【師子の光彩――大願を果たさん】第5回 御書の発刊2024年4月10日
学生部の代表に「御義口伝」を講義する池田先生(1962年8月31日、旧・聖教新聞本社で)。受講生たちは、事前に、経文などはすべて原典にあたり、講義の前に集っては発表し合い、研さんを重ねた。講義を通しての師弟の触発が、学生部の発展の大きな起爆剤となった
「大経典」の精神をアジア中、世界中へ
世界中で高まる御書研さんの息吹。池田先生は、御書新版の「序」に、その喜びを書きつづっている。
「文明も国籍も、人種も民族も、文化も言語も超えて広く拝読され、家庭で地域で社会で生き生きと行動に移され、良き世界市民の連帯が広がっている」
「この事実こそ、日蓮仏法の普遍性と正統性を物語る一大実証と確信するものである」
「序」にしたためられた言葉は、“御書の精神を世界に”との恩師への誓いを果たした、先生の勝利宣言にほかならない――。
1951年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任した戸田先生が、いち早く取りかかったのが御書の発刊である。
会長就任の翌月、御書全集の発刊を提案。7月に開かれた臨時総会で、御書を発刊することが発表された。
この大事業には、製本に使用するインディアペーパーの調達や、限られた時間での編纂、校正作業など、多くの壁が立ちはだかっていた。
そうした中で、宗門は、出版は了承するが援助はしない、との態度を取る。立宗700年を迎える52年(同27年)4月に向け、宗門が取り組んでいたのは、「梵鐘(寺の鐘)」の鋳造だった。
学会が、大聖人の精神を正しく伝えようと大事業に尽力する一方で、宗門は、形式と権威を取り繕うことを優先したのである。
何があろうと、戸田先生の固い決意が揺らぐことはなかった。自ら陣頭指揮を執り、発刊事業が進められていく。恩師を陰ながら支えたのが、池田先生だった。
校正作業や資金の調達などもすべて学会が独力で行い、52年4月28日、御書全集が発刊される。
「発刊の辞」に、戸田先生は書きとどめた。
「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬ」
池田先生は、恩師の言葉を、自らの誓願とした。
53年(同28年)11月、御書の再版が決定し、先生は、男子部の第1部隊長や文京支部長代理を兼任しながら、校正作業に全精魂を注いでいく。
作業の帰りの列車で、同行する友に、学会の御書根本の精神などを訴えることもあった。再版の校正作業が続く54年(同29年)の年頭、先生は日記につづった。
「教学を深めねばならぬ。哲学を深めねばならぬ」「情熱も大切。実践も大事。それに、英知が、更に重要となるなり」
「行学の二道に励んだ皆さまを、だれよりも大聖人がほめてくださることは間違いありません」――教学試験の会場を訪問し、万感の励ましを送る池田先生(2002年9月、東京・八王子市の創価女子短期大学で)
その通りと自覚しながら拝読を
池田先生は、広布の指揮を執りながら、御書根本の“勝利のドラマ”を各地でつづっていった。
56年(同31年)の「大阪の戦い」。その出陣となった地区部長会で、先生が拝したのは、「呵責謗法滅罪抄」である。
「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり」(新1539・全1132)
関西の友は、御文を深く心に刻み、大前進を開始。「大阪の戦い」で行われた先生の早朝講義は、不可能を可能にする拡大の推進軸となった。
同年から57年(同32年)にかけての「山口開拓指導」でも、先生の講義を受けた同志が奮い立ち、対話の渦が巻き起こった。
恩師の逝去から2カ月後の58年(同33年)6月、総務に就任した先生は、学会の実質的なかじ取りを担いながら、全国各地で指導を重ねていく。
8月、九州へと向かった先生は、鹿児島市内の指導会で、「西山殿御返事(雪漆御書)」の一節を拝した。
「夫れ、雪至って白ければ、そむるにそめられず。漆至ってくろければ、しろくなることなし。これよりうつりやすきは人の心なり」(新1951・全1474)
この御文を通し、「混じりっけのない純真な信心を貫き、御本尊と学会を信じるんです」と力説した。
59年(同34年)1月には、厳冬の北海道へ。夕張では、「四条金吾殿御返事」の講義を行い、「一切衆生、南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(新1554・全1143)との御文を同志と一緒に拝読。祈ることへの挑戦を呼びかけた。
恩師亡き後、「学会は空中分解する」と世間は騒いだ。その中で、御書を根幹に、不屈の学会魂を訴え続けたのである。
先生にとって、御書は、学会の後継者育成の要でもあった。
第3代会長就任から2年後の62年(同37年)8月31日、先生は学生部の代表に対し、「御義口伝」講義を開始する。
かつて恩師は、「御義口伝」をもとに法華経の講義を行った。先生もまた、「御義口伝」を講義し、大聖人の仏法の哲理を、新時代を建設する指導原理として学徒に示そうとした。
学生部への「御義口伝」講義の中で、先生は御書を学ぶ姿勢をこう指導した。
――①「御書は朗々と、力強く、暗記するぐらい拝読していく」こと②「御書は経文であるから、一語一語、『その通りである』と自覚しながら読んでいく」こと③「身口意の三業で読む」こと。
66年(同41年)1月には、高等部の代表への御書講義も始まった。
「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」「佐渡御書」等々――未来を担う鳳雛たちへの真剣な講義は、恩師が望んだ“剣豪の修行”そのものであった。
先生は、海外指導の折も、世界の同志に対し、御書を通して激励を重ねた。現在、御書は、10言語以上で翻訳・出版され、先生に連なる“師弟の教学”“実践の教学”が全世界に広がっている。
「御義口伝」講義開始から60年を迎えた2022年(令和4年)、「大白蓮華」誌上で、「御義口伝」の要文講義がスタートした。先生は創価の友に、こう期待を寄せた。
「世界を包む地涌の抜苦与楽の大行進が、その真価をいよいよ発揮していく『時』が到来している」(2023年11月号「大白蓮華」)
世界は今、数多くの難題に直面している。その未来を明るく照らすのは、地涌の同志の“行学錬磨の輝き”である。
【モノクロ写真をカラー化】
今回掲載されている「御義口伝」講義のカットは、モノクロ(白黒)でしか見られなかった聖教新聞社所蔵の写真を、編集部の責任のもと、AI(人工知能)を活用してカラー化したものです。
「御義口伝」講義を行う池田先生(カラー化する前のモノクロ画像)