青年部拝読御書「崇峻天皇御書」2024年3月26日

  • 〈研さんのために④〉

 青年部拝読御書「崇峻天皇御書」を学ぶ連載の第4回は、第4章を解説する。勝利に向かって最後まで戦い続けることの重要性を教えられるとともに、「異体同心の団結」「師弟不二の祈り」こそが、一切の障魔を打ち破る要諦であることを示される。(創価新報2024年3月20日付)
 

第4章 同志の団結を強調
御書新版1594ページ5行目~1595ページ3行目
御書全集1172ページ1行目~14行目

【御文】

 返す返す御心えの上なれども、末代のありさまを仏の説かせ給いて候には、「濁世には聖人も居しがたし、大火の中の石のごとし。しばらくはこらうるようなれども、終にはやけくだけて灰となる。賢人も、五常は口に説いて身には振る舞いがたし」と見えて候ぞ。「こうの座をば去れ」と申すぞかし。そこばくの人の殿を造り落とさんとしつるに、おとされずして、はやかちぬる身が、穏便ならずして造り落とされなば、世間に申すこぎこいでの船こぼれ、また食の後に湯の無きがごとし。上よりへやを給わって居しておわせば、その処にては何事無くとも、日ぐれ・暁なんど、入り返りなんどに定めてねらうらん。また我が家の妻戸の脇、持仏堂、家の内の板敷の下か天井なんどをば、あながちに心えて振る舞い給え。今度はさきよりも彼らはたばかり賢かるらん。いかに申すとも、鎌倉のえがら夜廻りの殿原にはすぎじ。いかに心にあわぬこと有りとも、かたらい給え。
 義経は、いかにも平家をばせめおとしがたかりしかども、成良をかたらいて平家をほろぼし、大将殿は、おさだを親のかたきとおぼせしかども、平家を落とさざりしには頸を切り給わず。いわんや、この四人は、遠くは法華経のゆえ、近くは日蓮がゆえに、命を懸けたるやしきを上へ召されたり。日蓮と法華経とを信ずる人々をば、前々彼の人々いかなることありともかえりみ給うべし。その上、殿の家へこの人々常にかようならば、かたきはよる行きあわじとおじるべし。させる親のかたきならねば、顕れてとはよも思わじ。かくれん者は、これ程の兵士はなきなり。常にむつばせ給え。殿は腹悪しき人にて、よも用いさせ給わじ。もしさるならば、日蓮が祈りの力及びがたし。
 

【通解】

 よくよく心得ていることとは思うが、末法のありさまを仏がお説きになることには「濁った世の中には、聖人であっても聖人として生き続けることは難しい。大火の中の石のようなもので、しばらくはこらえているようであっても、ついには焼け砕けて灰となる。賢人も五常を口には説くが、わが身に振る舞うことは難しい」とある通りである。「一番の上席は去れ」とも言われているではないか。
 
 何人もの人が、あなたをうそで陥れようとしたが陥れられず、すでに勝利した身であるのに、事を荒立てて陥れられるようなことがあれば、世間で言う、一生懸命に漕いできた船があと少しのところで浸水するようなものであり、また、食後に白湯がないようなものである。
 
 主君から部屋を頂いて住んでいるので、そこでは何事もないだろうが、日暮れや明け方など、人の出入りなどには、必ず敵は狙うであろう。また、自分の家の妻戸の脇や持仏堂、家の中の板敷の下や天井などには、よくよく用心して振る舞いなさい。これからは、以前よりも彼らの謀略は巧みになるであろう。なんといっても、鎌倉の荏柄(=神奈川県鎌倉市二階堂の地名)の夜廻りの人たちほど頼りになる人々はいない。どんなに気に入らないことがあっても、仲良くしていきなさい。
 
 源義経は、どのようにしても平家を攻め落とすことは難しかったが、田口成良を味方に引き入れて平家を滅ぼした。源頼朝は、長田忠致を親の敵と思っていたが、平家を攻め落とすまでは、首を斬らなかった。
 
 まして、この夜廻りの四人は、遠くは法華経のため、近くは日蓮のために、命を懸けて得た屋敷を主君に取り上げられてしまったのである。日蓮と法華経とを信じている人々を、これからどのようなことがあったとしても、心にかけてあげなさい。
 
