〈読書は人生を開く扉――創価大学「池田文庫」をひもとく〉第15回 魂なき死んだ形式と戦うのは常に一人立つ心の青年2024年3月21日

  • 創価大学文学部准教授 熊田岐子
  • 哲人エマソンと若き創立者

 “創立者の若き日の読書”をテーマに創価大学での授業を巡る本連載は、今回が最終回。戸田先生が池田先生に「しっかり読みなさい」と語った哲人エマソンの思想を巡って、創大文学部の熊田岐子准教授に聞く。池田先生は、10代から親しんだエマソンを、60代で臨んだ2度にわたるハーバード大学講演で縦横に引用し、日蓮仏法の可能性を切り開いた。自ら創立した創価教育にもエマソンの思想は影響している。戸田先生は、なぜ愛弟子にエマソンを勧めたのか――「創価の師弟」の生きる道と、アメリカ・ルネサンスの雄が求めた「魂の独立」と。時を超えた共鳴を読み解く。
 

 ――創価大学では学生が『ハリー・ポッター』を読み、英語で演じるというユニークな講義が人気だそうですね。
  
 熊田 皆で工夫をして朗読劇をするのですが、学生は魔法の演出にまでこだわって演じています。自分たちの文学の解釈をどういうふうに伝えたらいいかを考えながら、英語空間を体験していく教育法です。アメリカの小説家ナサニエル・ホーソーンの児童文学『ワンダー・ブック』(1851年)などを研究していたこともあり、世界中の子どもたちが楽しむファンタジーには、時を超えて、世代を超えて親しまれる言葉の力を感じます。
  
 ――ホーソーンと同時期に活躍したアメリカ・ルネサンスの旗手に、哲学者であり、牧師だったエマソン(ラルフ・ウォルドー・エマーソン)がいます。池田大作先生は、恩師である戸田城聖先生から、「エマソンは、しっかり読みなさい」と言われたそうです。なぜ、戸田先生は、エマソンを読むように勧めたのでしょうか?
  
 熊田 まず、多くの明治期以降の知識人たちが、エマソンを読み込んでいたということが挙げられます。エマソンが存命中(1803~82年)の1879年には、すでに東京大学で『エマソン論文集』に関しての講義が行われています。94年には、評論家の北村透谷がエマソンの伝記を発刊しており、その思想と生涯は広く受け入れられていきました。
 エマソンはヒンズー教や仏教、儒教などを学び、東洋思想から強い影響を受けていました。エマソンと弟子のソローが編集に携わった雑誌「ダイアル」には、世界初の英訳といわれる法華経が掲載されたこともありました。「神はすべての人の中にいる(God is in every man)」という言葉を日記に記してもいます。
  
 ――確かに、そのエマソンの言葉は、仏教の「すべての人の中に仏性がある」という思想に通じているようです。革新的なエマソンの思想に日本の知識人も注目し、また、戸田先生も着目していたということですね。
  
 熊田 エマソンの「神はすべての人の中にいる」という思想は、革新的であったが故に、当時のキリスト教会(ユニテリアン派)からは受け入れられませんでした。多くの批判を受け、エマソンは牧師を辞任することとなりますが、それでも彼の信念は揺るぎませんでした。思想を貫くエマソンの姿と、軍国主義の弾圧に屈しなかった戸田会長の姿を重ね合わせることで、「一人立つ」精神を奮い立たせてほしいという恩師の心だったのではないかと推察します。
 

民主主義の可能性に心を砕いた人々

 ――牧口常三郎先生、戸田先生は、戦時中、宗門から神札を受けるように言われましたが、敢然と拒否をしています。治安維持法違反、不敬罪で牢獄にとらわれましたが、牧口先生は屈することなく獄死。戸田先生も恩師と共に獄中闘争を貫きました。その創価学会の歴史と重ね合わせたからこそ、戸田先生は、池田先生にエマソンを読むようにと勧めたんですね。
  
 熊田 戸田会長がエマソンを勧めた意義をより鮮明に理解するためにも、エマソンの生き方を見ていきます。エマソンは、「アメリカ・ルネサンスの旗手」といわれます。アメリカ・ルネサンスとは、ヨーロッパへの依存を脱してアメリカ独自の思想を追い求めた文学運動のことです。代表的作家として、エマソン、ソロー、ホイットマン、メルヴィル、そして私の研究対象でもあるホーソーンがおります。5人の作家の共通性は、「民主主義の可能性に心を砕いた」ことであるといわれています(マシーセン著『アメリカン・ルネサンス』)。
 超絶主義者のエマソン、ソロー、ホイットマンは人間の「光」を探求し、ホーソーンたちは人間の「闇」を探求したと通説ではいわれております。ただ補足しておきますと、たとえば私の研究するホーソーンの児童文学『ワンダー・ブック』などには、女性や子どもの明るい性質が描かれており、人間の「光」に焦点を当てているといえます。
  
