〈生きるよろこび 信仰体験〉 脳性まひ、卵巣がんをはね返す母の覚悟2024年2月12日

  • 「悩む」とは「闘う」こと。前を向くこと。

 【富山県高岡市】スマートフォンに、大切に保管している1枚の写真がある。5年前、創価大学のキャンパスを訪れた際、桜の前で家族3人で写した一こま。真ん中の梶弘子さん(60)=地区副女性部長=は医療用帽子をかぶっている。脳性まひの体で、日々、学会活動に励んでいた頃、卵巣がんが見つかった。その闘病中に撮影した写真だった。春の訪れを信じられたのは、家族、同志、そして師匠との絆があったから――。

幸せになりたい

 2018年(平成30年)――。幸せの中にいた。

 優しくて、真面目な夫・明さん(51)=誓願長(ブロック長)=は、この3年前に創価学会に入会し、脳性まひで不自由な梶さんを隣で支えてくれた。長男・貴晴さん(23)=学生部員=は高校3年生になり、大学受験を控えていた。大好きなコロッケを作ると、笑顔で食べる姿がいとおしかった。

 “こんなにも幸せになれるとは思っていなかった。このかけがえのない時間がずっと続いてほしい”

一家和楽をずっと祈ってきた

一家和楽をずっと祈ってきた

 ところが――。その年の夏、右の太ももが腫れ、倦怠感が続いた。病院で検査を受けると、血管が圧迫され血栓症を起こしていた。静脈瘤となった箇所を切って縛るカテーテルでの手術を行えば問題ないという。

 9月に手術を終えると、医師から、婦人科に寄ってCT検査の結果を聞いてほしいとの話があった。変な胸騒ぎがした。

 診察室に入ると、「卵巣がんの可能性が高い」と告げられ、MRI検査を受けることに。予期しない言葉。「私は死ぬんですか」と何度も聞いた。医師から「落ち着いてください」となだめられるほど、動揺した。

 自宅に戻り、御本尊の前に座っても、声が出ない。がんが体を蝕んでいくイメージがつきまとい、恐怖で頭の中がいっぱいになる。

 “何で私ばっかり……。もう十分、苦しんできたのに”

 ――仮死状態で生まれた。立って歩けるようになったのは3歳過ぎ。2歳下の弟はすでに立ち歩きができていた。その頃、病院で「脳性まひ」と診断された。運動機能に障害があり、特に右の上下肢に症状が出ていた。

 成長するにつれ、歩き方はぎこちなくなり、階段は一段ずつ下りた。ろれつが回らず、同級生にからかわれ、いじめられた。

 19歳の時、友人から仏法の話を聞き、“幸せになりたい”一心で信心を始めた。学会活動に励む中、結婚し子どもも生まれた。夫も入会し、一家和楽を実感し始めたばかりだった。

 “まだ死にたくない”と心の底から願う。いちるの望みにかけたが、後日、医師は「がんで間違いない」と。目の前が真っ暗になった。

愛猫・キャッチと

愛猫・キャッチと

無敵の一言

 3週間後、手術で卵巣と卵管、子宮、リンパ節を切除した。進行が早い漿液性で、ステージは2bだった。

 その後、抗がん剤治療をするにあたり、医師は「脳性まひのあなたの場合、どのくらい副作用があるか分かりません」と。容赦ない現実が、胸に突き刺さる。

 治療が始まると、副作用で体がだるくなり、手足がしびれた。髪もバサッと抜け落ちた。心の準備はしていたが、ポロポロと涙が頰を伝う。“もう嫌だ……”

 背中を震わせていると、夫の明さんが目を真っ赤にして「悲しいね。悔しいね。でも、髪が抜けても、弘子は弘子だよ。何も変わらないから。ずっと一緒だよ」と手をぎゅっと握ってくれた。

梶さん(左端)は「障がいで悩んでいた時、求めていた温かな世界が学会にありました」と、同志への感謝は尽きない

梶さん(左端)は「障がいで悩んでいた時、求めていた温かな世界が学会にありました」と、同志への感謝は尽きない

 同志も駆け付けてくれた。うなずきながら話を聞き、隣で題目を唱え、一緒にウィッグも探してくれた。真心がうれしくて温かかった。
 少しずつ前を向けた頃、池田先生の言葉に心が熱くなった。

 「『悩む』とは、本気で生老病死の宿命と格闘することです。翻弄され、嘆き泣いていては、宿命を破ることなどできません。宿命は、勝って乗り越えるために存在しているのです。仏法の眼から見れば、宿命は、妙法の偉大さを証明するための方便です」

 先生が、そばにいてくれている気がした。

 子どもは目標をくれた。受験に全力で挑めるよう、わが子の前では笑顔を貫いた。弁当を愛情込めて作りもした。体がきつくても「それが母としての覚悟でした」。

 貴晴さんが創価大学への進学を決めた時は、「絶対に元気になって、入学式に行くと決めたんです」と。

 そして、6クールの治療を終えて迎えた4月2日の入学式。万朶の桜が咲き薫る中、家族で写真を撮った。一生の宝物になった。

 1週間後、治療の効果の結果が出る前日。貴晴さんからLINEが届いた。

 〈祈っているよ!〉

 短い一言。でも、無敵の一言。胸の中に希望の灯がともる。

現在、東京大学の大学院で学んでいる長男・貴晴さん。「母と父のおかげで、僕にはいつでも帰れる場所があります。だから、失敗しても、努力し続けることができると思うんです」

現在、東京大学の大学院で学んでいる長男・貴晴さん。「母と父のおかげで、僕にはいつでも帰れる場所があります。だから、失敗しても、努力し続けることができると思うんです」

 翌日の診察室。医師から「がんは見えなくなりました。異常はありません」との言葉が。すぐに夫と息子に連絡した。

 母の“勝利宣言”を聞いた貴晴さんはホッとした。

 「正直、それまで、真剣に祈ったことがなかったんです。でも、母のことがあって、人生で初めて真剣に祈りました。創大で学べたこと、最高の友達に出会わせてくれたこと。両親には感謝しかないです」

東京で離れて暮らす息子とビデオ通話

東京で離れて暮らす息子とビデオ通話

本気で向き合う

 脳性まひ、がんとの闘い。“信心しているのに、なