〈BOSAI(防災)アクション――東北大学災害研の知見〉 第1回 栗山進一所長に聞く㊦2024年3月12日

  • 命を守るために意識から行動へ 具体的な「事前の備え」を

 東日本大震災をはじめとする災害の経験や教訓を踏まえつつ、自然災害から人命を守るための最先端の研究を行ってきた「東北大学災害科学国際研究所(災害研)」。その知見を通し、今求められる行動を紹介する企画「BOSAI(防災)アクション――東北大学災害研の知見」では11日付に続き、同研究所の所長で、災害公衆衛生学を専門とする医師の栗山進一氏に、行動変容の重要性などについて語ってもらった。(聞き手=水呉裕一、村上進)

 こちらから、11日付で掲載された㊤の記事をご覧いただけます。

家具類の固定が要

 ――災害多発時代にあって一人一人が自分の命を守るためには、どのような対策や心構えが大切だと思いますか。
  
 災害で命を守るための一番の方法は、どこまでいっても「事前の備え」に尽きます。防災の基本は、まずは自分の身は自分で守ることです。そのためにも、自宅の耐震化や、家具類が転倒・落下しないように固定するなどの対策が必要です。これが大切な「事前の備え」の例です。
 
 東京消防庁は、近年発生した地震で、家具類の転倒・落下などを原因とするけが人が、どの程度いたのかを算出しています。例えば2016年に発生した熊本地震では、一般住宅で29・2%、高層マンションで40%となっています。これは、家具類を固定していれば、けがをしなくて済んだであろう割合と、捉えることもできます。
 
 南海トラフ巨大地震の被害想定地域に住む約5000人を対象にした調査では、大きな災害が起こるといわれている地域にもかかわらず、「家具を適切に固定している」と答えた割合が、極めて低かったことも分かりました。
 
 もちろん自宅の耐震化は大きな費用がかかるため、簡単にはできません。この点は行政の支援も必要でしょうが、家具類の固定は自分の意識次第で行えるものです。しかし、災害時において生存率を左右するほどの重要なことであって、“やらなければ”という意識はあったとしても、なかなか行動に移せていない人が多いのが現実です。  

東京消防庁が呼びかけている家具類の転倒・落下防止対策の例

東京消防庁が呼びかけている家具類の転倒・落下防止対策の例

 ――“やらなければ”と思っていることを、実際に行動に移し、確実に「事前の備え」につなげていく。それだけで自分の命を守る大きな力になるということを感じます。
  
 これまでの災害の教訓をひもといても、命を守るための手立ては、決して特殊なものではなく、特別な技術を必要としないものばかりです。しかし、その対策を“後でやればいい”と先延ばしにしたり、“わが家は対策をしなくても大丈夫だろう”と油断したりしているうちに、災害が起きてしまうというのが現実ではないでしょうか。
 
 実際、東日本大震災での津波犠牲者の調査では、逃げられなかった人だけでなく、“自分は大丈夫だろう”“ここまで津波が来るはずはない”と思い込んで、逃げなかった人が少なからずいたことも、生存者へのインタビュー調査などから分かっています。
 
 逃げられたのに、逃げないという選択をした人がいた事実を見つめ、どうすれば一人一人が意識から行動にまで移すことができるかを考えなければなりません。私は、事前の備えも含めて“できたのにやらなかった”という人をゼロにしたいと思っています。それが災害で誰も命を落とさない社会を築くための、大切な視点だと信じるからです。

近年に日本で発生した地震において、家具類の転倒・落下・移動を原因とする、けが人の割合を示したグラフ(東京消防庁ホームページから)

近年に日本で発生した地震において、家具類の転倒・落下・移動を原因とする、けが人の割合を示したグラフ(東京消防庁ホームページから)

 ――「事前の備え」がなぜ、特に大切だと思ったのでしょうか。
  
 その発想が芽生えたのは、東日本大震災です。
 
 震災が起こる前日まで、私は医師として、人々の健康や命を守ることを目指し、遺伝子レベルの研究を行っていました。しかし、私が守りたいと思ってきた多くの人々の命が、災害によって失われてしまった現実に触れ、“何でこんなに多くの人が犠牲にならなければいけなかったのか”“もっと事前にできることがあったのではないか”との思いに至ったのです。
 
 医学では、病気になってから治療するのではなく、そもそも病気にならないために、どのような方法が考えられるのかを研究する「予防医学」という考えがあります。それと同じ発想で、さまざまな災害の被害を減らすために、どのような「事前の備え」が必要かということを探究する道に進もうと決めたのです。

「健康」との共通点

 ――「事前の備え」が大切とは分かっていても、実際にはできない人も多いと思います。その中で、多くの人が具体的に行動に移すようになるためには、どのようなことが必要だと感じておられますか。
  
