【東北】東北栄光総会から30周年 随自意の勇気で前進!2024年3月22日

 1994年3月21日、東北栄光総会で、池田大作先生は烈々と語った。「随自意で進み、難と戦い、難を乗り越えて仏になっていくのが、大聖人の仏法なのである」「一切の根本は、随自意で広布に進みゆく『勇気』である」と。随自意は、人々の機根にかかわらず、仏法の真実の法理をそのまま説くこと。それに対し、相手の好みや機根に合わせて説く随他意がある。先生は、仏法の真実を堂々と語りゆく「随自意」の勇気を訴えた。青年部をはじめ、友は奮い立った。拡大の勢いは世界的な上げ潮となり、学会が世界宗教へ飛躍する重要な潮目となった。「東北青年部の日」の淵源である同日から30周年。東北栄光総会での先生のスピーチと、青年の代表を紹介する。

東北栄光総会・第1回宮城県総会でスピーチする池田先生。「創価学会は、尊貴なる仏勅の教団である。そのすばらしさを、ありのままに随自意で示していけばよい。そうすれば自他ともに功徳を受ける」と訴えた(1994年3月21日、東京牧口記念会館で)

東北栄光総会・第1回宮城県総会でスピーチする池田先生。「創価学会は、尊貴なる仏勅の教団である。そのすばらしさを、ありのままに随自意で示していけばよい。そうすれば自他ともに功徳を受ける」と訴えた(1994年3月21日、東京牧口記念会館で)

東北栄光総会、第1回宮城県総会での池田先生のスピーチ
広布へ戦い続ける人間が「仏」

「まことの時」に戦う信心が肝要

 本日の栄光総会には、宮城、秋田、山形、福島、岩手、青森の代表、千七百五十人が、遠いところ元気に集ってくださった。きょうはすばらしい晴天。東北の皆さま、本当におめでとう。ご苦労さま。(拍手)
 この席をお借りし、あらためて、昨年の冷害に心からお見舞い申し上げます。
 きょうはまず、私が心に刻む「開目抄」の一節を拝したい。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(全234・新117)
 ――われならびにわが弟子は、諸難があっても疑う心がなければ、必ず自然に仏界にいたるであろう。諸天の加護がないからといって、(法華経の大利益を)疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。わが弟子に朝に夕に、この事を教えてきたけれども、疑いを起こして皆(信心を)捨ててしまったのであろう。信心のつたない者の習いは、約束した事をまことの時(諸難が起こった時)に忘れるのである――。
 「まことの時」――その時にこそ立ち上がり、敢然と戦っていく。その人は「自然に仏界にいたるべし」と大聖人は仰せである。
 諸難を乗り越え、戦い続ける人こそが「仏」になる。ここに重大なポイントがある。
  
 「仏」とは何か。また釈尊は、なぜ仏になれたのか。
 最高峰の仏教学者とされる中村元博士。東洋哲学研究所でも、たいへんお世話になっている方である。その博士が、こう論じておられる。
 「ブッダ(=覚者)となったあとでも、かれ(=釈尊)は依然として人間であった」(『ゴータマ・ブッダ――釈尊の生涯』、『中村元選集』11所収、春秋社)
 仏となっても、悩みもあれば苦しみもある。病気もする。魔の誘惑があることにも変わりはなかった。
 「だからブッダたることは、誘惑を斥けるという行為それ自体のうちに求められねばならぬ。不断の精進がそのまま仏行なのである。さとりを開いて『仏』という別のものになるのではない」(同前)と。
 誘惑とはすなわち「魔」「悪知識」。仏道修行を妨げる力、不幸へと導く力、和合僧を破壊する力、退転へと誘う力である。
 この魔と不断に戦い続ける。人々を救うために、行動また行動を続ける。その「人間」が「仏」なのである。