 ――エマソンは、人間の「光」の側面、人間の内側にある「神」に着目したのですね。仏教の説く「仏性」に当たるといえるかもしれません。
  
 熊田 エマソンは、代々、牧師を務める家系に生まれました。8歳の時に牧師であった父を亡くし、苦しい生活を送ります。母や叔母から、読書の大切さを学び、勤勉な少年時代だったようです。ハーバード大学の神学部を卒業。ボストンでユニテリアン派の聖職者となり、彼の雄弁さは、多くの人を引きつけていきます。
 この時期の日記には「私たちの中の神が、神を礼拝する」との一文があります。「神はすべての人の中にいる」という思想は、もうすでに芽吹いていました。その後、教会の形骸化に対してエマソンは批判を強めていき、1832年には牧師を辞任します。
 『完本 若き日の読書』で、創立者は「当時の教会には、権威によって課せられた『死んだ形式』が、根強くはびこっていた。また、孜々として集う貧しき人びとを見下すような空気も一部にあった。枯れ葉のごとく生命を失ったみせかけの儀式ばかりで、自発的な瑞々しい信仰の精神は、すっかり色褪せていたのである」と記しています。エマソンの思想とは、正反対の「権威主義」の姿でした。
  
 ――池田先生が『完本』でエマソンを論じたのは、「第2次宗門事件」の渦中です。1991年11月28日、「衣の権威」で創価学会を意のままに操り、支配しようとした宗門が創価学会に破門通告書を送ってきました。「魂の独立記念日」です。先生は、その2日後、「世界宗教の条件」が「『信徒参画』『信徒尊敬』の平等主義」「『儀式』中心ではなく『信仰』中心」であることを宣言しています。これらはエマソンの主張とも響き合っているように感じます。
  
 熊田 いま、おっしゃった「魂の独立」は、一宗教団体の話にとどまらない、1990年前後の「世界史」を特徴づけるキーワードの一つかもしれません。東西の「冷戦終結」は1989年の12月。南アフリカのアパルトヘイト廃止は1991年でした。
  
 ――たしかに、チェコスロヴァキアのビロード革命(1989年)や東西ドイツの統一(1990年)など、世界史の教科書に載る出来事が立て続けに起きました。
 
 熊田 日本初のセクハラを巡る裁判が始まったのは1989年でした。国家間の差別や、人種差別、男女差別を乗り越えよう、それまでの「パラダイム」を変えよう、と大きく世界が動いた時代だったといえます。
 

アメリカの思想家エマソン。権威的な宗教と戦い、人間の尊厳を訴えた。リンカーン大統領と共に、「奴隷解放」のために戦ったことでも知られる(写真:Mary Evans Picture Library/アフロ)

アメリカの思想家エマソン。権威的な宗教と戦い、人間の尊厳を訴えた。リンカーン大統領と共に、「奴隷解放」のために戦ったことでも知られる(写真:Mary Evans Picture Library/アフロ)

“教会は今にも倒れそうです”

 熊田 エマソンの思想は、有名なハーバード大学の講演に現れています。神学部の卒業予定者たちに向かって、エマソンは率直に訴えています。
 「魂のことを説く説教者は皆無です。『教会』は、いのちの火もほとんどすべて消え失せて、ぐらぐらといまにも倒れそうに思えます」(酒本雅之訳『エマソン論文集』)
 舌鋒鋭く教会を批判したエマソンは、30年間にわたりハーバード大学神学部での講演を禁止され、教会からも事実上、追放されます。
  
 ――宗門の愚劣な「破門」と同じですね。
  
 熊田 神学部講演には、エマソンが「神」を「法則」として捉えていることが読み取れる表現があります。
 「心の地平にみなぎりわたる道徳的情感の曙光は、『法則』がすべての自然を支配する君主だという保証を与えてくれますし、それ自体が保証でもあります。そしていっさいの世界が、時間が、空間が、永遠が、とつぜんいっせいに歓喜に包まれるように思えるのです」
 ソローも『市民の反抗』において、「高い法則」という言葉を用いています。
 「私はひとから強制されるように生まれついてはいない。自分の流儀で呼吸するつもりである」「私よりも高い法則に従うひとたちだけが、私を強制することができるのだ」(飯田実訳『市民の反抗』)
 エマソンはさらに、聖職者の卵である学生たちに叫びます。
 「説教者のこの偉大な永遠の職務(※編集部注 魂のことを説くこと)は果たされていません。説教とは、道徳的情感が人生のさまざまな義務に適用されるさまを語ることです。いったい幾つの教会で、いったい何人の預言者によって、人間は、自分が限りない『魂』であること、天も地も絶えず彼の精神のものになっていること、自分が絶えず神の魂を飲みこんでいることを知らされているでしょうか」
 聖職者の使命を忘れるなと力強く訴えているのです。神学部の講演で、このように発言すれば、自身に批判が集中するのは明らかなことでした。事実、エマソンは「不信心者」「異教徒」「危険分子」「狂犬」などと口を極めてののしられることとなりました。
 

