〈栄光の共戦譜〉第26回 1983年(昭和58年)「建設の年」2024年4月5日

  • 平和のために文化運動を!

 池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の“師弟の足跡”がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる“学会の原点”を確認していく。第26回は、「建設の年」と銘打たれた1983年(昭和58年)を掲載する。

「1・26記念」 初のSGI提言を発表

国連のチョウドリ事務次長(当時)と、握手を交わす池田先生。先生は、SGI提言で国連支援を呼びかけてきた(2006年8月、東京・八王子市で)

国連のチョウドリ事務次長(当時)と、握手を交わす池田先生。先生は、SGI提言で国連支援を呼びかけてきた(2006年8月、東京・八王子市で)

 東西冷戦下の1983年(昭和58年)、米ソ関係の緊張で軍拡競争が激化し、核戦争の脅威が高まっていた。
 池田先生は、同年1月25日、1・26「SGIの日」に寄せて、「平和と軍縮への新たな提言」を発表。以来、2022年(令和4年)まで、「SGIの日」記念提言の発表が行われることになる。
 先生は、提言発表を続けてきた信念の支えになったものとして、戸田先生の言葉に言及している。
 「たとえ、すぐには実現できなくとも、やがてそれが“火種”となり、平和の炎が広がっていく。空理空論はどこまでも虚しいが、具体的な提案は、実現への“柱”となり、人類を守る“屋根”ともなっていく」
 第1回の提言で先生は、米ソ首脳会談の早期実現と核兵器の現状凍結の合意などを提案。「大事なことは、相互の不信感、恐怖が次々にエスカレートし、螺旋状に軍拡競争が続いていく悪循環を断ち切ることである」と訴えた。
 提言は、平和を希求する国連関係者や世界の識者の間で共感を呼んだ。ノーベル平和賞受賞者であるライナス・ポーリング博士は、「核凍結から始めて確実に軍縮を進めるという池田氏の考え方に完全に同意します」と声を寄せている。
 この時、先生が訴えた米ソ首脳会談は85年(昭和60年)11月、スイス・ジュネーブにおいて実現。やがて冷戦は終結へと動いていくことになる。
 通算40回に及ぶ「SGI提言」では、紛争防止や人権、環境や人道問題などについて論じられてきた。先生は、こうした地球的問題群の解決の最大の原動力を「グローバルな民衆の連帯」と述べている。私たちの対話は、その連帯を築き、未来を開く礎である。

「3・20~24」 9年ぶりの沖縄訪問

1983年3月21日に行われた“雨の沖縄平和文化祭”。池田先生は、「必ずや沖縄の歴史に、美しく語り継がれていくことを信じてやまない」とあいさつした

1983年3月21日に行われた“雨の沖縄平和文化祭”。池田先生は、「必ずや沖縄の歴史に、美しく語り継がれていくことを信じてやまない」とあいさつした

 池田先生を乗せた飛行機が那覇空港に到着した。1983年(昭和58年)3月20日、先生は9年ぶりに沖縄を訪問。友の歓喜が弾けた。
 先生は車で一路、恩納村の沖縄研修道場へ向かった。研修道場の敷地内にはかつて、核弾頭が装備できる中距離弾道ミサイル「メースB」を配備した、米軍のミサイル基地があった。計画では、全て取り壊し、研修施設に変わることになっていた。
 先生は、ミサイルの格納庫の内部も視察し、翌日、ある着想を伝えた。
 「基地の跡は永遠に残そう。『人類は、かつて戦争という愚かなことをしたんだ』という、ひとつの証しとして」
 さらに先生は、“発射台の上には、平和の象徴になるようなブロンズ像を”“この場所を「世界平和の碑」にしよう”と提案。翌年の4月には、「世界平和の碑」が除幕され、かつてのミサイル基地は平和を発信する場所へと生まれ変わることになる。
 3月21日、先生は「’83沖縄平和文化祭」に出席。途中から雨が降り出すが、待ちに待った師を迎えての文化祭に、若人たちの顔は皆、晴れやかだった。
 先生は同志をたたえ、「あゝ平和 あゝ沖縄と 文化祭 語り残さむ 慈雨のこの日を」など、3首の歌を詠んだ。
 文化祭から2日後の23日は、沖縄広布第2幕を告げる第1回記念総会だった。席上、先生は、「地涌の同志の唱題と信心の連帯の輪が、沖縄の天地に拡大されていくとき、沖縄は、世界模範の『永遠平和の象徴の道』を築いていくことができるに違いない」と強調した。
 この訪問で先生が訴えた平和の魂は、沖縄の原点となり、今の青年たちに受け継がれている。

「11・3」 東京富士美術館が開館

海洋画の巨匠・アイヴァゾフスキー作「第九の怒濤」を丹念に鑑賞する池田先生ご夫妻(2003年10月、東京富士美術館で)

海洋画の巨匠・アイヴァゾフスキー作「第九の怒濤」を丹念に鑑賞する池田先生ご夫妻(2003年10月、東京富士美術館で)

