〈ONE GOS'HO この一節ととー 1'に!〉 御義口伝

信頼築く振る舞いを

男子部教学室編

 まもなく新年度が始まり、新たな出会いの時季を迎えます。今回は「御義口伝」を拝して、縁する全ての人を尊敬し、礼拝行を貫き通した不軽菩薩の実践を学びます。

御文

 自他不二の礼拝なり。その故は、不軽菩薩の四衆を礼拝すれば、上慢の四衆の具うるところの仏性もまた不軽菩薩を礼拝するなり。鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり云々。
 (新1071・全769)

通解

 (不軽菩薩の礼拝は)自他不二の礼拝である。なぜかといえば、不軽菩薩が四衆を礼拝すれば、増上慢の四衆の仏性もまた同時に、不軽菩薩を礼拝するのである。これは、ちょうど、鏡に向かって礼拝する時、そこに映っている自分の影もまた自分を礼拝するのと同じ原理である。

背景

 本抄は、日蓮大聖人が身延の地で法華経の要文を講義された内容を、日興上人が筆録し、大聖人の許可を得て完成したものといわれています。「御義」とは大聖人の法門のことです。その法門が「口伝」、すなわち口頭で伝えられました。
 それぞれの項目では、法華経または開結二経の一節を挙げ、天台大師等の釈を引用した上で、「御義口伝に云わく」と、末法の御本仏のお立場から法華経解釈を展開されています。
 今回の御文は、「常不軽品三十箇の大事」の「第二十九 法界は礼拝の住所の事」の中の一節です。法華経に説かれる不軽菩薩は、増上慢の四衆(男性出家者・女性出家者・男性在家者・女性在家者)から悪口罵詈や暴力を振るわれても、誰もが仏になれる存在であると信じ抜き、礼拝の修行を貫きました。他者を尊ぶ実践が因となって、不軽菩薩は最高の覚りを得て、成仏に至ることができました。

解説

 不軽菩薩とは、「法華経常不軽菩薩品第20」に登場する釈尊の過去世の姿です。不軽菩薩は、縁するあらゆる人に対して、「私はあなたたちを敬う。なぜなら、あなたたちは菩薩の修行をすれば、仏になるからです」と語り、礼拝を続けました。
 しかし、その言葉を信じられない人々から、悪口を浴びせられたり、杖や木で打たれたりするなど、迫害を受けます。それでも不軽菩薩は怯むことなく、害が及ばないところまで逃げながら、礼拝行を貫きました。そして、この不退の実践によって、不軽菩薩は過去世の罪障を消滅し、六根清浄(目・耳・鼻・舌・身と意の感覚・認識が清らかになること)の功徳を得ました。最後には、迫害していた人たちも信じて従ったと言います。
 御文では、不軽菩薩が迫害する人々に礼拝すると、その相手の仏性が、不軽菩薩を礼拝し、敬うことを教えられています。このことを鏡の譬えを通して、“私たちが鏡に向かい、敬っておじぎをすれば、鏡に映る自分も、こちらを敬っておじぎをする”と示されています。信頼や友情の絆は、まずは自らが他者の仏性を尊び、誠実に接する振る舞いがあってこそ、育むことができるのです。
 そうは言っても、どうしても“自分とは合わないな”と思う人がいるのも現実です。私たちが時折、耳にする「四苦八苦」という言葉は、もとは仏法の言葉で、その中に「怨憎会苦」があります。“嫌な人に出会い、一緒にやっていかなければならない苦しみ”です。人間関係の悩みとは、誰もが直面する壁なのです。こうした人間の根源的な苦しみに対して、「御義口伝」には「妙法にあう時は、八苦の煩悩の火が転じて仏の智慧の火となる」(新1013・全726、趣意)と説かれています。信心によって、苦手な人との出会いも、自身の生命を鍛え、境涯を広げるきっかけにしていけるのです。
 誰に対しても、軽んずることなく尊重する“不軽の実践”を心がけることは重要な仏道修行に当たります。私たちが日々、挑んでいる「一人を大切にする」行動が、その直道と言えます。また、この挑戦が自らの人間革命を成し、世界平和につながる確かな道なのです。
 池田先生はつづっています。
 「人間の持つ善性を信じ、互いに敬い合う振る舞いが広がれば、世界に確かな生命尊厳の思潮が広がります。やがて、人類の宿命というべき対立と憎悪の連鎖を断ち切り、新たな相互理解と平和創造の道が開かれていくに違いありません。不軽菩薩の人間主義の振る舞いこそ、世界が待望する行動なのです」
 まもなく新年度を迎える今、希望で胸を躍らせる一方で、不慣れな環境や新しい人間関係に戸惑いを覚えることもあります。そういう時こそ、不軽菩薩のように、場合によっては身を守りながらも、誠実な振る舞いを貫く挑戦が仏道修行であり、偉大な広布の実践であると確信して進んでいきたいと思います。一人一人が人間革命の勝利のドラマをつづる決意も深く、新生の春をスタートしていきましょう。