〈地域を歩く〉 茨城県水戸市 新時代の先駆けの地で 友好広げる庶民の英雄2024年3月29日

  • 地道な信心で求道の友と
  • 「凱歌の人生」を高らかに

梅の花が咲き薫る偕楽園(2月撮影)。名前の由来は『孟子』の一節である「古(いにしえ)の人は民と偕(とも)に楽しむ、故(ゆえ)に能(よ)く楽しむなり」から取っている。池田先生は地元の同志と偕楽園を訪れた際、「梅はいいな。寒風の中、百花に先駆けて咲く」と語った。師との原点を胸に、水戸の友は勝利の春を開こうと先駆の拡大に挑む

梅の花が咲き薫る偕楽園(2月撮影)。名前の由来は『孟子』の一節である「古(いにしえ)の人は民と偕(とも)に楽しむ、故(ゆえ)に能(よ)く楽しむなり」から取っている。池田先生は地元の同志と偕楽園を訪れた際、「梅はいいな。寒風の中、百花に先駆けて咲く」と語った。師との原点を胸に、水戸の友は勝利の春を開こうと先駆の拡大に挑む

 1959年(昭和34年)に池田大作先生が茨城県へ初指導に訪れてから、今月で65周年を迎えた。今回は、師との原点を胸に、郷土の発展に尽くす茨城県水戸市の友のもとを訪ねた。

 朝日を浴びてきらめく湖面のほとりを歩いた。澄んだ青空の下で、優雅に羽を休める水鳥に心を癒やされる。すれ違う人々は、ジョギングや散歩を楽しんでいるようで、その笑顔がまぶしい。
  
 美しい景色に見とれていると、町の中心地に到着。水戸黄門の像が迎えてくれた。左右には助さん、格さんが立ち、今にも“控えおろう!”と言わんばかりの迫力だ。
  
 茨城県水戸市には、水戸黄門(徳川光圀)の像が、有名なものだけで市内に8体あるという。夏には「水戸黄門まつり」、秋には「水戸黄門漫遊マラソン」など、この地は水戸黄門抜きには語れない。
  
 庶民をいじめる悪を痛快に成敗する水戸黄門のようなヒーローは、時代を超えて愛されるのだろう。
  
 史実の徳川光圀公は全国各地を漫遊することはなかったが、学問を奨励し、庶民への思いやりの心を持った名君として仰がれていたようだ。

「米夢にぎりた亭」を営む薄井猛さん㊨・康子さん夫妻。人気の納豆おにぎりはテレビでも紹介された

「米夢にぎりた亭」を営む薄井猛さん㊨・康子さん夫妻。人気の納豆おにぎりはテレビでも紹介された

 この徳川光圀公も食していた納豆は、古くから水戸の名産品として知られている。
  
 「うちの一番人気は水戸納豆と茨城県産米を使った納豆おにぎりですよ」と言うのは、おにぎり店「米夢にぎりた亭」を夫婦で営む薄井康子さん(白ゆり長)。
 注文を受けてから握るおにぎりは、ふっくらとして温かいと評判で、市内中心部で開業して23年がたつ。
  
 その間、康子さんは12年前、夫・猛さん(地区部長)は5年前に、それぞれがんを患ったというが、夫婦とも病を乗り越えた。
  
 猛さんは「私たちのおにぎりを待ってくれているお客さんがいる。それが病に立ち向かう力になりました」と。
 感謝の思いで客を迎える薄井さん夫妻の笑顔から、地域への愛情と思いやりの心が伝わってきた。

佐藤康子さん。介護予防の運動「シルバーリハビリ体操」の指導士を長年、務めている

佐藤康子さん。介護予防の運動「シルバーリハビリ体操」の指導士を長年、務めている

 水戸市で生まれ育った佐藤康子さん(女性部副本部長)が、市内の見どころを教えてくれた。
  
 日本三名園の一つである「偕楽園」には約100品種・3000本の紅白の梅が植えられており、早春には観光客でにぎわう。近くにある千波湖は外周が約3キロあり、周囲の約750本の桜が美しい花を咲かせるという。
  
 「でも、一番の見どころは水戸に住む人の良さです」
 そう語る佐藤さんが暮らす水戸駅の南側は、下町人情あふれる地域。その中で、佐藤さんは誰よりも人とのつながりを大切にしてきた。
  
 25年前に夫を突然の病で亡くし、一人で3人の娘を育ててきた佐藤さんのもとには、育児で悩む母や、病気の家族を抱える人からの相談が届く。心がけているのは話をよく聞き、相手を知ること。以前、表具店を経営していた頃の縁もあり、近隣や地域の商店街など、県内各地に学会理解の輪が広がる。
  
