誓願 289~290ページ 【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年3月1日

 山本伸一は、日蓮大聖人の仏法の法理を根幹に、世界に平和の大潮流を起こそうと、あらゆる障害を乗り越えながら、渾身の力を尽くしてきた。また、広宣流布のために僧俗和合への最大の努力を払い、宗門の外護に全面的に取り組んでいった。
 宗門では、一九八一年(昭和五十六年)に日蓮大聖人第七百遠忌を終え、九〇年(平成二年)秋に挙行される大石寺開創七百年の式典を、いかに荘厳なものにし、大成功させるかが大きな課題となっていた。
 八四年(昭和五十九年)一月初め、伸一は再び、法華講総講頭に任命された。日顕の強い要請を受けての就任であった。
 三月、開創七百年記念慶祝準備会議の席上、伸一は、十年後を目標に、寺院二百カ寺の建立寄進を発表した。
 「『大願とは法華弘通なり』(御書七三六ページ)との御聖訓のままに、令法久住と広宣流布を願って、新寺院建立の発願を謹んでさせていただくものであります」
 その寄進は、僧俗和合を願う学会の、赤誠の発露であった。
 翌八五年(同六十年)十月、伸一は、日顕から、開創七百年記念慶讃委員会の委員長の辞令を受けた。彼は、最大の盛儀にしようと、全力で準備にあたっていった。
 二百カ寺についても、学会は万難を排して建立寄進を進め、やがて九〇年(平成二年)十二月には、百十一カ寺を数えることになる。
 伸一の念願は、僧たちが、日々、広宣流布のために戦う同志を、心から大切にしてほしいということであった。
 御聖訓には、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書一三六〇ページ)とある。日蓮大聖人の仰せ通りに、苦労し抜いて弘教に励む同志は、地涌の菩薩であり、仏子である。弘教の人を、「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」(御書一三八三ページ)というのが、大聖人の御精神である。仏子を讃え、守り、励ましてこそ、広布はある。