〈ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史〉第41回 創価学会は校舎なき総合大学 「一輪の花」への深き感謝編⑤2024年2月18日

50年前の師の励まし

 それは、仏法の英知を世界に発信する、池田大作先生の新たな挑戦の始まりだった。1974年4月1日、池田先生は、アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で講演を行った。海外の大学・学術機関での初となる講演である。
 カリフォルニア大学は、ハーバード大学などと並び称される全米を代表する学府である。1868年に創立されたバークレー校(UCB)が最も古く、1960年代、学生たちが公民権運動やベトナム反戦運動に立ち上がった歴史を持つ。
 UCLAで講演を行う3週間ほど前の74年3月8日、先生はUCBを訪問。この時、同校で学ぶ4年生の2人の女子学生と懇談の時間を持った。その一人が、カーラ・ゲルバウムさんだ。
 先生は、卒業を数カ月後に控えた2人に、「大きな夢を抱いて頑張ってください」とエールを。翌日、記念の品と一緒に、「親愛なるカーラさんへ 生涯、幸福で。卒業おめでとう」と英語でしたためたカードを贈った。
 SGIのメンバーでもあるゲルバウムさんは、大学を卒業後、美術系の修士号を取得。現代美術家として、数々の作品を生み出した。その間、経済苦などの試練に遭ったが、「生涯、幸福で」との先生の励ましを胸に乗り越えてきた。
 学生時代の忘れ得ぬ師の真心は、半世紀を経た今も、ゲルバウムさんの心を温め続けている。

「私は皆さんに会うために来たのです」「福智の勝利者に!」――アメリカのカリフォルニア大学バークレー校で、ボウカー総長との会見前に、卒業を控えた2人の女子学生と笑顔で語らう池田先生ご夫妻(1974年3月8日)

「私は皆さんに会うために来たのです」「福智の勝利者に!」――アメリカのカリフォルニア大学バークレー校で、ボウカー総長との会見前に、卒業を控えた2人の女子学生と笑顔で語らう池田先生ご夫妻(1974年3月8日)

英知を磨くは何のため

 1993年3月15日、UCBは開学125周年を記念して、池田先生に「教育・平和貢献賞」を贈った。表彰状には、こう記されていた。
 「池田大作氏を顕彰したい。これがカリフォルニア大学バークレー校の心からの願いである」
 「氏は、世界の多くの指導者、学識者と『対話』してきた。その中には、わがバークレー校の友人も含まれている。この対話を通して、氏は平和と相互信頼への道を切り拓いてきた」
 授与式は総長室で行われた。席上、チェン総長は、池田先生へのあふれる敬愛の思いを述べた。
 「池田会長に、わが大学を訪問していただいたこと自体が光栄なことなのです。わが大学の歴史に残ります」
 このアメリカ訪問の折、先生は一人の学生を激励した。UCBの博士課程に在籍していた、エド・フィーゼルさんである。
 フィーゼルさんは、65年12月、神奈川・横須賀で生まれた。母は日本人で、父は米軍に勤務していた。
 軍を退役した後、父は良い仕事に恵まれなかった。家は食事代にも事欠くほど、経済的に困窮した。
 弟のデイビッドさんは、重度の障がいがあった。小学生の時、フィーゼルさんは弟の面倒を見るため、あまり友達と遊ぶことができなかった。
 それでも、卑屈になることはなかった。母の深い愛情を感じていたからだ。フィーゼルさんは、母の苦労に報いようと、必死に勉学に励んだ。高校時代は常にトップの成績を収めた。
 だが、高校3年生の時、父が失業。毎日のように借金の返済を迫られ、父は精神疾患を患った。
 フィーゼルさんは大学進学を目指していた。その夢を諦めることはできなかった。
 家族が一丸となって、父の看病に当たった。フィーゼルさんは父の健康回復と大学進学を強く祈り続けた。
 やがて、父の病状は少しずつ好転していく。さらに、学費全額免除の特別奨学生として、エール大学の合格を勝ち取った。
 大学入学前、いつも励まし続けてくれた先輩から、写真入りのハガキが届いた。そこには、池田先生が創価大学に贈ったブロンズ像が写っていた。
 「英知を磨くは何のため 君よ それを忘るるな」――ブロンズ像に刻まれた先生の指針を、フィーゼルさんは自らの指針とした。大学時代、学びに徹し、経済学部を首席で卒業。1988年、カリフォルニア大学バークレー校(UCB)の大学院に進学した。
 93年3月14日、3・16「広宣流布記念の日」の意義を込めた第1回「アメリカSGI青年部総会」が、サンフランシスコ文化会館で開かれた。席上、同SGIに「高等部」「中等部」が結成され、フィーゼルさんは全米高等部長の任命を受けた。アメリカ青年部・未来部の成長に期待を寄せた先生は、総会の終了後、フィーゼルさんら青年部の代表に励ましを送った。
 フィーゼルさんはその後、博士号を取得。全米男子部長、全米青年部長を歴任し、アメリカ各地を奔走しながら、学問に励み抜いた。
 2020年、アメリカ創価大学の学長に就任。人類貢献のリーダーの輩出に全力を尽くしている。

第1回「アメリカSGI青年部総会」に出席した折、出迎えた未来部の友に声をかける池田先生。後にこの中から、青年部のリーダーが多く誕生した(1993年3月14日、サンフランシスコ文化会館で)