 一人一人と誠実に向き合う佐藤さん。その周囲には、いつも対話の花が咲いている。

市の中心地に立つ水戸市民会館

市の中心地に立つ水戸市民会館

 水戸に広布の魂が刻まれたのは1959年(昭和34年)のこと。ただ一人の総務として全国を駆け巡っていた池田大作先生は、戸田城聖先生の一周忌を目前に迎えた3月、茨城県を訪問した。
 1日に日立市を訪れ、2日には水戸市へ。茨城会館(当時)に集った約1500人の前で「四条金吾殿御返事(此経難持の事)」を通して訴えた。
 「信心を貫けば、必ず難は襲ってくる。その時こそ成仏のチャンスである」

大月信一さん㊥と妻・幸恵さん㊨、長女・信子さん。信子さんは地区女性部長として同志に励ましを送る

大月信一さん㊥と妻・幸恵さん㊨、長女・信子さん。信子さんは地区女性部長として同志に励ましを送る

 当時、中学生だった大月信一さん(副支部長)は、豆腐店を経営する両親と共に参加した。入会したばかりの両親は、親戚から信心を猛反対され、取引先からは「創価学会の豆腐は買わない」と告げられた。だが、先生の励ましを胸に、真っすぐに信心を貫き、地域に愛される店へと成長させてきた。
  
 そんな両親の背中を見てきた大月さんは、その後に吹き荒れた第1次宗門事件の嵐にも微動だにしなかった。
 しかし、地域では繰り返される学会への誹謗中傷に心が揺らぎ、信心から離れていく人を目の当たりにした。
  
 唇をかみ締めながら、同志と支え合っていた1978年(昭和53年)10月21日、茨城県歌「凱歌の人生」が発表される。
  
 おお寒風に 梅の香を
 君も友どち 耐え勝ちぬ
 いざや歌わん 茨城の
 凱歌の人生 創らんや
 凱歌の人生 輝けり
  
 大月さんは「歌に込められた先生の思いに心が震えました。『必ず耐え勝つのだ!』と、皆で口ずさみながら前に進みました」と振り返る。
  
 この後、池田先生が苦難と戦う友を励ますために、茨城の地を訪れたのは、82年(同57年)2月のこと。後に語り継がれるこの「厳寒の茨城指導」では、水戸の茨城文化会館を拠点に、6日間にわたり県内各地を回った。

加倉井幸夫さん㊨が妻・由利子さん㊥、長男・英幸さんと。英幸さんは地元の消防団員としても奮闘する

加倉井幸夫さん㊨が妻・由利子さん㊥、長男・英幸さんと。英幸さんは地元の消防団員としても奮闘する

 「先生は『あれだけ苦しんだ茨城の友が待っているんだ』と、高熱を押して来てくださったのです」と力を込めるのは、水戸で稲作を営む加倉井幸夫さん(副支部長)。先生との原点を胸に、同志と広布にまい進してきた。
  
 そんな幸夫さんに10年前、病魔が襲う。体の不調を感じて病院に行くと、前立腺がん、肺がんに加え、肋骨と脳に腫瘍が見つかった。
  
 「なんで俺が……」
 聞いた時は、目の前が真っ暗になった。
  
 市の農業委員を務めるなど、日頃から地域に尽くす幸夫さんのもとには、病状を知った学会の同志や友人が連日のように見舞いに訪れた。
  
 皆に勇気づけられて、唱題根本に病魔に挑む中、現在では前立腺がんや脳腫瘍は消え、肺がんや骨腫瘍は日常生活に支障がないまでに小さくなった。
  
 治療は今も続いているが、妻の由利子さん(女性部副本部長)と子どもたちの支えも借りながら、仕事に復帰。
 当初は「生きているのが不思議なくらいです」と医師に言われた幸夫さんは、「大病を患っているのが信じられないくらい元気ですね」と周囲から言われるほど、生き生きと活躍している。
  
