〈いのちの賛歌 心に刻む一節〉 テーマ:桜梅桃李の輝き2024年4月16日

 企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「桜梅桃李の輝き」がテーマ。神奈川県相模原市の家族に話を聞いた。

御文

 先業の重き今生につきずして、未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値い候えば、地獄の苦しみぱっときえて(転重軽受法門、新1356・全1000)

通解

 過去世でつくった宿業が重くて、現在の一生では消し尽くせず、未来世に地獄の苦しみを受けるはずであったものが、今世において、このような(法華経ゆえの大難という)重い苦しみにあったので、地獄の苦しみもたちまちに消えて……。

苦労は全てわが家の宝物

子の未熟児網膜症、一家の経済苦

 流産に、死産。子の未熟児網膜症。多額の負債。これでもかと押し寄せる試練の波に「あらがうすべは唱題しかなかった」と話す、光井裕人さん(61)=総県長。妻・陽子さん(61)=女性部副本部長=と二人三脚の信心で越えた辛苦の厳冬。その先に見いだした、和楽の春景色とは――。
       ◇
 創価大学同級生の夫婦は、互いに28歳で結婚。同年、陽子さんは妊娠するが、数週間後に流産。次に授かった息子は死産だった。
 絶望と喪失感。光井さんは「御本尊の前に座っても、涙が次から次にあふれて」。“なぜなんだ。なぜ、わが家ばかり……”。声にならない声で、ただ祈るしかなかった。
 その後、陽子さんは3人目の子を妊娠。早産のリスクがあったため、入院して子宮の収縮を抑える薬を点滴で投与することに。1994年(平成6年)、予期せず陽子さんの陣痛が始まり、長女・裕美さん(30)=華陽リーダー=が小さな産声を上げた。
 出産予定日より3カ月も早く、812グラムの超低出生体重児。見守る夫婦の目の前で、娘はすぐにNICU(新生児集中治療室)へ。命の危機は脱したが、「未熟児網膜症」を発症し、治療のかいなく両目の光を失った。
 「事実を知った時は言葉が出なくて」。光井さんは打ち明ける。それでも、陽子さんが「どんな姿だろうと、わが子はわが子。生まれてきてくれて本当によかった」と明るく話す姿に、“そうだ。御本尊に祈って授かったのだから、必ず使命のある子なんだ”――絶対に幸福な家族になる、と心に決めた。
 とはいえ、子育ては悩みの連続。全盲の娘の将来に不安もあった。夫婦で信心の先輩に相談すると、「題目の雨を降らせるんです。悩みを全部、洗い流すように祈っていくんです」。確信の言葉に、夫婦の祈りは深まった。
 その後、光井さんの転職に伴い、神奈川から埼玉へ、東京へと家族で転居。
 裕美さんも盲学校の転校を繰り返したが、母親譲りの明るい性格。行く先々で良い友達や教師に恵まれた。学校では何事にも積極的に取り組むようになり、親の心配をよそに、同級生たちと元気に成長していってくれた。
 しかし、今度は光井さん自身が試練に襲われる。リーマン・ショック以降、光井さんの勤め先の経営が傾き、とうとう給料もストップ。再起を図って、相模原市内に家族で戻った。会社を退職し、貯蓄を切り崩しながら転職活動に励むも、50歳手前という年齢が壁となり、働き口は見つからなかった。
 裕美さんは高校生。自宅のローンも残っていた。「明日、どう生きようかと悩む日々。まさに地獄にいるようでした」
 苦しみの底で重ねる祈り。この時に拝したのが、「先業の重き今生につきずして」(新1356・全1000)から始まる御書の一節だった。「歯を食いしばり、信心で絶対に打開するぞと自らに言い聞かせたんです」
 夫婦で広布に戦いながら、転職活動を。すると思わぬ縁が。裕美さんの障がいを知る人のつてで、市内にある障がい福祉サービスのNPO法人を紹介してもらえ、「光井さんなら」と雇用が決まったのだ。光が差した。
 その後、前職の会社が倒産。役員を務めていたため多額の負債を背負うことに。しかし、祈り抜いた末、自宅を希望以上の条件で売却でき、ローンと負債を完済。「地獄の苦しみぱっときえて」(同)。御聖訓が、光井さんの命に染みた。
 盲学校を卒業した裕美さんは障がい福祉サービスに入り、現在、使命の道を踏みしめる。
 「娘の障がいがなければ今の仕事はない。あの経済苦がなければ、私は薄っぺらな人間になっていたでしょう。悩んで悩んで、それでも信心を貫いたからこそ、使命の人生を見いだせた。全てを“意味あるもの”に変えていけるのが、この信心だと確信します」

 裕美さんは盲学校時代、英検や珠算検定に挑戦。数年前から、歌とピアノのレッスンを受けており、今では、介護施設や学会の会合でも歌声を披露しているという。
 6年前には青年部教学試験1級を受験。勉強会での講義を録音して聞きながら、御書を点字で打ち、覚えた。「大変だったけど、合格して、両親や同志の皆さん、そして池田先生に勝利を報告できたことがうれしかった」。盲学校時代の友人などとも交流し、信頼を広げている。
 そんな娘を優しく見つめる陽子さんにも、子宮筋腫や頻脈性不整脈を大きな手術で乗り越えた経験がある。「一番の功徳は、題目で病魔と向き合って、御本尊への『信』を深めたこと」と力を込める。
 池田先生は教えている。
 「人がどう評価するか、それはどうでもよい。また、一時の姿がどうかということでもない。要するに、最後の最後に会心の笑みを満面に浮かべられる人生かどうかである」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
 光井さんの原点は創価学園時代。高校2年生の時、創立者・池田先生の前で学園愛唱歌(当時)の「負けじ魂ここにあり」を披露する機会が。創立者と目が合った瞬間、「“信じているよ”と言っていただいた気がして」。あふれる涙の中で歌い上げ、生涯不退を心に誓った。創大時代は大学の歴史や伝統をつくるべく尽力。宝の学友とは今も切磋琢磨する。
 NPO法人に就職後、働きながら勉強し、福祉関係の資格を複数取得。施設長を経て、昨年5月、四つの事業所を抱える同法人の理事長に就任した。
 「これまで悩み苦しんだ分、相手の心に本気で寄り添える自分自身になれたんです。そう思うと、感謝しかありません」
 一家で咲かせる笑顔の大輪。厳寒の試練に負けない限り、人生勝利の春は必ず来る。「だから、苦労の一つ一つが、わが家の宝物です」

[教学コンパス]

 「健康で幸せな生活を送るには、よい人間関係が必要」――米ハーバード大学の研究者らが、同一家族を3世代にわたって追跡調査し、1300人超のデータから導き出した結論だ(児島修訳『グッド・ライフ』辰巳出版)。よい人間関係、すなわち心が通い合う関係に恵まれた人は、心身が健康になり、生存率が高まるという。だからこそ“人間関係を築くこと自体が、人生の目的でもある”と著者は強調している。
 仏典には、“善き友を持つことは仏道修行の半分に相当するか”と弟子に問われた釈尊が、“善き友を持つことは、仏道修行の全て”と答える場面が。日蓮大聖人は「甲斐なき者なれども、たすくる者強ければたおれず」(新1940・全1468)と仰せだ。人生の道は平たんではない。起伏もあれば悪天の日もあろう。しかし、支えとなる“善友”がいれば、倒れず歩み抜くことができる。その感謝が「次は私が誰かの善友に」と――。善から善へ。心と心を結ぶわれらの極善の励ましで、幸福社会の礎を築きたい。(優)