誓願 275~276ページ 【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年2月20日

 戦争を行うのは人間である。ならば、人間の力でなくせぬ戦争はない──山本伸一は、そう強く確信し、第二次訪中を果たした。周恩来総理は、彼との会見を強く希望し、入院中であるにもかかわらず、医師の制止を振り切って、迎えてくれた。
 伸一は、中ソの和平を願う自分の心は、周総理の胸に、確かに届いたと感じた。
 「世界の流れは人民の友好促進」というのが、総理の信念であった。
 一九七〇年代、時代は緊張緩和への様相を見せ始めたが、一九七九年(昭和五十四年)、親ソ政権支援のためにソ連軍がアフガニスタンに侵攻すると、西側諸国は激しく反発した。八〇年(同五十五年)のモスクワ・オリンピックを西側の多くの国々がボイコットした。
 その報復として東側諸国は、八三年(同五十八年)のアメリカによるグレナダ侵攻を理由に、八四年(同五十九年)のロサンゼルス・オリンピックをボイコットした。時代の流れは逆戻りし、「新冷戦」と呼ばれる状況になっていったのである。
 伸一は、東西対立を乗り越えるために、各国首脳らと対話を重ね、「スイスなど、よき地を選んで米ソ首脳らが会談を」など、具体的な提案を行ってきた。
 この冷戦にピリオドを打つ、大きな役割を担ったのが、ソ連のゴルバチョフであった。八五年(同六十年)、共産党書記長に就任した彼は、グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカを推進し、社会主義体制から自由化へと大きく舵を切った。
 また、「新思考」を掲げ、西側諸国との関係改善に努め、軍縮を提案、推進していった。そして八五年十一月、六年半の長きにわたった閉塞の扉は開かれ、ジュネーブで米ソ首脳会談が再開されたのである。伸一は、このニュースに、時が来たことを感じた。かねてからの念願が、はからずも実現したのだ。
 お互いが真剣に平和をめざすならば、あらゆる見解の違いを超えて合意は可能となる。大海に注ぐ川が一つに溶け合うように──。