
 実際、池田先生のメッセージを、スマートフォンで見た人もいれば、印刷された紙をリーダーから受け取ったという人もいる。しかし、いずれかが届いたことで、「立ち上がろう」との勇気を得ることができたという。電子版では、そのメッセージも含め、「苦難と戦う皆さまへ 池田大作先生の励ましの言葉」との特設ページを設け、今も公開し続けている。
 また、被災地では電子版の「シェア機能」の活用が見られた。「毎日、メンバーに読んでほしい記事をシェアしました。シェア機能が本当に力になった」と被災地のリーダーは振り返る。
 
 本年3月3日には、宮城・仙台市の東北文化会館で、「総宮城少年少女部きぼう合唱祭」が行われた。そのフィナーレでは、出演者全員で“北陸に届け”と、部歌「Be Brave! 獅子の心で」を合唱した。“歌を通して希望と元気を”――思いのこもったその姿を、電子版オリジナル動画でも配信した。
 また方面・県版でも、能登半島地震の被災者へのエールが掲載されている。電子版の拡充で、他の地域のコンテンツが閲覧できる今だからこそ、被災地の友にも届くようになった。
 
 前述の社内関係者は語る。
 「拡充に取り組んできた電子版の存在なくして、今回の震災報道はありませんでした。とともに、紙と電子版、またコンテンツを届けてくれる人など、それらの力が合わさった時に、本紙は、非常時を生きるためのツールとなり、生き抜く支えとなると実感しました。誰一人置き去りにしない新聞を目指して、努力を重ねていきます」