仏とは「人間」、最高に強き「人間」

 仏といっても特別な存在ではない。戦い続ける心が「仏」、行動し続ける姿が「仏」である。魔と戦いきる人が「仏」なのである。
 釈尊の菩提樹の下での悟り、末法では日蓮大聖人の竜の口での発迹顕本――別しては、そういう姿であられるが、それも「人間」としての究極の姿である。決して「人間」以外の何か特別の存在になったわけではない。凡夫のままで仏界(極果)に達していく凡夫即極が、仏法の真髄なのである。
 そして総じては、仏道修行に励み、広宣流布へ真正面から戦っていく――その人の信心にこそ「仏」は現れてくる。
 「まことの時」に戦わない人間は偽善者であり、臆病である。そこには仏界はない。地獄しかない。修行もなく、広布のための不惜の行動もなく、「特別に自分だけが悟った」ということはありえない。
 日顕宗では、“法主”になれば即“大御本尊と不二の尊体”“現代の大聖人様”などと言う。(爆笑)袈裟をつけたとたん、如来の使いになるかのごとく言う。(爆笑)
 全部、まやかしにすぎない。広布に戦わない者、いわんや広布を破壊する者が仏になれるはずがない。すべて反仏法の言である。(賛同の大拍手)
  
 今、皆さまは、多くの人の悩みをわが悩みとして、戦っておられる。まことに尊い仏の振る舞いであられる。
 大聖人は「始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」(全1182・新1616)――始めも、途中も、最後も、一貫して妙法を捨てず、大難にも信仰を貫く人は、如来の使いである――と。
 広宣流布をする以上、大難は必ず起こる。大難があってこそ、自身の信心を固め、仏界を固められるのである。
  
 きょう、東京牧口記念会館を初めて訪れた方が多いと思う。「この会館よりも、もっと大きな家を建てよう」と決意した人もいるかもしれない。(爆笑)
 それはそれとして(笑い)、広布に走る「躍動の生命」「行動の生命」をもった人は、その何千倍もの“心の宮殿”に住んでいるのである。その心意気で、ますますのご活躍をお願いしたい。

法華経は随自意に説かれた経

 とくに青年部の諸君に、語っておきたい。
 仏法には「随自意」と「随他意」がある。随自意は、人々の機根にかかわらず、仏法の真実の法理をそのまま説くこと。随他意は、人々の好みや機根に合わせて説くことである。
 法門のうえで見ると、法華経は、随自意の“真実の”教えである。法華経以前の爾前経は、随他意の“仮の”教えである。
 随自意の教えこそ、成仏の法門である。随他意の教えに、人を成仏させる力はない。大聖人の仏法は、随自意のなかの随自意の法門である。
  
 「随自意御書」というお手紙がある。「衆生身心御書」の別名である。法華経は随自意の経であることを、強く述べられている。
 初めに随他意のことを、こうたとえられている。
 「譬へばさけもこのまぬをやのきわめてさけをこのむいとをしき子あり、かつはいとをしみ・かつは心をとらんがために・かれにさけをすすめんがために・父母も酒をこのむよしをするなり、しかるを・はかなき子は父母も酒をこのみ給うとをもへり」(全1590・新2040)
 ――たとえば、酒など好きではない親に、とても酒が好きな最愛の子どもがいるとする。子どもを愛するがゆえに、また子どもの心をひきつけるために、子どもに酒をすすめようと、父母も酒が好きなふりをする。それなのに、愚かな子どもは、父母も酒が好きなのだと思う――と。
 「親」とは仏、「子」とは衆生、「酒」とは、真実でない仮の教えのことである。
 衆生の好みに、ただ随うだけで、真実の法を説かなければ、衆生は愚かなままである。真実でないものを真実だと思い込んでいる。
 衆生に合わせるゆえに、どこまでいっても「衆生の心をいでず」(同ページ)――凡夫の境涯を出ることはない――と。
 随他意の法では、永遠に仏界の境涯には導けない。本当に人を救うことはできない。人を幸福にできない。それでは何のための仏法か。
 随他意の経は、ただ法華経に導くためだけに意味がある。随自意の意義に背いて、随他意の経を用いることは法華経の死である。転倒であり、正法の信心の破壊となる。恐ろしいことである。
  
 次に、随自意について仰せである。
 「法華経と申すは随自意と申して仏の御心をとかせ給う、仏の御心はよき心なるゆへに・たとい・しらざる人も此の経をよみたてまつれば利益はかりなし、麻の中のよもぎ・つつの中のくちなは・よき人にむつぶもの・なにとなけれども心も・ふるまひも・言も・なをしくなるなり」(全1591・新2040)
 ――法華経というのは、随自意といって、仏の御心を説かれたのである。仏の御心はすばらしい心なので、たとえ、仏法の道理をよく知らない人であっても、法華経を読みたてまつれば、利益は計り知れない。
 たとえば、麻の中に育つよもぎ、まっすぐな筒に入れた蛇がしぜんにまっすぐになり、よき人々と仲良くするする人は、しぜんに心も、振る舞いも、言葉づかいも、正しく、まっすぐになるようなものである――。
 仏のすばらしい心に、そのままふれさせれば、自然のうちに、よく感化されていく。そして、たとえ理解はおよばなくとも、妙法を唱えれば無量の功徳を受けていける、と教えられている。