 たとえ地道であっても、一人一人が自らの行動を変えていくためには、行動が変わるまで関わり続けるコミュニケーションが重要です。中には、関心がない人もいるかもしれませんが、周囲の命を守るためには、その大切さを伝え続けていくことが必要です。
 
 これは私が医師なので感じることですが、「防災」ということに関心がない人でも、「健康」という話だと耳を傾けてくれる人がいます。防災も健康もどちらも、自分の命を守るということでは、共通の課題でしょう。小さな気づきで構わないので、周囲の人に語りかけ、防災を身近なものとして感じる意識を広げていただきたいと思います。
 
 医学には、コミュニケーションを通して健康への行動変容を起こさせる「ヘルスコミュニケーション学」という分野がありますが、一対一の語りかけは、行動変容を起こさせる上で極めて有効だということが明らかになっています。私は今、それを応用し、防災における行動変容を起こさせるための「防災コミュニケーション学」を確立させたいと考えています。
 
 現代は、一昔前と比べて地域コミュニティーが働いていない場所が多く、コミュニケーションが生まれにくくなっています。その中で、人とのつながりをどう再生し、強めていくかを考えることはもちろんのことですが、まずは意識を持った一人一人が、自分の周囲の人に伝えていくことが大切ですし、将来的にはこの「防災コミュニケーション学」にのっとって、一人一人の行動変容を確実なものとしていけるように、力を尽くしたいと決意しています。

“やって当然”という雰囲気

 ――個人レベルでの働きかけに加え、社会全体でも“耐震化するのは当たり前”というような雰囲気をつくっていくことも大切だと思いますが、そうした方法はありますか。
  
 一つのヒントとして、私は、社会における禁煙や減塩の推進の取り組みが生かせるのではないかと考えています。
 
 今でこそ、公共の場でたばこが簡単に吸える環境ではなくなってきましたが、こうした社会の雰囲気をつくるまでには、長年にわたる地道な取り組みがありました。
 
 1960年代の日本では、脳出血や脳梗塞、くも膜下出血が国民病で、この主な原因の一つが「喫煙」でした。どの職場でも、自分のデスクでたばこを吸うのが当たり前。当時は「病気になったら医者に行けばいい」という発想で、とても禁煙を推進できる雰囲気ではありませんでした。
 
 そんな中、「健康増進法」の施行による分煙の開始をはじめ、自治体保健事業の活用や義務教育との連携、メディアを通じたイメージ戦略、税を活用した経済的誘導など、あらゆる手段を用いて今日までの社会通念を形成していったのです。
 
 減塩の推進も同様で、ようやく「1日10グラム以下の摂取」ということが当たり前になってきました。ここに至るまでは、70年の歳月をかけて社会の当たり前を築いてきた努力があります。
 
 防災も同様で、あらゆる手段を用いて“いつかやらなければ”ではなく“やって当然”という社会的な雰囲気を築いていきたいと考えています。    

犠牲減らす一助に

 ――そうした雰囲気をつくっていくのも、私たち自身であると自覚することが大切だと思います。本紙では今後、災害研に所属する研究者の多彩な知見を紹介します。この企画が、防災行動に移る一助になればと思っています。
  
 一人一人が私の周囲から変えていくとの思いに立てば、日本の防災は変わります。
 
 災害研では、東日本大震災の教訓を未来に伝える取り組みとともに、地震や津波のメカニズムの解析を行って未来に起こる災害でどのような被害が起こるかを事前に把握するための研究や、“いざ”災害が起きた際に人命救助をするためのAI(人工知能)を搭載した災害対応ロボットの開発などを行っています。
 
 また、IoT(モノのインターネット)を活用した災害に強い街づくりの研究や、被害予測をスマートフォンで受信し、位置情報をもとにどう逃げるべきかを示すアプリ開発等も進めています。このほか、非常時の地域コミュニティーのあり方に関する調査や、医学的な見地からの被災者ケアのあり方など、さまざまな分野で日々、災害から命を守るための研究を続けています。
 
 今後、聖教新聞紙上で随時、そうした災害研の研究者が登場し、それぞれの研究内容を踏まえつつ、一人一人にどういった備えや対策が求められているのかを紹介いただきます。
 
 一人でも多くの方に記事を通して、自らの防災に生かしてもらいたいと思っています。次に災害があった時、「この企画で学んだことが役に立った」「犠牲者が減った背景には聖教新聞があった」といわれるようなものにしていただきたいと願っています。

【プロフィル】

 くりやま・しんいち 1962年生まれ。医学博士。専門は分子疫学、災害公衆衛生学。東北大学理学部物理学科、大阪市立大学医学部医学科を卒業。大阪市立大学医学部附属病院第3内科医師、民間企業医師、東北大学大学院医学系研究科環境遺伝医学総合研究センター分子疫学分野教授などを経て、2012年に東北大学災害科学国際研究所災害公衆衛生学分野教授に就任。2023年から同研究所所長。
  

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