後継のバトンを君に 池田先生の励ましの言葉から(未来ジャーナル 2024年3月号)2024年3月1日

2022年3月、池田先生は都内に咲いた「菜の花」にカメラを向けました。冬の寒さを越え、一足早く春の訪れを告げる美しい花です。“たくましさ”も備えた花であり、たとえ踏まれて茎が折れても、そこから芽を出して花を咲かせます。先生はかつて「菜の花も 春だ春だと 立ち上がる」との句を詠みました

2022年3月、池田先生は都内に咲いた「菜の花」にカメラを向けました。冬の寒さを越え、一足早く春の訪れを告げる美しい花です。“たくましさ”も備えた花であり、たとえ踏まれて茎が折れても、そこから芽を出して花を咲かせます。先生はかつて「菜の花も 春だ春だと 立ち上がる」との句を詠みました

 早いもので、年度末となる3月を迎えました。卒業式や修了式が行われ、新しい出発をする季節です。この一年、また学校生活を振り返って、「自分はよく頑張った!」「結果を出せた!」と胸を張れる人もいれば、なかなかそう言えない人もいるかもしれません。今回は、池田先生がそうした友の思いを一つ一つ受け止めながら送ってきた、「すべてを意味あるものに変える」ための励ましの言葉を紹介します。

祈り抜く人は逆転勝利の劇を飾れる

 〈池田先生は3月を迎えるたび、未来部員一人一人の奮闘をたたえてきました。3月は「冬から春」へと季節が変わり始める頃でもあります。四季や自然の変化を踏まえて、先生はこう呼びかけました〉
 
 冬は去り、春が来ました。
 3月は「弥生」と呼ばれ、草木が勢いよく生長する「いやおひ」に由来するものといわれます。
 
 新しい春へ、いよいよたくましく伸びゆく未来部の皆さんが、私の胸には、ひときわ輝いています。
 
 皆、春夏秋冬、本当によく頑張りました。私は、皆さんの努力と前進を讃え、一人一人と、心の握手を交わしています。
 
 受験生の皆さん、ご苦労さま!
 
 望んだ通りの結果を得られなかった人も、いるかもしれない。しかし、全員が勝利者です。なぜならば、真の勝利とは、“最後に勝つ”ことだからです。
 
 青春には、嵐の日も、吹雪の日もある。険しい坂も峰もある。けれども、題目を唱える青年に、決して行き詰まりはありません。祈り抜く若人は、一つ一つを断じて乗り越えて、痛快な逆転勝利の劇を飾っていけるのです。
 
 「冬は必ず春となる」と、太陽のように明るく進むのです。皆さんの使命は、自分が思っている以上に、はるかに壮大で崇高です。
――2017年3月号「未来の翼」

信心根本にした努力は無駄にならない

 〈今月、未来部の卒業部員会に参加する人も多いでしょう。先生はそうした折に、信心根本に努力する意味や、学会員として歩む誇り、親孝行の大切さなどを伝えてきました。ある年の未来部卒業部員会に寄せて、先生は次のようなメッセージを贈りました〉
 
 日蓮大聖人は「この妙法は、大地を走る者の王である師子王のごとくである。そしてまた、大空を飛ぶ者の王である鷲のごとくである」(※1)と仰せです。
 
 若くして、偉大なこの妙法を持った皆さんは、何があろうとも、正義の中の正義の学会とともに、師子王のごとく、大鷲のごとく青春の道を進み抜くことです。
 
 信心を根本にした努力は、一つも無駄になりません。
 
 全部、自分の力となり、必ず、花咲くからです。
 
 ともあれ、後継の皆さんには、学会の先輩が、良き友人が、そして、私がついています。何も恐れる必要はありません。
 
 愛する未来部の皆さんに、私が青春時代から愛読してきた、フランスの大文豪ユゴーの言葉を贈ります。
 
 「わたしの考えは、いつも前進するということです」(※2)と。
 
 新しい進路へと向かう、この節目に、お父さん、お母さんに「ありがとう」と、心から感謝していける親孝行の皆さんであってください。
――2007年3月に贈られたメッセージ

※1 御書新版1737ページ・御書全集1310ページ、趣意
※2 『九十三年』榊原晃三訳 潮出版社

「英知をみがくは何のため」「未来に羽ばたけ  君と僕」――2004年3月、創価学園の卒業式に参加した創立者・池田先生は、校歌「草木は萌ゆる」を愛する生徒たちと共に合唱し、門出を迎えた一人一人に心からのエールを送りました(東京・小平市で)

「英知をみがくは何のため」「未来に羽ばたけ  君と僕」――2004年3月、創価学園の卒業式に参加した創立者・池田先生は、校歌「草木は萌ゆる」を愛する生徒たちと共に合唱し、門出を迎えた一人一人に心からのエールを送りました(東京・小平市で)

たとえ君が「自分はだめだ」と思っても

 〈自分の学校生活を振り返り、また受験の結果などを通して、「もっとこうしていれば」とか、「どうしてできなかったんだろう」といった悔しい気持ちを抱いたままの人も、いるかもしれません。池田先生はそんな友に、こう励ましを送りました〉
 
 戸田先生は「人生の最後の数年間に、どういう幸福感をもったかで人生は決まる」と厳しく言っておられた。若い時の調子のよさなどは問題ではない。また若い時の失敗なんか、いくらでも挽回できるのです。
 
 小学校の時にだめなら中学校で、中学校の時にだめなら高校で、高校でだめなら大学で、大学でだめなら社会で、社会に出てつまずいたら、40代になったら、50代になったら、70代になったらと、つねに大志を抱いていく。そして、今世でだめなら来世で、と永遠の生命へと達観した時に仏法となる。仏法は最高の大志なのです。たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない。だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる。今がどうであれ、すばらしい未来が開けることを私は絶対に確信しています。
 
 倒れたって、そのたびに起きればいい。起きれば、また前に進める。若いのです。
 
 建設です。戦いです。今、これからです。今、何かを始めるのです。
――『青春対話1』(普及版)