「随自意」で堂々と広宣流布を

 創価学会は、尊貴なる仏勅の教団である。そのすばらしさを、ありのままに随自意で示していけばよい。そうすれば自他ともに功徳を受ける。
 ある方面の副会長から手紙が届いた。
 「最近は、どうも、かっこうにとらわれ、上手にうわべをつくろっていこうという傾向が見られる。それは折伏精神でも学会精神でもない」「今こそ、真っ正面から、堂々と、世界最高の創価学会の偉大さを叫びきっていくべきではないか」と。(賛同の大拍手)
  
 芸能のことなら芸能評論家が知っている。スポーツのことならスポーツ界の人に聞くべきである。科学のことなら科学者がくわしい。それぞれに専門用語も使い、その解説もする。
 そして最も大切な、真実の仏法哲学を知っているのは私どもである。
 「仏法のことなら私たちに聞きなさい」「仏法用語も、私たちが教えてあげます」「創価学会にのみ、真実の仏法は脈動している」――この大確信があるからこそ、学会は王者であり、大将軍なのである。(拍手)
  
 言うまでもなく、随自意を根本としたうえで、時に応じて随他意の行動が必要な場合もある。
 大聖人も「四悉檀を以て時に適うのみ」(全537・新640)と仰せである。
 (①世間の願いに従って法を説く「世界悉檀」②相手に応じて説く「為人悉檀」③相手の悪を断つ「対治悉檀」④真理をただちに説く「第一義悉檀」の四つの教法。①②が随他意、③④が随自意である)
 社会の変化、特質、伝統、人々の理解度に応じて、仏法が“心に入る”よう、知恵を使っていくことは当然である。その努力なくして広宣流布はない。
 また、仏法の人間主義に基づき、あらゆる角度で、平和・文化・教育の次元で、社会に大きく貢献していくことは当然である。その大運動の根本となるのが、随自意の実践であり、「人々を救おう」「絶対に幸福にしよう」という慈悲の行動なのである。
  
 随自意でいけば、当然、反発もある。大聖人も、あらゆる迫害を一身に受けられた。
 随他意であれば大難はなかった。あえて随自意で進み、難と戦い、難を乗り越えて仏になっていくのが、大聖人の仏法なのである。
 最初は反発があっても、妙法を説き聞かせたことが因となって、反発した人も、将来は必ず成仏できる。これを「毒鼓の縁」という。仏法に無知な世間に迎合し、見栄を張って、言うべきことも言わないようでは、毒鼓の縁すら結べない。結局、無慈悲なのである。
 一切の根本は、随自意で広布に進みゆく「勇気」である。これが大聖人、日興上人の教えである。そして牧口先生、戸田先生の大精神なのである。
 勇気が慈悲に通じ、勇気は知恵に通じる。
 「臆病にては叶うべからず」(全1193・新1623)――臆病であっては何事もかなわない――との大聖人のお言葉を、今こそ、眼を開いて拝さねばならない。

初めて世界一周した日本人

 ところで、初めて世界を一周した日本人はだれか。それは、東北の人であった。(拍手)
 この興味深い問題について、創価大学の加藤九祚教授が書かれた本(『初めて世界一周した日本人』新潮選書)がある。教授は、シルクロード研究の大家として、たいへんに著名な方である。
 第二次大戦後、五年間、シベリアで抑留生活を送られた。二十代の青春時代であった。教授は、抑留生活にも負けず、むしろ、それをバネに、ロシア語を学ばれた。そして学問の道で第一人者となられた。ロシア科学アカデミーの名誉歴史学博士でもあられる。
 このように、苦難を跳躍台として立ち上がってこられた方は多い。それを思えば、今は恵まれている。その分、まっしぐらに広宣流布に活躍しなければもったいないと私は思う。
  