 幸夫さんは「私を貫くのは妙法への『信』の一字です。闘病を経験して、御書、御本尊、そして師匠の指導があれば、何も恐れるものはないと確信しました」と晴れやかだった。

富田利行さん。経営するそろばん塾は地域に親しまれている

富田利行さん。経営するそろばん塾は地域に親しまれている

 幸夫さんと同じく苦難を乗り越え、地域に信頼の輪を広げるのは富田利行さん(副圏長)。JR内原駅前にそろばん塾を構え、幼稚園児から中学生まで約60人を教えている。
  
 59年前に開業した当初、集落の人から「あそこは、そろばんじゃなくて、南無妙法蓮華経を教えんだべ」と言われるなど、学会員である富田さんへの風当たりは強かった。
  
 だが、そんな声には耳を貸さず、塾で一人一人と真剣に向き合う中で、珠算の資格を取る生徒や、算数の成績が向上する生徒が出始めた。
  
 評判が広がると、最終的には集落の約8割の家庭の子どもが、そろばん塾に通うまでに。自然と友好拡大も進み、集落のほとんどの人が学会理解者になった。
  
 県内各地に仏法対話を広げ、富田さんの紹介で、これまで52人の友人が学会に入会した。自宅の庭で菊を育てて25年の富田さんは語る。
  
 「“菊は人の足音を聞いて育つ”といわれ、手をかけた分、大輪の花を咲かせます。人材育成も同じです。入会後も心を尽くして通うことが大切なのです」

伊東泰子さん(左から2人目)が女性部の友と。厳寒の茨城指導の際、母に連れられて師との出会いを刻んだ

伊東泰子さん(左から2人目)が女性部の友と。厳寒の茨城指導の際、母に連れられて師との出会いを刻んだ

 徳川光圀公が振興した学問の伝統は、後に水戸に滞在した青年・吉田松陰にも大きな影響を与えるなど、明治維新の原動力ともなった。
  
 新しい時代の先駆けとなったこの地で、池田先生と水戸の同志が築いた凱歌の連帯をさらに広げようと、青年世代が奮闘している。
  
 水戸で生まれ育ったヤング白ゆり世代の伊東泰子さん(支部女性部長)は、地元の先輩に優しく信心や生活のことを教えてもらったことが心に残っている。
  
 伊東さんは「自分が大切にされたように、メンバーを宝物のように大事にしたい」と励ましを送る。地元には、自分と同世代のメンバーが多く、どうすれば楽しく触発し合えるかを真剣に祈り、考えた。女性部本部長に相談し、支部のヤング白ゆり世代の友が小単位で語り合える場を設けた。
  
 伊東さんは「参加したメンバーが『楽しいだけじゃなく、悩みを共有できたり、意見交換したり。そういう場って大事だよね』と言ってくれ、絆が強まりました」と語る。
  
 心を通わせる小単位の集まりを大切にする中で、支部ではヤング白ゆり世代の地区女性部長や白ゆり長が次々に誕生。若いメンバーの躍動が、地域に希望と喜びの波動となって広がっている。

総本部牙城会の任務にも率先して励んでいる赤上光昭さん

総本部牙城会の任務にも率先して励んでいる赤上光昭さん

 「先輩方が池田先生への報恩感謝の心で勝ち開いてきた水戸広宣流布は、自分たち青年世代が使命感をもって受け継いでいきます」と誓うのは、27歳の赤上光昭さん(男子部本部長)。
 男子部大学校や牙城会で薫陶を受け、これまでに4世帯の弘教を実らせた。
  
 友人の幸せのためにと仏法対話に励むたびに、相手と真剣に向き合うことから逃げ出したくなる自分の弱さに気付かされた。そして、対話とは相手を変えるのではなく、自分が変わる挑戦なのだと知ったという。
  
 それは、男子部のメンバーが相手でも同じだと赤上さんは感じている。訪問・激励においても、相手に寄り添い、安心して話してもらえる自分に成長することが大切だということだ。
  
 今では、メンバーの生活状況や考え方はますます多様化し、社会では少子高齢化が進む。その中で、赤上さんは同志と共に一人一人と誠実に接し、担当する本部では10人以上の20代のメンバーが立ち上がった。

複合文化施設「水戸芸術館」のシンボルタワー

複合文化施設「水戸芸術館」のシンボルタワー

 池田先生は厳寒の茨城指導の折、水戸の地で語った。
  
 「信心、また人間としての勝利は、愚直のごとき求道の人、また、着実にして地道なる信心、生活を築き上げた人が、凱歌をあげている」
  
 まさにこの言葉を、たび重なる人生の苦境を信心根本に勝ち越えてきた水戸の同志が体現しているように思えた。また、いかなる試練の風雪にあっても地域に根を張り、地域の発展のために汗を流してきた同志には、“庶民のヒーロー”のような輝きがあった。
  
 この先、どんな苦難があろうとも、師匠との永遠の原点を築いた水戸の同志は、求道の実践と地道な信心を貫き、悠々と勝ち越えていくに違いない。共に「凱歌の人生」を高らかに歌いながら!

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