〈挿絵でひもとく小説「新・人間革命」〉 学会原点の「5月3日」2024年4月8日

 来月、5・3「創価学会の日」を迎えます。毎年、学会は「4・2」から「5・3」へと、連続勝利のリズムを刻んできました。ここでは、内田健一郎氏の挿絵と共に、小説『新・人間革命』につづられた折々の「5・3」を紹介します。※小説の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。
 

1960年(昭和35年)
第1巻「錦秋」の章
平和旅がいよいよ始まる

 〈第3代会長に就任した日の夜、山本伸一は、妻の峯子と食卓を囲む。伸一の言葉に、世界広布への思いがみなぎる〉
 「あなたに何か、会長就任のお祝いの品を贈りたいと思っております。何がよろしいのかしら」
 「それなら、旅行カバンがいい。一番大きな、丈夫なやつを頼むよ」
 「カバンですか。でも、そんなに大きなカバンを持って、どこにお出かけになりますの」
 「世界を回るんだよ。戸田先生に代わって」
 峯子の瞳が光り、微笑が浮かんだ。「いよいよ始まるんですね。世界広布の旅が」
 彼は、ニッコリと笑って頷いた。(158ページ)
 
 

1970年(昭和45年)
第14巻「大河」の章
広宣流布は流れそれ自体

 〈山本伸一の会長就任10周年となる本部総会で、伸一は広宣流布観を語り、飛躍を期す〉
 「広宣流布とは決してゴールではありません。何か特別な終着点のように考えるのは、仏法の根本義からしても、正しくないと思います。大聖人の仏法は本因妙の仏法であり、常に未来に広がっていく正法であります。(中略)
 広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動なのであります」(中略)
 さらに伸一は、「宗教は文化の土台であり、人間性の土壌である」と述べ、広宣流布とは“妙法の大地に展開する大文化運動”であると定義づけたのである。(297ページ)
 
 

1975年(昭和50年)
第21巻「共鳴音」の章
功労の友をたたえる賞を

 〈5月3日の記念式典の席上、「創価功労賞」「国際功労賞」「広布文化賞」「広布功労賞」の授賞が行われる。これは、“功労の友を最大に顕彰したい”と山本伸一が提案したものであった〉
 「陰徳あれば陽報あり」(全1178・新1613)と言われるように、隠れた善行は明確な善の報いとなって必ず表れる。陰で黙々と広宣流布のために献身してきた苦労は、いつか必ず、大功徳となって花開く。仏法は生命の厳たる因果の法則であるからだ。
 伸一は「冥の照覧」という法理に則り、広宣流布に尽くし抜いてくれた同志を表彰することで、その敢闘を讃え、労をねぎらい、深い感謝の心を伝えたかったのである。(229ページ)
 
 

1979年(昭和54年)
第30巻〈上〉「大山」の章
死身弘法の決意を師子吼

 〈名誉会長となった山本伸一は本部総会で開目抄を拝し、訴えた〉
 結局のところは、天も私を捨てるがよい。いかなる難にも遭おう。身命をなげうつ覚悟はできている――日蓮大聖人の烈々たる死身弘法の決意の言である。
 伸一と同志は、この御本仏の仰せをわが誓いとして、末法広宣流布の茨の道を開いてきたのだ。その実践ゆえに、大聖人の正法正義の命脈は保たれ、日蓮仏法は、蘇生の光源として現代社会に燦然と輝きを放ったのである。(中略)
 「このお言葉は、生涯にわたって、私並びに私どもの、信心の確固たる決意として持続していかなければならないと思いますが、皆さんいかがでしょうか!」(112ページ)
 
 

1979年(昭和54年)
第30巻〈上〉「大山」の章
魂を結ぶ創価の師弟の絆

 〈本部総会の会場を出た山本伸一を見た婦人部の同志は、「先生!」と声をかけ、手を振った〉
 本部総会の参加者ではない。一目でも会いたいと、外でずっと待っていた人たちであろう。その目には涙が光っていた。
 伸一は大きく手を振った。
 「ありがとう! お元気で!」
 一瞬の出会いであった。しかし、そこには、何があっても変わらぬ、深い魂の結合があった。創価学会の真実の絆があった。
 “これから、こういう尊い方々を、本当に善良な仏子を、誰が守っていくのか! 誰が幸福にしていくのか! 私は、必ず守り抜いてみせる!”
 伸一は、会員厳護の心を新たにした。(116ページ)

 

1980年(昭和55年)
第30巻〈上〉「雄飛」の章
金剛の誓いを込めて揮毫

 〈宗門による学会攻撃への反転攻勢の助走を開始した山本伸一は、「五月三日」と揮毫。脇書には、節目の5月3日が列記された〉
 昭和二十六年(一九五一年)は、戸田城聖が第二代会長として立った日であり、同三十五年(六〇年)は、伸一が第三代会長に就任した日である。同五十四年(七九年)は、彼が会長を辞任した直後の本部総会の日である。(中略)二〇〇一年(平成十三年)の「五月三日」には、“この時を目標に、必ず新たな創価学会の大発展の流れを!”という、金剛の誓いが込められていた。
 さらに、「此の日は わが学会の原点也」「昭和五十五年五月三日 記す」「心爽やかなり 合掌」と書きとどめた。(281ページ)