第1回「アメリカSGI青年部総会」に出席した折、出迎えた未来部の友に声をかける池田先生。後にこの中から、青年部のリーダーが多く誕生した(1993年3月14日、サンフランシスコ文化会館で)

“弟子の戦いをご覧ください”

 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で、「21世紀への提言」と題する池田先生の講演が始まったのは、1974年4月1日、現地時間の午後3時過ぎ。日本時間では4月2日の午前7時過ぎである。
 池田先生が海外で初めての大学講演を行ったのは、恩師・戸田先生の祥月命日であった。
 講演会場であるディクソン講堂には、1時間も前から多くの学生が待っていた。講堂に入ると、先生は胸中で恩師に語りかけた。
 “これから戸田先生に代わって、先生にお教えいただいた仏法の生命論の一端を語ってまいります。世界に向かって、創価思想の叫びを放ちます。弟子の戦いをご覧ください”
 講演に臨む前、先生はアメリカ青年部の研修会に出席している。その折、UCLAで講演を行うことに触れ、“次代を担う大切な君たちだ。今後のために、講演をしっかりと学んでもらいたい”と語った。
 3月9日から始まったアメリカ青年部の研修会は、この日で7回目を数えた。その全てに、先生は出席した。
 先生はUCLAへ向かう車中、「研修会の卒業証書を授与してはどうか」と提案した。移動の時間も、アメリカ青年部の成長を願い、“皆に少しでも思い出を残してあげたい”と心を砕いていたのである。
  
 UCLAの講演で先生は、72年と73年に行われたトインビー博士との対談で、「生命をこのうえなく尊厳とする思想を、全人類が等しく分かち持つことが急務である」と確認し合ったことを述べ、こう強調した。
 「きたるべき21世紀は、結論して言うならば、生命というものの本源に、光が当てられる世紀であると思っております。否、そうあらねばならないと信じています」
 さらに、生命尊厳の世紀を築くためには、欲望に振り回される「小我」の生き方から、大宇宙の根本法に則った「大我」の生き方への転換が必要であると語った。
 そして、「一人一人が内なる自己を見つめ、(欲望を)制御することが必要不可欠である」と述べ、21世紀を「生命の世紀」とするために、人間が知性のみならず、精神的、生命的にも跳躍すべきであると訴えた。
 1時間15分の講演に対し、UCLAのある教授は、「人類の未来開拓へ、根本的な道標を示した、重要な意義をもつもの」と称賛した。ある学生は、「自分の生涯をかけて勉強するに値する“人間の哲学”だと思いました」と知的興奮を口にした。
 講演を終えた後、先生はキャンパスで、ジャズ界の巨匠ウェイン・ショーターさんと初めての出会いを結んでいる。UCLAをたった先生は、車中で戸田先生を偲び、深い感謝の祈りを捧げた。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校で1時間15分にわたる講演の終了後、万雷の拍手が会場のディクソン講堂を包んだ。聴講した学生たちが次々と、池田先生に握手を求める(1974年4月1日)           

カリフォルニア大学ロサンゼルス校で1時間15分にわたる講演の終了後、万雷の拍手が会場のディクソン講堂を包んだ。聴講した学生たちが次々と、池田先生に握手を求める(1974年4月1日)           

戸田大学は世界一の大学

 1974年4月9日、アメリカ青年部の研修会が開催された。池田先生は一人一人に、「アメリカの未来を頼みます」「民衆のために戦う幸福博士に」などと声をかけながら、卒業証書を手渡していった。
 懇談の折、ある青年がUCLAの講演に感動したことを述べ、「そうした力は、どうやって身につけられたのでしょうか?」と質問した。
 先生は、戸田先生によって育まれたものであると答え、こう語った。
 「私の最高の栄誉は、戸田大学の卒業生であるということです」
 「戸田大学には校舎も図書館もありません。卒業証書もなかった。しかし、師匠と弟子の黄金の絆が、永遠不滅の輝きを放つ師弟の魂がありました。人類のための平和博士を、幸福博士を育む大学でした。ゆえに、戸田大学は世界一の、最高の大学であると確信しています」
 「私は、その戸田大学の優等生として、それを世界に証明する義務があると思っています。いや、必ずそうしてみせます。それが弟子の道です」
 戸田大学のことを述懐した後、先生はその場にいたメンバーに、万感の思いを語った。
 ――皆さんは“アメリカ池田大学”の第1期生です。短い期間ではありましたが、私は全生命を、全精魂を注ぎ尽くす思いで研修を行いました。皆さんが、私と同じ決意で、アメリカの人々の幸福のために、平和のために、その生涯を捧げてくださることを信じております――。
  
 世界の大学・学術機関での池田先生の講演は、これまで32回に及ぶ。先生はその意義を、こう記した。
 「偉大なる師の思想を、広々と全世界に宣言し、流通しゆく知性の戦であった」

池田先生ご夫妻がサンフランシスコ市庁舎を訪問(1993年3月18日)。ジョーダン市長との会見の折、名誉市民に当たる「市の鍵」が先生に贈られた。会見が行われた執務室には、市長が大阪を訪問した折、関西文化会館でメンバーと共に写した記念写真が飾られていた

池田先生ご夫妻がサンフランシスコ市庁舎を訪問(1993年3月18日)。ジョーダン市長との会見の折、名誉市民に当たる「市の鍵」が先生に贈られた。会見が行われた執務室には、市長が大阪を訪問した折、関西文化会館でメンバーと共に写した記念写真が飾られていた

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