〈社説〉 2024・3・15 追善回向の意義を考える2024年3月15日

三世永遠にわたる幸福を祈念

 間もなく春の彼岸を迎える。学会では、彼岸の中日に当たる今月20日を中心に、全国の主要会館や墓地公園、納骨堂などで「春季彼岸勤行法要」を営み、亡くなられた同志をはじめ、親族、友人らの追善回向を厳粛に行う。

 「彼岸」とは、仏道修行によって得られる成仏の覚りの境涯を譬えたもので、煩悩の迷いの世界である「此岸」と対比される言葉である。“故人が此岸を脱して彼岸に到達するように”との意義から、日本では年中行事の一つとして法要等が営まれてきた。

 日蓮大聖人は「法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母、仏になり給う。上七代・下七代、上無量生・下無量生の父母等、存外に仏となり給う」(新2026・全1430)と仰せである。

 私たちは、今世での成仏を目指して仏道修行に励む中で無量の福徳を積むことができる。その功徳は、自身のみならず、先祖代々、子孫末代までを包んでいくのだ。

 そして、日々の勤行・唱題で、故人に対して功徳を回向している。その意味で毎日が彼岸であり、「常彼岸」ともいえる。その意義は深い。

 昨年の第12回「きぼう作文コンクール」最優秀賞(自由部門)に輝いた作品には、母のお腹の中で亡くなった妹に対する、少年部員の思いがつづられていた。

 妹が亡くなって7年――時間の経過とともに、妹を忘れることに不安を覚える少年部員。しかし、「追善供養しているので絶対に忘れません。毎日思い出させてもらえる僕は幸せです」と記していた。

 亡き人を胸中に抱き続けることで、尊き自身の生を真摯に見つめていくことができるのだろう。妹の死と向き合うことで、命の尊厳を知った少年の作文の最後には、こうつづられていた。

 「大好きな家族や大事な友達が、命を捨てたり奪われたりすることがない世界をつくりたい」

 池田先生は、彼岸の意義について語っている。

 「仏法の本義に立ち返るならば、『成仏の境涯(彼岸)』へ向かって、自分自身も、そして一家眷属も、より希望に燃えて前進していくことこそが、眼目なのである」

 春季彼岸法要を通して、故人の三世永遠にわたる幸福を祈念し、“亡き人の分まで”と、広布の大道を歩む決意を深めていきたい。