 その上、あなたの屋敷へこの人々が通うならば、敵は夜に行って出会うことを恐れるだろう。敵の彼らにしても親の敵というわけではないから、まさか、表沙汰になってもよいとは思わないであろう。人目をはばかる者に対しては、これほど頼りになる兵士はいないであろう。常に親しくしていきなさい。
 
 あなたは短気な人であるから、私の言ったこともきっと聞き入れないであろう。もしそうであるなら、日蓮の祈りの力も及ばぬことである。
 

厳冬の奥入瀬渓流には氷瀑やつららが見られる。人生にもいてつく冬のような試練の時がある。しかし、我らは清流のごとき信心を貫くことで必ず乗り越えることができる(青森県十和田市)

厳冬の奥入瀬渓流には氷瀑やつららが見られる。人生にもいてつく冬のような試練の時がある。しかし、我らは清流のごとき信心を貫くことで必ず乗り越えることができる(青森県十和田市)

【解説】

 大聖人は、冒頭に「よくよく心得ていることと思うが」と断られた上で、周囲から妬まれ憎まれている四条金吾が、いかに振る舞っていくべきかを説かれる。
 
 ここでの「聖人」とは、その言動から優れた法をあらわし、人々の手本となるような存在を指し、「賢人」とは、聖人の教えを継ぎ、人々に伝え弘める人のことを指す。人々の心がすさんでいる末法では、聖人として存在し続けることは難しい。始めは崇高な理念を掲げ行動していても、やがて理想は薄れていき、「終にはやけくだけて灰となる」のである。また賢人も、言葉では聖人の教えを説いていても、自らがその通りに行動することはできず、人々も賢人の言葉に耳を傾けなくなってしまう。このように大聖人は、末法で正法を持って生き抜くことの難しさを示される。
 
 また「一番の上席は去れ」との句を引き、主君から病の治癒を任されたからといって、絶対に調子に乗ってはならないと戒め、金吾に深い決意を促される。
 
 続いて大聖人は、同僚である家臣たちの讒言や策謀によって、金吾を迫害していた江間氏から、再び信頼され、重用されるようになった金吾を「すでに勝利した身」とたたえられる。その勝利は、大聖人の激励と、金吾の強盛な祈りによってこそ得られたものである。大聖人の金吾への深い信頼、そして信心への揺るぎない確信からの言葉である。
 
 池田先生は『勝利の経典「御書」に学ぶ』の中で、「勝った時に負ける因を作り、負けた時に勝つ因を作るのは、人生と社会の常です」と講義されている。
 
 せっかく勝ち取った実証も、短気を起こして、いたずらに事を荒立てれば、敵の攻撃を激化させることになり、これまでの努力が無に帰してしまう。大聖人はそのことを心配され、忍耐の信心を教えられていると拝せよう。
 
 さらに「一生懸命に漕いできた船があと少しのところで浸水するようなもの」「食後に白湯がないようなもの」との二つの譬えを引かれる。食後の白湯とは、一説によると、当時は食事ごとに食器を丁寧に洗っていたわけではなかったため、食事の最後は椀に白湯を注ぎ、残った米粒などと一緒に飲む習慣があったとされる。どちらも物事を最後までやり遂げられないことを譬えられている。大事なのは、油断なく最後に勝利することである。
 
 続けて、日暮れや明け方の薄暗い時間帯には用心し、敵が隠れやすい床下や天井裏にまで気を配り、「鎌倉の夜廻りの人たち」とも仲良くしていくようにと、細かく指導される。
 
 「夜廻りの人たち」は、夜廻りをする警備の役目を担う人たちである。大聖人の門下であるが、「いかに心にあわぬこと有りとも、かたらい給え」との一節からは、彼らと金吾の不仲がうかがえる。
 
 そこで大聖人は、源義経と頼朝が平家を滅ぼした戦術の話をされる。これは武士である金吾に伝わりやすいようにという大聖人の心遣いだと拝される。まして夜廻りの彼らは、大聖人とともに正法を貫いたために、主君から屋敷を取り上げられている。そんな志を同じくする同志と仲良くしていくように指導される。頼りになる夜廻りの人たちとは、常に団結していくようにという大聖人のアドバイスである。
 
