〈ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第40回 ライナス・ポーリング2024年3月10日

「現代化学の父」とたたえられるライナス・ポーリング博士㊨と池田大作先生が会見(1990年2月、創価大学ロサンゼルス分校〈当時〉で)。核兵器廃絶の方途などを巡る両者の対談は4度に及び、その語らいは対談集『「生命の世紀」への探求』に結実した

「現代化学の父」とたたえられるライナス・ポーリング博士㊨と池田大作先生が会見(1990年2月、創価大学ロサンゼルス分校〈当時〉で)。核兵器廃絶の方途などを巡る両者の対談は4度に及び、その語らいは対談集『「生命の世紀」への探求』に結実した

〈ポーリング博士〉
世界には軍事力や核爆弾という
悪の力よりも偉大な力がある。
私は人間の精神の力を信じる。

 人類で初めて、二つのノーベル賞(化学賞と平和賞)を単独で受けた人物がいる。
 
 かのガリレオ、ニュートン、アインシュタインらと並び、英国の科学誌「ニュー・サイエンティスト」で“史上最高の科学者”の一人に選出された、ライナス・ポーリング博士である。
 
 今年はノーベル化学賞の受賞から70年。生物学や医学の分野でも傑出した業績を残し、その知見を世界のためにささげた人生は、今なお色あせぬ輝きを放っている。
 
 ポーリング博士は1901年2月、アメリカ・オレゴン州に生まれた。父が営む薬局で幼少期から薬の調合を観察し、実験のまね事をして化学の世界に親しんだ。
 
 しかし、9歳の時に父が死去。病弱な母と妹2人のために、早朝は牛乳配達、夜は映画館で映写技師の手伝いをしながら、学業に励んだ。頭脳明晰で常に最優秀の成績を収めていたが、やがて大学の授業料が払えなくなり、休学を余儀なくされる。それを知った教授が助手として彼を雇い、学生相手に講義させたという。
 
 苦学の末に、カリフォルニア工科大学の大学院に進学。数多くの論文を執筆するなど研究成果が認められ、30歳で教授に選ばれる。39年には大著『化学結合論』を出版。その名が広く世に知られるようになった。
 
 同じ年、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が勃発。科学技術の進歩は戦争遂行に用いられ、広島と長崎への原爆投下という、人類最悪の悲劇をもたらしてしまう。
 
 ポーリング博士は苦悩した。科学者として、象牙の塔に閉じこもっていてよいものか……。迷いを振り払ったのはエバ夫人だった。息子を戦地に送り出した一人の母として「戦争は二度と起こしてはなりません」「私は、婦人を対象に運動を進めていきます」と、共に戦う決意を促したのである。
 
 博士は立ち上がり、訴えた。
 
 「科学者は、核爆弾の直接の脅威、間接の脅威について、専門的な知識をもっています」「核の危険性を周知徹底させる社会的責務をもっています」
 
 反核運動の道は、あまりにも険しかった。迫害に次ぐ迫害、挫折に次ぐ挫折の中で、彼が信じたものは何か。著書『ノー モア ウォー』にはつづられている。
 
 「世界には軍事力や核爆弾という悪の力よりも更に偉大な力がある。善の力、道徳や、ヒューマニズムの力である。私は人間の精神の力を信じる」
  

カリフォルニア工科大学の研究室で(1940年)。ポーリング博士の研究と平和活動の底流には「人の苦悩を最小に」との信念が脈打っていた©Universal Images Group/アフロ
 

カリフォルニア工科大学の研究室で(1940年)。ポーリング博士の研究と平和活動の底流には「人の苦悩を最小に」との信念が脈打っていた©Universal Images Group/アフロ  

〈ポーリング博士〉
悩める人に真心をこめて手を差し伸べる行動こそ、
今、世界に必要なものです。

 1954年、アメリカの水爆実験を機に、ポーリング博士は平和運動を加速させていく。核兵器の全面禁止を訴える「ラッセル=アインシュタイン宣言」に11人の科学者の一人として署名。反核の集会に参加し、エバ夫人と共にデモの先頭にも立った。
 
 さらに、核実験の即時停止を求める請願書を世界中に展開し、1万3000を超える科学者の署名を集め、国連に届けたのである。
 
 反戦・反核への機運が高まる一方で、アメリカ国内ではマッカーシズム(共産主義者追放運動)の嵐が吹き荒れていた。博士は“赤”のレッテルを貼られ、弾圧の対象となった。ノーベル化学賞の授賞式(同年)に向かうために申請したパスポートさえ、直前まで発行の許可が下りなかった。マスコミによる避難・中傷が続き、大学の学科長の立場も追われてしまう。
 
 米上院委員会はポーリング博士を証人喚問し、「署名運動を手伝った者の名を明かせ」と要求。証言を断れば議会侮辱罪などに問われる可能性もあったが、博士は断固拒否した。「私の署名運動を手伝った人たちが、委員会から何らかの仕打ちを受ける恐れがある以上、その人たちの氏名を明らかにすることはできません」
 
 いかなる脅しも妨害も、使命に目覚めた闘士を屈服させることはできなかった。
 
 正義の平和闘争は63年、米英ソ3国による「部分的核実験停止条約」の発効によって、一つの実を結ぶ。そしてこの直後、博士にノーベル平和賞が贈られることが発表された。

米クレアモント・マッケナ大学で池田先生が講演した後、講評を述べるポーリング博士。「私たちは十界論のうちの『ナンバー・ナイン』、つまり菩薩の精神に立って行動するよう努力すべきです」と語った(1993年1月)