創大中央図書館に所蔵されているエマソンの著作

創大中央図書館に所蔵されているエマソンの著作

「内発的なるもの」を求めた「読書ノート」

 ――池田先生は1991年と93年の2度、ハーバード大学で講演をされています。どちらの講演でも、エマソンの言葉を引用しました。ハーバード大学を追放されたエマソンの言葉を、あえて紹介したわけです。池田先生の立場をアメリカのコンテクスト(文脈)で語る上で、エマソンの思想こそがふさわしいと思われたのかもしれません。
  
 熊田 創立者は、18歳や19歳の若き日からエマソンを愛読しています。『完本 若き日の読書』に収録されている「読書ノート」には、当時、創立者が抜き書きしたエマソンの言葉が三つあります。
 一つ目は、「情熱は青年のために全然この世界を改造して仕舞ふ」
 文字通りに読めば、青年の情熱は世界を動かすということになります。
 「恋愛論」の部分に書かれた言葉ですので、心のときめきが世界を違ったように見ることを可能にする、という意味でもあります。
  
 ――仏法でも、「仏眼」「心眼」などありますが、境涯によってものの見方が異なるということですね。
  
 熊田 エマソンの恋愛論は、日本では北村透谷に大きな影響を与えました。評価が分かれますが、家同士の結婚が当然の時代に、自由な感情の発露としての恋愛は男女同権への一歩となったと分析する人もいます。
 二つ目は、「勇壮論(Heroism)」から。「勇壮は、全人類の声に背馳して働き、暫くまた、偉人善人の声に背馳して働くものである。勇壮は個人性に湧く秘奥の衝動に対する服従である。勇壮の思慮にかなへるは、到底その当の人の思ふ程に他人には見えないものである」
 背馳とは、背き離れることです。勇壮は、勇ましいさま。
 難解な文章ですが、「勇壮は、全人類の声に背いて離れ、また、偉人善人の声に背いて働くものである。勇壮は、内なる声への服従である」という意味です。
 エマソンは、ユニテリアン派教会の形骸化に反対して牧師を辞め、一人で宗教の在り方を叫んでいきました。たとえ、全人類の声と違ったとしても、教会の教義と異なったとしても、自分自身の「内なる声」に従って、「一人立つ」精神で進むことが「勇気」であり、「勇壮」であるということです。このエマソンの精神に、青年時代の創立者は共感したのではないかと思います。
  
 ――エマソンが「一人立つ」精神で戦い抜いたことは、これまでのお話でもよく分かりました。
  
 熊田 三つ目は、「人間が正義を守れば、守るほど、神に近くある。神の豊饒、不死、偉大は、正義と共に人間の中に入って来る」というものです。
 このエマソンの言葉は、トルストイの『人生読本』からの引用のようです。文豪トルストイがエマソンの言葉を書きとどめ、出版した本に収録されています。
 エマソンにとって、正義は、「人間の中」にある、つまり内発的なるものでした。人の中の内発的なるものに従えば、宇宙の普遍的な法則が人と呼応するという意味だと推察します。創立者は、「『内発的なるもの』とは、どこまでも『人間』を、ひいては『生命』を根本に据える透徹した眼差しであり、そうした視座を片時も手放さない逞しき哲学」だと指摘されています(『完本 若き日の読書』)。
 

ハーバード大学で講演する池田先生(1991年9月)。「ソフト・パワーの時代と哲学」と題した講演では、内発の力を育む哲学の復権を強調するとともに、“内発的なるもの”を志向したエマソンの言葉を紹介。講演の最後には、友情をたたえるエマソンの詩の一節を贈った

ハーバード大学で講演する池田先生(1991年9月)。「ソフト・パワーの時代と哲学」と題した講演では、内発の力を育む哲学の復権を強調するとともに、“内発的なるもの”を志向したエマソンの言葉を紹介。講演の最後には、友情をたたえるエマソンの詩の一節を贈った