 異体同心の鉄の団結こそが、障魔を打ち破り、広宣流布を進める要諦である。これは、現代にも通じる指導である。
 
 ここまで金吾に指導を重ねたうえで大聖人は、「あなたは短気な人であるから、私の言ったこともきっと聞き入れないであろう。もしそうであるなら、日蓮の祈りの力も及ばぬことである」と記される。いくら大聖人が祈ったとしても、金吾自身が自分に負け、短気な行動を取れば、祈りはかなわなくなるとの仰せである。まさに師匠と弟子の不二の祈りこそが、境涯を開き、信心の功力を最大限に引き出す急所であることを教えられた一節である。大聖人の度重なる厳愛の指導に、金吾も今一重、決意を深くしたに違いない。
 
 師弟一体の祈りを貫く中で、師の大境涯に連なり、無限の力が湧き起こる。私たちも池田門下生として、師の心をわが心とし、広宣流布という大目的へ前進したい。栄光の「5・3」を、弟子の連帯のさらなる拡大で荘厳していこう。
 

【池田先生の指針から】

 魔は常に私たちの分断を図ります。いたずらに、いがみあってしまえば、「鷸蚌の争い(漁夫の利)」となって、魔を利するだけです。
 
 大聖人は、別の門下にはこう仰せです。「法華経を持つ者は必ず皆仏なり」(全1382・新1988)。したがって、同志を毀ることは仏を毀る罪を得ることになると示されています。
 
 特にリーダーは、皆を包容する立場だからこそ、境涯を広げていかなければならない。今で言えば「幹部革命」です。
 
 厳しいなかにも四条金吾は、大聖人の尊容を胸中に思い浮かべつつ、前進したことでしょう。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第4巻)
 

〈コラム〉育児を通して気付いたこと
「正解のない時代」に発揮される力

 昨年、子どもが生まれた。泣いている理由が分からず、抱っこしたり、おむつを替えたり……赤ちゃんとの生活は、ままならないことばかり。夜泣きが始まり、抱っこし続けるうちに、パパも意識が遠のいていく――。
 
 近年、どうにも答えが出ない事態に耐える能力「ネガティブ・ケイパビリティ」が注目されている。白黒はっきりしない問題に対し、すぐに解決しようとするのではなく、より深い理解に至るまで、じっくり模索し続ける。そうした不確実さの中に居続け、持ちこたえる力のことだという。
 
 実は、この能力は赤ちゃんの世話をするお母さんの忍耐強さに由来する。これは精神科医のビオンが取り入れた概念で、「(赤ちゃんが)なぜ泣いているのだろうかと考える。答えは分からないけれど、考える。それ自体がネガティブ・ケイパビリティである」(臨床心理士の東畑開人氏)と。
 
 この能力が育児を超えて幅広く注目されているのは、なぜだろうか。今では、インターネットで自分の知りたいことが、すぐに見つかる時代になっている。だから現代人が、白黒つかず、スッキリできない状況に耐えられなくなってきていることが、その理由の一つとも考えられるだろう。一方で、現代は価値観が多様化し、社会の変化や将来の不確実さも増しており、「正解のない時代」とも言われる。そのため「これさえやれば大丈夫」といった、仕事や生き方の“正解”やロールモデルが見つけづらい。一人一人が悩み、考え、生き方を模索する時代になっているのだ。
 
 育児でも、調べたやり方を試しても、うまくいかないことばかり。それでも試行錯誤する中で、ご機嫌になる抱き方を発見したり、声かけに笑顔で応えてくれる子どもの成長を感じたりする。育児はモヤモヤの連続だけれど、大きな喜びや豊かさも実感できる。ネガティブ・ケイパビリティの先には、そうしたすぐに解決しないがゆえの発見や、より深い喜びがあるのではないだろうか。
 
 以前、ある男子部員から仕事の悩みを相談された。理想と現実のギャップ、職場の人間関係など、どれもスパッと答えが出る課題ではなかった。「悩んでいることをありのまま祈っていこう」と伝え、毎日の勤行・唱題に一緒に挑戦した。すぐに劇的な変化が起きたわけではないが、祈り続ける中で、仕事の捉え方や同僚への向き合い方が変わっていったという。先日、彼は「職場で大切な役割を任された」と、うれしそうに話してくれた。
 
 仏法者として自身や周囲の悩みに向き合うことは、ネガティブ・ケイパビリティを発揮する姿なのかもしれない。煩悩に覆われた凡夫でも、生命に仏の智慧を発揮できることを「煩悩即菩提」といい、御書には「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(新1021・全732)と。日蓮仏法の実践は、悩みと向き合い、その先に幸福をつかむ生き方を教えている。
 
 (男子部教学室 掛川俊明)