〈BUDDY―男子部大学校の絆― 信仰体験〉 師と母への誓いを胸に2024年2月18日

  • 信心根本に立派な人に それが何よりの親孝行

丘さん㊧と松本さん

丘さん㊧と松本さん

 兵庫県豊岡市の丘雄也さん(25)は、学会3世です。
 幼い頃に入会はしましたが「ずっと、信心には懐疑的でした」。
  
 転機となったのは、2019年(令和元年)7月。病と闘い抜き、霊山に旅立った母・敏江さんとの別れでした。
 “親孝行したい”――丘さんの決意を、多くの先輩が支えました。
 その一人が、松本慎也さん(29)です。
  
 松本さんには、不登校の苦悩を信心根本に乗り越えた経験があります。
 両親をはじめ、創価大学の教員や仲間、豊岡勇舞圏の男子部への感謝を胸に、「恩返し」の思いで、丘さんをサポートしてきました。

丘さん

丘さん

 〈丘さん〉 母さんが倒れたのは、僕が高校を卒業して、浪人生活をしていた頃です。
  
 当時、妹はまだ高校生、父さんは仕事で単身赴任をしていたので、大学受験を諦め、母さんの看病をしながら、家事とアルバイトに専念しました。
  
 午前中はスーパーでバイトをし、昼過ぎに母さんの病室を訪ねて、妹が下校する時間に合わせて夕飯の支度をして、夜はまたスーパーのバイトへ――。
  
 母さんが自宅療養になってからは、なるべく、そばで付き添えるようにしていました。
  
 「御本尊に向かう母の姿を見ない日はありませんでした」。丘さんは静かに振り返る。
 幼い頃、母に聞いたことがある。「何で手を合わせて、南無妙法蓮華経と言ってるの?」
  
 母は柔らかな笑みをたたえて、「お父さんが無事故であるように。雄也と菜々美が、ずっと健康でいられるように」と。

 〈丘さん〉 僕はもともと体が弱く、病気がちでした。
 ぜんそくで息が苦しくなった時も、十二指腸潰瘍と胃潰瘍を併発した時も、母に守られ、克服できました。
  
 今、つくづく思うんです。“これまで僕は、どれほど母さんの祈りに守られてきたんだろう”って。
  
 家族の太陽を失い、その現実を受け止めきれないまま、葬儀の日を迎えた。
  
 通夜が終わった直後、丘さんの携帯電話が鳴った。「今、近くにおるんやけど、手だけ合わさせてもらってもええか?」。男子部の先輩だった。
  
 当時、丘さんは男子部の活動にはほぼ参加できていなかった。
 だが日頃、家庭訪問に来てくれていた中儀諭さん(男子部本部長)にだけは、母の訃報を伝えていた。
  
 電話を切り、葬儀場の入り口に目をやると、15人ほどの男子部員が立っていた。中には、面識のない人もいた。

 〈丘さん〉 “何て、あったかい人たちなんだろう”と思いました。
 本当につらい時、駆け付けてくれる。そばにいてくれる。それが、本当にうれしかった。
 先輩が「大丈夫やからな」って、背中をポンとたたいてくれて。あの時の光景を忘れることができません。
  
 それからも、先輩たちは入れ代わり立ち代わり、会いに来てくれました。
 ひとしきり笑わせてくれた後、「おまえは一人じゃないからな」と何度も声をかけてくれたんです。
  
 丘さんには、どうしても拭えない「後悔」があった。
 “母さんに、何もできんかった。親孝行したかった”
 悔しさの中で、ずっと考えていた。“母さんに返せるものはあるのだろうか”と。
  
 その思いを、齋賀寿宏さん(圏男子部長)に打ち明けると、確信の言葉が返ってきた。
 「信心しかない。南無妙法蓮華経しかない。おまえの頑張ってる姿で、お母さんに恩返ししていくんや!」

 胸に迫る先輩の言葉。その源には、池田先生の指針があった。
  
 「仏法では(中略)最高の親孝行とは、妙法の力で、親の生命を永遠に救っていくことであると、教えています。つまり、皆さんが大宇宙の法則である題目を唱え、信心を根本に立派な人に育つことが、何よりの親孝行になるのです」

