〈ターニングポイント 信仰体験〉 バイオリニストの心構え――どんな時だって楽しんでやる!2024年3月6日

  • ロン・ティボー国際音楽コンクールで5位

3:47

 生まれた時から、橘和美優の日常は音楽であふれていた。

 バイオリン教室を開いていた、母(則子さん=女性部副本部長)の楽器に手を伸ばしたのは2歳。
 それから二人三脚で、練習、練習の毎日。たくさん舞台を踏んで、少しずつ結果も出せるようになった。時々ケンカしながらも、母とはいつも一緒。

 それはレッスンだけじゃない。

 「学会活動をおろそかにしたら、ぜーったいダメだから!」
 母は楽器より、信心の話の方が厳しい。

 美優が小学生の時、父(正明さん=地区部長)が職を失った。
 その時も「絶対乗り越えるから」と、「祈・再就職」と書いたハチマキまで巻いて御本尊に向かっていた。父は無事に就職先を見つけることができた。
 食卓から品数が減っても、家族は美優にバイオリンを続けさせてくれた。母はブレない。その高いテンションに引っ張られるようにして、勤行を覚え、会合にも小さい頃から参加してきた。

 「えらいね!」
 「スゴいね!」

 信心という縁だけで、応援してくれる人がたくさんいた。コンクールに出るようになって、それがとてもありがたいことだと気付いた。
 勝負の世界はとにかくシビアだ。いつも努力した通りに、結果が出るわけじゃない。「だから福運が大事」って、母はよく言う。

 明るい言葉に囲まれて、自分も明るく育ったんだと思う。審査結果は、あまり気にならない方。緊張する舞台でも、どこか冷静でいられる自分がいる。ある意味で“無敵”かもしれない。
 そう思えるようになった分岐点がある。音大1年の時に挑戦した「日本音楽コンクール」だ。

橘和さん一家の絆は強い(左から祖父・松岡俊介さん、母・則子さん、祖母・松岡笙子さん、橘和さん、父・正明さん、弟・海さん)

橘和さん一家の絆は強い(左から祖父・松岡俊介さん、母・則子さん、祖母・松岡笙子さん、橘和さん、父・正明さん、弟・海さん)

 練習もバッチリ。
 祈りもバッチリ。

 自信曲で挑んだ。前年は2次審査で終わってしまった分、リベンジの意味もあった。“今度こそいける”……けれど、1次審査で落ちてしまった。

 いつもなら“じゃあ次!”って、すぐに切り替わるはずなのに、涙が止まらなかった。
 結果を引きずっている美優に、母は池田先生の『法華経の智慧』を渡してくれた。
 「妙音菩薩も、苦しみと戦い、戦い、また戦って、題目を唱え、人間革命したのです」

 はっとした。
 心のどこかで、“勝って当たり前”と思っていたのかもしれない。ずっと守られて育った自分。だけど、もっといろんな気持ちを経験しなくちゃいけないんじゃないか。
 「全てに意味があるよ」。これは家族の受け売り。この負けは、一人のバイオリニストとして、大事な心構えを持つためにあったもの。そう信じた。

 8時間、9時間……これまでにないほど、バイオリンと向き合った。
 大学には、信心しているビオラ奏者の子がいて、友人との対話にも一緒に挑戦した。どうしたら伝わるか。母とも話しながら、勇気を出していく。

 楽器も同じだった。

 ずっと技術ばかりだったけれど、究めるために究めるんじゃなくて、届けるために究める。楽曲一つ一つを、さらに理解して考えるようになった。
 ――「入選。橘和美優さん!」
 翌年に挑んだ“日コン”。やっと自分に勝つことができた。

「社会で光るのは広宣流布のため」。祖母・松岡笙子さん㊥の確信が胸に染みついている。結果にかかわらず、必ず本番の前日に「今日までよく頑張ったね」と努力をたたえてくれた

「社会で光るのは広宣流布のため」。祖母・松岡笙子さん㊥の確信が胸に染みついている。結果にかかわらず、必ず本番の前日に「今日までよく頑張ったね」と努力をたたえてくれた

 昨年の秋、大きなチャンスが巡ってきた。
 フランスで開催される、「ロン・ティボー国際音楽コンクール」。32カ国から奏者が参加した中で、現地に行く21人に残った。

 「演奏の間、祈ってるからね!」
 地域の同志が、これまで以上に喜んでくれた。意気込みながら、美優も当日を楽しみに待った。

 出発を次の日に控えた、11月18日。池田先生の逝去を知った。
 隣にはビオラの友達がいた。彼女も次の日から、海外に行くところだった。泣いたのは、大学1年の“あの日”以来だった。
 いまの自分がいる世界を、つくってくれた先生。「必ず届けようね」。目を腫らす母とも、うなずき合った。

 コンクールの日。

 張り詰めた緊張感の中で、審査が進んでいく。
 美優の順番。一歩一歩、舞台の中央へ向かう。
 客席を向くと、会場にはいない、空の向こうで待ってくれている人たちの笑顔が、次々に浮かんだ。

 “みんなに、先生に届け――”

 美優の握った弓が、弦の上を滑りだした。
 楽器には、奏でる人の心が映る。
 自分が音楽を通して届けられるもの。それは、家族や同志にもらった前向きさ。せっかくやるなら、どんな時だって、楽しんで勝負してやる。それが、バイオリニスト・橘和美優だ。

 最後の一音が、ふわりと空気に溶けていく。その瞬間、会場を大きな拍手が包んだ。

 部門5位。
 “悔しい!”。心から思った。

 “らしくない”自分にちょっと驚きつつも、なんだかうれしい。
 もっと、うまくなりたい。もっと、たくさんの人と音楽でつながりたい。
 さらにステップアップした自分に会える未来が、いまは楽しみでしょうがない。

ロン・ティボー国際音楽コンクール2023ファイナルでの演奏。赤いドレスが凜と(Corentin Schimel/@corentinschimel)

ロン・ティボー国際音楽コンクール2023ファイナルでの演奏。赤いドレスが凜と(Corentin Schimel/@corentinschimel

 きつわ・みゆ 横浜市在住。2001年(平成13年)生まれ、同年入会。バイオリニストとして、各地で演奏活動を行う。第89回「日本音楽コンクール」入選。昨年、「ロン・ティボー国際音楽コンクール」(フランス)でバイオリン部門5位。富士交響楽団所属。華陽リーダー、芸術部員。


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