〈紙上教学研さん〉 負けじ魂の源2024年3月2日

  • 御書根本の前進! 池田大作先生の講義に学ぶ

勇気の指標

 「一生成仏抄」は、“誰もが、この一生のうちに必ず仏になれる”方途を、明快に示された希望あふれる御書です。大聖人は、今がどうあれ、また過去がどうであったにしろ、妙法を唱える人は、必ず未来永遠に幸福を勝ち開くことができるとお約束です。
 ◇
 大聖人の仏法は、“自分の中に偉大なる仏の生命がある”と、自覚するところから出発します。
 ゆえに、私たちの祈りとは、何かに助けてもらうというような、“おすがり信仰”ではありません。どこまでも自分自身の可能性を信じ抜く戦いです。自らの生命に具わる仏界の生命を涌現していくのです。その「月月・日日」(全1190・新1620)の勝負なのです。大聖人は、「己心の外」に法を求めるならば、どんなに題目を唱えていても成仏は叶わず、むしろ無量の苦行になってしまうとまで仰せです。
 ◇
 たとえ、人生の途上で、自身の思い願った通りにならなくとも、「負けじ魂」の人に決して悲観はありません。
 戸田先生は、女子部の友に語られました。
 「もったいなくも、御本仏と同じ生命を持っている自分自身に誇りをもちなさい。気高い心で、人生を勝ちぬくことです。自分自身を卑しめていくことは、絶対にあってはならない」
 “自分なんてだめだ”“自分には無理だ”など、さまざまな人生の落胆や感傷に流されず、悠々と乗り越えていけるのが日蓮仏法です。本来、尊極な自身の生命を矮小化させようとする「元品の無明」を決然と打ち破るのが、妙法の功力なのです。
 いわば、唱題とは自分自身が仏であることを覆い隠す、胸中の無明との闘争です。ゆえに真剣勝負です。唱題で不信をねじ伏せ、小さな自分の殻を打ち破ることです。題目こそ、悲哀さえも創造の源泉に変えゆく根源の力なのです。
 ◇
 戸田先生は、獄中にあって、祈りを重ね、「仏とは生命なり!」「我、地涌の菩薩なり!」と悟達されました。そして、私たちに分かりやすく、「自分自身が南無妙法蓮華経だと決めることだ!」と、祈りの根本姿勢を教えてくださったのです。
 ◇
 “自分自身が妙法の当体なり”と心定めた人生に恐れるものはありません。(中略)
 誰がなんと言おうと、誰もが、偉大な広布の使命を担った、かけがえのない宝の一人です。その人にしか広げることのできない仏縁を持った、貴き宝友です。
 私は青年を信じます。たとえどんなことがあっても、必ず、立ち上がってくれることを、私は祈り、待ち続けます。
 人の毀誉褒貶に振り回される必要などない。自分らしく、学会っ子らしく、創価の若人らしく、桜梅桃李の使命の道を朗らかに、堂々と歩んでいけばいいのです。

創価世界女性会館を訪問した池田先生ご夫妻が、見つめ合う母と子を描いた絵画「ハッピーマザー」を鑑賞(2000年9月)。先生はかつて、同会館で行われた婦人部(当時)の会合に伝言を寄せた。「一人ももれなく、幸福になってください。一日一日が有意義で、楽しい人生を生き抜いてください。どんなに苦しいことがあっても、法華経の行者は、すべてを楽しみに変えていく力を持っていなければならない」「永遠に幸福と勝利の人生を歩んでください」

創価世界女性会館を訪問した池田先生ご夫妻が、見つめ合う母と子を描いた絵画「ハッピーマザー」を鑑賞(2000年9月)。先生はかつて、同会館で行われた婦人部(当時)の会合に伝言を寄せた。「一人ももれなく、幸福になってください。一日一日が有意義で、楽しい人生を生き抜いてください。どんなに苦しいことがあっても、法華経の行者は、すべてを楽しみに変えていく力を持っていなければならない」「永遠に幸福と勝利の人生を歩んでください」

森川裕子 女性部主任部長

“幸福の春”を創り広げる

 仕事や家庭、結婚、子ども、体調のことなど、悩みも多岐にわたり、目まぐるしい変化の中で、苦難にも直面するヤング白ゆり世代。だからこそ、改めて心に刻みたい御文が「一生成仏抄」の一節です。
 先生は、本抄の講義の冒頭で、「『負けじ魂』を貫く上での第一の要諦は『自分自身を信じ抜く』ことです」と強調されています。
 自分自身を信じ抜くといっても一人では難しいものです。私自身、自分を大切に思えるのは、私という人間を信じ抜いてくださった師匠、家族や友人、同志がいたからだと感謝は尽きません。
 中学生の頃、幼なじみの友人が不慮の事故で亡くなりました。命のはかなさが胸に迫り、生きる意味が分からなくなりました。
 それまで、なんとなく祈っていましたが、この時初めて、苦しい胸のうちをそのまま御本尊にぶつけ、思いの丈を池田先生への手紙に書きました。すると思いがけず、先生からの伝言が。一人の未来部員の悩みに寄り添い、励ましてくださる先生、そして、母や地域の学会員さんの真心に触れ、“悲しみを前進への勇気に変えていく。これが創価の祈りであり、生き方なんだ。友人の分も生き抜こう”と前を向くことができました。
 この希望の哲学を伝えたいと、女子部(当時)になってからは折伏にも挑戦。しかしなかなか弘教は実りませんでした。諦めそうになる自分の心と戦っていた時、ちょうど今回の「一生成仏抄」の講義が「大白蓮華」に掲載されました。
 「『己心の外』に法を求めるとは、自分の外に、幸・不幸の原因と結果を求めることです。“あの人が悪い”“条件が悪かった”といった、責任転嫁もそうでしょう」
 “そうだ! 心のどこかで、環境のせいにして、諦めている自分がいなかったか。他の誰でもない、自分が友人の幸福責任者なんだ”――唱題を重ねる中でそう腹が決まった直後、友人が「情熱に心動かされたよ」と、入会しました。“自身が妙法の当体”との強き確信が、自他共の幸福を開いていくと実感できたことが、今も自分の“負けじ魂の源”になっています。
 今、池田先生から受け継いだ人間主義のバトンを握りしめ、日常で縁する方を大切に、信頼と友情を築く対話に挑戦しています。
 池田先生は、たとえ“試練の冬”が続いたとしても、題目根本に“幸福の春”を創り広げる創価の女性をたたえ、「ヤング白ゆりの年代を、私は『青春』に続く『創春』の時代と意義づけたい」とつづってくださいました。
 苦難に直面したときこそ、“先生、見ていてください。私は絶対に負けません!”と、朗らかに前進し、自分らしく幸福の春を創り広げていきます。

一生成仏抄

 妙法蓮華経と唱え持つというとも、もし己心の外に法ありと思わば、全く妙法にあらず、麤法なり。(中略)故に、妙法と唱え蓮華と読まん時は、我が一念を指して妙法蓮華経と名づくるぞと深く信心を発すべきなり。
(新316・全383)

メモ

 建長7年(1255年)の著作とされる。南無妙法蓮華経の題目を唱えることが一生成仏の直道であることを強調されている。

今回の池田先生の御書講義は、『わが愛する青年に贈る』からの引用です。