エマソンの思想を行動に転化した人

 ――なるほど。池田先生は若き日から、エマソンの「一人立つ」精神や、「内発的なるもの」に神を見る思想に共鳴していたことが見えてきました。
  
 熊田 私がもう一点、指摘しておきたいのは、創立者とエマソンの「教育論」の共通性です。日本では、創価大学開学の1971年に『人間教育論』(市村尚久訳)が出版されました。くしくも「人間教育」という同じ言葉で創価大学とエマソンの教育論が響き合っています。『人間教育論』には、教育の無償化、人間尊重、規則に縛られた教育の形骸化などについて述べられています。
 「人間に善なるものが内在するかぎり、免れることのできない永遠の青年にたいする私の全信頼をいやがうえにも深めることにほかならない」
 「子どもを尊重せよ。子どもにたいし、あまりにも親であることをふりかざしてはならない」
 「しかも、あなた自身をも尊重せよ。子どもの考え方にたいしての仲間であり、子どものもつ友情にたいして友であれ」
 子どもを一個の人格として尊重する。そして、親である自分自身をも尊重することが人間教育の要です。牧口常三郎初代会長も、軍国主義の時代に子どもの幸福こそが教育の目的であると断言していました。
  
 ――親自身の姿勢を考え直す良い言葉ですね。「親であることをふりかざしてはならない」というのは、いつも心にとどめておかないといけません。
  
 熊田 『若草物語』を書いたルイザ・メイ・オルコットの父であるブロンソン・オルコットは、エマソンの思想に影響されて、学校を開きました。『若草物語』は、アニメやドラマなどで有名なのは前半部分の四姉妹の生活なのですが、後半部分は、作者の父が開いた学校をモデルとした学園物語なのです。
 オルコットの学園は、アメリカでペスタロッチ(18世紀スイスの教育者)の教育学を実践する学校として創立されました。子どもたちの個性や能力を温かな愛情で伸ばしていく人間教育を理想としていました。
 エマソンの教育哲学は、後世にも影響を与え、創立者のエマソン受容を通じて創価教育のなかでも息づいていると思います。
 まとめますと、創立者は二十歳前後でエマソンを読み、「一人立つ」精神や内なる善性を受容していきました。第2次宗門事件においては、「魂の独立」として権威主義への対抗の原動力となりました。ハーバード大学での講演に代表されるように、池田哲学は、エマソン哲学を通じてアメリカをはじめ世界へと普遍性をもって発信されました。
 そして、創価大学、創価学園などの教育機関において、子どもたちの幸福のための人間教育が実践されています。エマソンの思想をこれほど価値あるものとして受容し、行動へと転化してきた実践者として、創立者は傑出した存在であるといえます。
 

◎池田文庫の一冊 ディケンズ「二都物語」◎

 ディケンズの『二都物語』は、戸田先生のもとに女子部(当時)の代表が集った「華陽会」で、最初の教材になった一冊である。戸田先生は参加者たちに、読みたい本を尋ねた。多くの候補の中に『二都物語』があった。
 
 「……初めに、ディケンズの『二都物語』から始めたらどうだろう。これはフランス革命を扱ったものだから、いろいろな問題提起には、きっと都合がよい。今度の華陽会までに、全員、読んで来なさい。読まないで来るようでは、華陽会会員は失格です。いいね!」(小説『人間革命』第7巻「翼の下」の章)
 
 ◇
 
 「二都」はロンドンとパリ。時代はフランス革命。描かれるのは権力の非道と、革命の狂気。これまで散々な目に遭ってきた民衆が、憎悪をエネルギーに突き進み、自分たちの上にのさばってきた貴族たちに復讐する。処刑につぐ処刑……。
 
 革命の名の下に、復讐の鬼と化した一女性の執念も描かれる。「良心」か「保身」か、生死を分ける決断を迫られる若き貴族の心も描かれる。物語はある人物の“究極の自己犠牲”で幕を下ろす――。
 

ディケンズが著した『二都物語』など(創大中央図書館所蔵)

ディケンズが著した『二都物語』など(創大中央図書館所蔵)

 
 『二都物語』の読者は、武力による革命がどれほど多くの人々に、どれほど悲惨な死をもたらすかに思い至る。フランス革命はギロチンに象徴されるように、血まみれの革命でもあった。戸田先生は「人間革命」の大道を歩み始めた青年リーダーたちに、本書を通して何を語ったのか。池田先生の指摘から、その一端がうかがえる(以下、『池田大作全集』第111巻から)。
 
 一つは「みずからを犠牲にして永遠の愛に生きるという、宗教的な信念」。もう一つは「『レッテル張り』の恐ろしさ」である。
 
 「敵味方をはっきり分けたうえで『どちらかを選べ』」という「レッテル張りを行うことで、人間の暗い情念を燃え立たせる。一種の歪んだ闘争心をあおり立てる――絵にかいたような『狂信』の構図です。しかし、もし革命が、そうした情念の世界におちいるならば、どんなに高尚な大義や理想を掲げようとも、その精神は、すでに死んでいます。また、必ず破綻せざるをえないでしょう」と。
 
 私たちが取り組む「人間革命」運動は、政治や経済の次元ではない、生命の次元での、誰もやったことのない未聞の革命である――このことを実感をもって教えるために、恩師は一流の小説を読ませ、対話を促したのである。
 
 
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