  
 〈丘さん〉 池田先生の言葉と先輩たちの励ましのおかげで、“僕はまだ母さんに親孝行できる”と希望が湧いたんです。
 “それなら”と、まずは母さんがしていたように、僕も「朝晩の祈り」から始めてみました。
  
 そうするうち、男子部の会合にも行くようになりました。
 母さんが亡くなって、“しんどいのは自分だけなんや”って思っていた時もあったんですけど、同世代の人たちが、いろいろな事情を抱えながら、明るく立ち向かっている姿に、勇気をもらいました。

 丘さんは、男子部大学校に入った。
 仲間と信心を学び合うほどに、確かな形をなしたのは「地域に恩返ししたい」との決意だった。
  
 母を看病していた時、近隣地域の人たちがいつも気にかけ、励ましてくれた。
 “今度は自分が、地域の力になれたら――。母さんもきっと喜んでくれるはず”
 祈り考える中、市役所職員の採用試験へ挑戦を決意する。
  
 その勇気を支えたのが、松本さんだった。
 試験までの約半年、芦田憲一さん(総県男子部長)、山本信広さんと共に、面接や小論文のアドバイスをくれた。

  
 〈松本さん〉 僕は兵庫県姫路市の出身です。中学生の時にいじめを受け、学校に通えなくなりました。
 毎朝、登校時間が過ぎるたび「きょうも行けなかった」と、部屋に閉じこもる。この瞬間が一番、苦しかった。
  
 そんな僕の心を支え続けてくれたのは両親でした。両親がそばにいてくれる。それだけでうれしかった。
 母が「一緒に勤行しよう」と、隣で祈り続けてくれました。

松本さん

松本さん

 松本さんの不登校は2年間続き、中学の卒業式には出られなかった。
 だが、適応指導教室で出会った人たちが温かく、前を向くことができ、高校に進学。その後、創価大学の門をくぐった。
 その歩みを、誰よりも喜んでくれたのは、両親だった。

  
 〈松本さん〉 創大では教員や仲間が、僕の夢を親身になって応援してくれました。
 就職を機に移り住んだ豊岡では男子部の人たちが、ありのままの僕を受け入れ、家に来ては、僕が笑顔になるまで笑わせてくれました。
  
 “僕も、目の前の人を笑顔にしたい。人のために尽くしたい”
 雄也をサポートさせてもらったのは、僕にとって、支えてくれた人たちへの「恩返し」でもあったんです。
  
 丘さんは懸命に祈り、試験対策に打ち込んだ。直前になると、松本さんたちが週3日、丘さんの家を訪れ、最後まで寄り添ってくれた。

 迎えた採用試験。
 丘さんは面接で、母への思い、地域への感謝など、志望動機を堂々と話すことができた。結果は「合格」。祝福に包まれ、2021年春、初出勤を果たす。

  
 〈丘さん〉 市役所への就職が決まったことを友人(京田崚祐さん)に報告しました。
 京田君は「すげーな。どうやったら、そんなのに受かるん?」と、とても驚いていました。
  
 彼は当時、就職で悩んでいて、いくら採用試験を受けても不採用だったんです。
  
 京田君を“折伏しよう”とは、最初は全く思っていなかったんですが、彼と話しているうちに男子部の先輩が支えてくれたこと、題目をあげる中で決意が固まり、自信をもって採用試験に臨めたことなど、自然と仏法対話になっていたんです。

創価班の任務に就く丘さん

創価班の任務に就く丘さん

 「一緒に祈ってみいひんか」
 丘さんの言葉に、京田さんはうなずき、共に勤行・唱題をするように。京田さんのもとに、2社から立て続けに「採用」の通知が届く。
 その実証に、京田さんは「南無妙法蓮華経って、ほんとにすげーな」と。昨年7月、京田さんは御本尊を受持し、創価学会に入会した。

  
 〈丘さん〉 信心と男子部の先輩に巡り合えたおかげで、僕は使命の職場と生涯の同志を得ることができました。
  
 挑戦はまだまだ始まったばかりです。親孝行の人生を歩み抜けるように、信心根本に成長していきます!

 おか・ゆうや
 1998年(平成10年)生まれ、2006年入会。兵庫県豊岡市在住。男子地区リーダー。男子部大学校4期。
  
 まつもと・しんや
 1994年(平成6年)生まれ、同年入会。兵庫県豊岡市在住。男子部本部長(部長兼任)。

男子部の友と

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