 東京富士美術館が開館したのは、1983年(昭和58年)11月3日。前日の2日、創立者・池田先生が出席して、開館式が行われた。
 先生が美術館の設立構想を示したのは61年(同36年)10月のこと。ヨーロッパを初訪問した先生は、パリのルーブル美術館などに足を運び、語った。
 「芸術の創造のためにも、また、民族、国境を超えて、民衆と民衆の相互理解を深める交流のためにも、いつの日か、美術館をつくりたい」
 東京富士美術館は、81年(同56年)に設立準備委員会が設置され、本格的に準備を開始。先生は激務の合間を縫って、スタッフと懇談し、「世界を語るような美術館になっていくんだ」と励ました。
 同館のオープニングを飾ったのは、「近世フランス絵画展」。世界的な美術史家ルネ・ユイグ氏の協力のもと、ルーブル、ベルサイユ、プチ・パレなど、フランスを代表する八つの美術館が出品。美術研究者らをうならせた。
 現在、東京富士美術館のコレクションは、重要文化財を含め、約3万点に及ぶ。なかでも西洋絵画の数々は「日本屈指」と評されるほどだ。
 これまで国内で海外文化交流特別展を50回、世界20カ国・地域で日本美術や西洋絵画等の所蔵品展を50回開催してきた。90年には、その功績をたたえ、同館に「外務大臣表彰」が贈られた。先生はつづっている。
 「芸術は、人々の魂を鼓舞する。心を豊かにし、前進への力を漲らせる」「平和だから文化運動をするのではない。平和のために文化運動を断行するのだ」
 昨年、開館40周年を数えた東京富士美術館。文化運動を広く推進し、人類を結ぶその使命は輝きを増している。

◆年表◆
1983年

 〈1月25日〉
 1・26「SGIの日」を記念し、「平和と軍縮への新たな提言」を聖教新聞に発表。以来、毎年、「SGIの日」に記念提言を発表。仏法の人間主義、平和主義の視座から人類の直面する地球的問題群への解決策を国際社会に発信する
  
 〈3月5日〉
 中部指導(~8日。愛知、三重)
  
 〈3月8日〉
 関西指導(~20日。大阪、京都、兵庫)
  
 〈3月20日〉
 沖縄・九州指導(~31日。沖縄、鹿児島、福岡)
  
 〈3月31日〉
 中国指導(~4月4日。山口、広島、岡山)
  
 〈4月4日〉
 中部指導(~5日。愛知)
  
 〈4月14日〉
 新潟指導(~17日)
  
 〈4月17日〉
 東北指導(~22日。山形、宮城)
  
 〈5月4日〉
 水滸会の第1回野外研修が行われた氷川に立つ氷川池田青年研修塾(現・氷川東京青年研修道場)で開館1周年を記念する集い。青年部の代表を激励(東京)
  
 〈5月28日〉
 北米・欧州訪問(~6月29日。アメリカ、西ドイツ、ルーマニア、スイス、スペイン、フランス、ベルギー、オランダ)
 アメリカのアラスカ州アンカレジで第1回北米総会(5月29日)
 西ドイツで第1回ドイツ総会(6月3日)
 ルーマニアのブカレスト大学で「文明の十字路に立って」と題し記念講演(6月7日)
 スイスで第1回スイス総会(6月11日)
 スペインで第1回スペイン総会(6月14日)
 フランス・トレッツの欧州研修道場で欧州夏季研修会(6月16、17日)。第1回ヨーロッパ文化祭(18日)
 オランダで第1回オランダ記念総会(6月26日)
  
 〈7月22日〉
 九州指導(~29日。鹿児島)
  
 〈7月30日〉
 甲子園初出場を決めた創価高校野球部のメンバーを激励(東京)
  
 〈8月8日〉
 国連から「国連平和賞」が贈られる(東京)
  
 〈8月10日〉
 北海道指導(~23日)
 第3回世界平和文化祭(14日)。第4回SGI総会(16日)
  
 〈9月20日〉
 関西指導(~26日。大阪)
  
 〈9月26日〉
 中部指導(~28日。愛知)
  
 〈11月2日〉
 東京富士美術館の開館式に創立者として出席。開館記念特別展「近世フランス絵画展」を鑑賞(東京)
  
 〈11月5日〉
 第1回創価教育同窓の集い(創価大学)
  
 〈11月25日〉
 中国の胡耀邦総書記を中国大使館に表敬訪問し会見(東京)
  
 〈12月1日〉
 香港訪問(~6日)
 第1回SGI香港文化祭(4日)。第1回SGI香港総会(5日)
  
 〈12月6日〉
 九州指導(~9日。福岡)
  
 〈12月9日〉
 中国指導(~12日。広島)
  
 〈12月12日〉
 関西指導(~15日。大阪、兵庫)
  
 〈12月15日〉
 中部指導(~16日。愛知)
  
 ※5月、SGIが国連経済社会理事会の協議資格NGOとして登録される