〈ONE GOSHO この一節とともに!〉 種々御振舞御書2024年2月25日

  • 「さきがけ」の勇気で前へ

男子部教学室編

 創価の師弟の「後継の儀式」となった3・16「広宣流布記念の日」が目前です。今回は「種々御振舞御書」を通して、後継の意義を確認します。

御文

 法華経の肝心、諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に、日蓮さきがけしたり。わとうども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこえよかし。(新1227・全910)

通解

 法華経の肝心であり、諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の初めに全世界に広まっていく瑞相として、日蓮が先駆けしたのである。わが一門の者たちは、二陣、三陣と続いて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも超えていくのだ。

背景

 本抄は建治2年(1276年)、日蓮大聖人が身延で著され、光日尼に与えられたとされていますが、詳細は不明です。
 文永5年(1268年)、蒙古から国書が届き、「立正安国論」で予言した他国侵逼難が現実味を帯びてきてから、竜の口の法難佐渡流罪、そして、文永11年(1274年)に鎌倉へ帰還した後の国主諫暁、身延入山に至るまでの、大難との闘争をはじめとする御自身の振る舞いについて著されています。
 大聖人は門下に対して、末法に妙法を弘めると、必ず大難が起きることは、経典に照らして明らかであることを示されるとともに、不惜身命の精神で、大聖人の御闘争に続くように教えられています。

解説

 「法華経の肝心」であり、「諸仏の眼目」である「妙法蓮華経の五字」は、万人成仏を説いた法華経の真髄であり、あらゆる仏を成仏させた根源の法です。
 大聖人は、あらゆる大難を覚悟の上で、この大法弘通に先駆されたのです。その御心情を「末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に、日蓮さきがけしたり」と宣言されています。
 「末法」とは、釈尊入滅後、教えの功力が消滅し、衆生を救済する力が弱まるとされる時代のことです。これに対して、仏の教えが正しく行われる時代を正法、仏の説いた教えが形骸化した時代を像法といいます。
 末法の初めに、南無妙法蓮華経が「一閻浮提」(私たちが住む世界全体)に広がっていく「瑞相」(前触れ)として、大聖人御自身が、いかなる迫害にも屈することなく、不惜身命の御闘争の先陣を切られたことを教えてくださっているのです。
 また、「日蓮さきがけしたり」との一文からは、妙法蓮華経を末法に弘通し、地涌の菩薩の上首(リーダー)である上行菩薩の御自覚を示されたとも拝されます。
 続いて、「わとうども二陣三陣つづきて」と、門下に対して、“この日蓮の戦いに、二陣、三陣と続け!”と、力強く呼びかけられます。
 弟子が師と同じ大願に一人立ち上がってこそ、広布の未来は大きく開かれるのです。
 さらに大聖人は、「迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこえよかし」と仰せになっています。大聖人に連なり、妙法を弘めゆく門下は、釈尊の直弟子で、正法前半の布教の始まりを担った迦葉、阿難、そして像法の正師である天台、伝教をも超えていくと断言されています。
 大聖人の仏法を継承する者は、仏教史に名を残した偉人たちよりもはるかに尊い存在になると励まされているのです。
 広宣流布の師匠に続き、その意思を継いだ弟子が、一人立ち、師の偉大さを宣揚する師弟の人生を歩む時、無上の幸福境涯を開くことができます。
 1958年(昭和33年)3月16日、第2代会長の戸田先生のもとに青年部の精鋭6000人が集い、“広宣流布の記念式典”が行われました。
 戸田先生は、「未来は、君たちに任せる。頼むぞ、広宣流布を!」と師子吼。池田先生をはじめ、集った青年たちに後事を全て託したのです。以来、「3・16」は、広布後継を誓い合う日となりました。
 池田先生は、次のように語っています。
 「日蓮仏法の魂は、『さきがけ』の勇気です。『二陣』『三陣』と続くためには、自らが一人立つ覚悟がなければ、本当の意味で後を継ぐことはできません」「真剣の一人の戦いが、必ず新たな歴史を作るのです」
 「3・16」を目前に控えた今こそ、私たちが「一人立つ精神」で、「二陣、三陣」と信心の歓喜を語る時です。「新時代の山本伸一」との自覚で、弘教拡大に走り抜きましょう。