 さて、初めて日本で世界一周をした東北人。時は江戸時代の中期、一七九三年。約二百年前のことである。
 石巻(現・宮城県石巻市)の船乗り十六人を乗せた船が、嵐にあって漂流。約半年後に、ロシアのある島に流れ着いた。ここから、彼らの“世界の旅”が始まった。
 東北の人は強い。東北の人はたくましい。
 彼らは、ロシア人の案内で、広大なロシア、ヨーロッパを横断した。今のように鉄道などない時代のことである。
 残念なことに、途中、病気などで亡くなった仲間もいた。ロシアの人が、ともに悲しみ、ともに泣いたという。情に厚い人たちであった。
 もう日本に帰れるかどうかもわからない。日本は、あまりにも遠かった。しかし、彼らはたくましく生きぬいた。これほどの大きな不幸のなかで、彼らは決心した。
 “ロシア語を勉強しよう”“この新天地でロシア人と友情を結ぼう”“新しい人生をロシアでつくろうじゃないか”
 「ピンチこそチャンス」である。どこに行っても、その場が「寂光土」である。
 愚痴を言っても何も変わらない。嘆いていても、何も生まれない。その時、その場で“何かをつかもう”“勉強しよう”“健康になろう”“豊かな人生を生きよう”――そう決めれば勇気がわく。希望がわく。知恵がわく。
 いわんや、妙法をたもった人は、必ず一切を変毒為薬できる。

交流を通し一流の国際人に

 彼らのうちの四人が、「日本へ帰りたい」と皇帝のアレクサンドル一世に願い出た。願いは聞きいれられた。
 彼らは、ロシアからヨーロッパを経てアフリカへ、そして南アメリカへ、太平洋の島々へ――世界を一周して日本に帰国した。漂流してから、じつに十一年後のことであった。
 (ロシアのサンクト・ペテルブルグを船で出発、デンマークのコペンハーゲン、イギリスのファルマス、スペインのカナリア諸島、大西洋を横断して南米最南端のホーン岬、さらに太平洋を横切ってハワイ、カムチャッカ、そして長崎にたどりついた)
 旅のなかで、彼らは当時の世界の一流の人々と交流しながら、見聞を広めていった。帰国後、その話が一つの記録にまとめられた。(大槻玄澤・志村弘強『環海異聞』叢文社)
 当時、日本は鎖国下にあった。記録を目にした人々は、驚いたにちがいない。“世界とは、こうなっているのか”と。
 あたえた影響は、大きかったといわれる。やがて来る近代日本の夜明け――その一つの糸口をつくったのが東北人であった。(拍手)
  
 本年五月、東北をはじめとする交流団がロシアに派遣される。(東海道、中部、北陸、四国、九州、沖縄、岡山青年部の代表も参加)。東北とロシアとの縁はたいへんに深い。おめでとう!(拍手)
 また、東北は歴史上、たくさんの“国際人”を生んできた。伊達政宗に派遣され、ローマなどを旅した支倉常長。
 “太平洋の懸け橋”新渡戸稲造博士。岩手の出身である。博士は牧口先生の友人であり、『創価教育学体系』に序文を寄せられている。
 昨秋、博士を記念したカナダ・バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学内の庭園も、学長の案内で見学させていただいた。
 さらに、黄熱病の研究で有名な野口英世博士。福島の出身である。福島の皆さん、福島研修道場の建設も、おめでとう。(拍手)
 先日(三月十六日)、私が大統領のドゥラン・バジェン氏とお会いした中米のエクアドルにも、野口博士は行かれている。エクアドルには博士の名を冠した学校や、道路もあるという。
 そうした先覚の歴史のうえから、皆で「新しき東北」「世界の東北」を――こういう合言葉で、伸び伸びと前進していただきたい。
 「希望」は無量である。「希望」は無限である。

戦っていること自体が幸福

 先ほど、ご紹介した加藤教授は、戦時中、東北の地におられたことがあった。
 とくに石巻には格別の思い出をもっておられるという。一昨年、この本の執筆中にふたたび訪問されたところ、石巻の見違えるような発展の姿に驚かれた。(拍手)
 どうか、すばらしき東北で、何があっても、「戦っていること時代が幸福」「戦っていること自体が勝利」「戦っていること自体が栄光」――こう決めて、頑張っていただきたい。「冬は必ず春となる」に決まっているのだから。
 きょうは見事な実証を示された各県、各地域の代表も参加されている。皆、本当によく頑張られた。東北の活躍は今、最高です。(拍手)
  