米クレアモント・マッケナ大学で池田先生が講演した後、講評を述べるポーリング博士。「私たちは十界論のうちの『ナンバー・ナイン』、つまり菩薩の精神に立って行動するよう努力すべきです」と語った(1993年1月)

 その後も「人の苦悩を最小にする」ための研究と活動に情熱を注いだポーリング博士。その中で、池田先生の書籍や平和提言と出あい、先生の思想と行動に深い共感を寄せるようになる。
 
 両者の初会見が実現したのは87年2月。以来4度にわたって語らいを重ね、後に対談集『「生命の世紀」への探求』が出版された。
 
 博士は訴えた。
 
 「民衆を苦しめる戦争を防止するのは、私たち一人一人の課題です。ほかのだれの責任でもない。ですから、とりわけ青年に対して、“地上から戦争を追放することを自身の責務とせよ”と呼びかけたい」
 
 「現在、私たちは一つの世界に生きているのだということを、たえず指摘する必要があります。宇宙船『地球号』の乗客は全員、運命共同体です」
 
 地球的課題の解決へ重要な示唆を与える同書は、諸言語に翻訳され、各国で読み親しまれている。
 
 93歳で亡くなる前年の93年1月には、先生の講演を聴くため、飛行機と車を乗り継いでクレアモント・マッケナ大学へ。最後に講評に立ち、こう断言した。
 
 「仏法で説く菩薩の境涯こそが、人類を幸福にします。悩める人に真心をこめて手を差し伸べる行動こそ、今、世界に必要なものです」
 
 「私たちには創価学会があります。そして宗教の本来の使命である平和の建設に献身される池田SGI(創価学会インタナショナル)会長がおられます」
 

〈ポーリング博士と語り合う池田先生〉
「人間のための宗教」とは「平和のための宗教」だ。
あらゆる暴力を否定し、人類の幸福につくす。
そこに仏法者の使命がある。

スイス・ジュネーブの国連欧州本部で行われた「ライナス・ポーリングと20世紀」展(2003年4月)。池田先生の提唱で始まった同展は、各国を巡回し、反響を呼んだ

スイス・ジュネーブの国連欧州本部で行われた「ライナス・ポーリングと20世紀」展(2003年4月)。池田先生の提唱で始まった同展は、各国を巡回し、反響を呼んだ

 池田先生は、ポーリング博士との最後の対談(1993年3月)で、博士の生涯と業績を伝える展示の開催を提案。子息であるポーリング・ジュニア博士の全面協力を得て、98年に「ライナス・ポーリングと20世紀」展が実現した。同展は2003年までアメリカ、日本、ヨーロッパの各都市を巡回し、100万人以上が見学した。
 
 2001年には卓越した平和貢献をたたえ、先生に「科学・平和・健康のためのライナス・ポーリング博士生誕100周年記念賞」の第1号が、同賞選考委員会から授与されている。
 
 さらに先生は、博士とエバ夫人の精神をとどめるため、アメリカ創価大学の教室棟を「ポーリング夫妻棟」と命名。創価学園には、“いつの日か、ポーリング博士のごとく、ノーベル賞を受賞するような偉大な学者、指導者が、陸続と出てほしい”との願いを込め、博士の胸像を贈った。
 
 博士の人生に迫った先生の著作には、次のように記されている。
 
 「『平和について語りあえる人がいる。私は、どこへでも飛んでいく』。この情熱こそ博士の健康の源泉だと思った。(中略)
 何らかの『夢』への挑戦を忘れ、今の自分を守るだけの守りの人生になったとしたら、それが健康な生活といえるだろうか。
 見はてぬ夢でもよい、理想に向かって、みずから打って出る。その闘争心にこそ『健康な人生』の実質はあるのではないか」(『私の世界交友録』)
 
 「博士は、数多くの発見を成しえた理由として、二点を挙げておられた。一つは『人よりもじっくりと考え続けること』。もう一つは『一つの分野の考えを他の分野に生かしていくこと』。これらは学問の世界にとどまらず、万般にわたって通じる道理であると思う。
 自分には不向きで、肌に合わないと思う分野で仕事をしなければならないこともあるかもしれない。しかし、そうしたときにも決して逃げることなく、向上心を失わず、忍耐強く創意工夫を積み重ねていくかぎり、やがて鮮烈な知恵の光が輝いてくるものだ」(『心の四季』)
 
 そして、博士との対談集『「生命の世紀」への探求』で、先生は呼びかけた。
 
 「人間の幸福と平和のために奉仕し、貢献していく以外に、宗教の存在意義はありえないといっても過言ではありません。
 したがって、『人間のための宗教』とは『平和のための宗教』と言いかえてもよいでしょう。その意味で、仏法のような、徹底した『人間のための宗教』が希求され、それが人間社会に大いなる貢献を果たしていくと考えています。(中略)
 戦争をはじめ、あらゆる暴力を否定し、人類の幸福と世界の繁栄につくすことこそ、仏法者の使命にほかならないからです」
 
 戦争の世紀を、断じて不戦の世紀に! 人類が待ち望む平和の未来は、使命を自覚した仏法者、なかんずく創価の青年の勇気と行動の連帯によって切り開かれる。
 

【引用・参考】ポーリング著『ノー モア ウォー』丹羽小弥太訳(講談社)、村田晃著『ライナス・ポーリングの八十三年』(共立出版)、『「生命の世紀」への探求』(読売新聞社、『池田大作全集』第14巻所収)、池田大作著『心の四季』(第三文明社、同全集第120巻所収)、同著『私の世界交友録』(読売新聞社、同全集第122巻所収)ほか
  

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