 最後に、和歌をお贈りしたい。
  
 偉大なる
  東北勝ちたり
    築きたり
  万年までも
    崩れぬ城をば
  
 厳寒の
  彼方に春の
    花咲かむ
  三世の生命は
    満開なるかな
  
 耐え抜きた
  人に勝れる
    ものはなく
  勝利と栄光
    我が家を飾らむ
  
 きょうは、ナポレオン広場など、ゆっくりと自由に散策してください。ありがとう! ご苦労さま! また東北にまいります。
 (東京牧口記念会館)

活躍する青年部の代表を紹介

宮城 宮城野本陣区・萩野部 松田洋一さん 総区男子部書記長(区男子部長兼任)

試練を勝ち越え人生開く

 24歳の時、不況のあおりを受け、家業をたたむことを余儀なくされた。
 当時、友人に弘教を実らせるなど、男子部の活動に励んでいた。
 “なぜ、こんな状況に……”と、うつむいた。
 心を支えてくれたのは、同志だった。「絶対、負けてはいけない。信心で乗り越えようよ」。真剣に励まし、共に祈り、温かく寄り添ってくれた。
 その真心に背中を押され、“必ず人生を開く”と奮起。それまで以上に広布に走る中、現在勤務する建設ファスニング商社への転職を13年前に果たした。
 震災後の復興工事で、仕事は多忙を極めた。がむしゃらに働き、毎年、売り上げ目標を達成し続けた。そして、本年1月、仙台営業所長に昇格した。
 広布の舞台では、率先の折伏はもちろん、“後輩を自分以上の人材に”と、共に仏法対話に奔走。新たに弘教を結実する友が一人また一人と誕生した。
 「楽しく広布に戦い続けていく――その中で、最高に充実した人生が築けると今、確信しています」

青森 三沢圏 小瀬川楓華さん 華陽リーダー

心に寄り添う看護師に

 小学生の頃、インフルエンザで入院した。その時、優しく接してくれた看護師の姿に感動し、看護の道を志した。猛勉強の末、創価大学看護学部へ進学。卒業後は東京の公立病院に勤務した。
 願っていた看護師の使命だったが、コロナ禍での激務は想像以上だった。現実の中で理想の医療を追い求めることの難しさに悩んだ。両親の勧めもあり、退職して青森へ戻った。
 1年前、小瀬川さんは、再び看護師として働き始めた。対人関係に行き詰まり、毎日の勤行・唱題に挑戦。消極的な性格で意見を伝えることが苦手だったが、真剣な祈りを重ねると、心境に変化が起きた。同僚への向き合い方が変わり、多忙な中でも綿密に連携を取り、業務を円滑に進められるようになった。
 学会活動では、華陽カレッジの企画・運営などにも尽力。さらなる成長を目指し、広布の最前線を走る。
 「華陽姉妹と共に活動できる喜びを胸に、患者さんの“言葉にならない心の声”に寄り添える看護師を目指し、挑戦を続けていきます」

山形県学生部第1部 星丞太郞さん グループ長

本音で語らい真の友情を

 大学進学を機に地元の宮城を離れ、山形へ。学生部の活動を通して信心を深めてきた。
 転機は1年生の冬。東北学生部の人材育成グループ「新世紀若鷲会」の一員になった。しかし、折伏を大きな壁だと感じた。挑戦しようとするものの、嫌われるのではないかとの不安が募った。
 それでも、対話に励む同期の姿に“自分も頑張ろう!”と一念発起。大学の友人へ学会宣言すると、表情が曇ったように見え、それ以上話せなかった。“次はもっと語ろう”と意気込んだが、踏みだせない日々が続いた。
 「このまま終わっていいのか!」――先輩の言葉に背中を押された。真剣に祈る中、“友人に幸せになってほしい”との思いが強くなり、対話に挑む勇気が湧いた。
 1月、先輩と共に友人と仏法対話。誠意を尽くして語ると、その友は抱えていた悩みを打ち明け、真剣に向き合ってくれた。本音をぶつけ合うことで、一層仲が深まり、友人は「また話を聞きたい」とも。
 「折伏して本当に良かったです。これからも、真心の対話を重ねていきます」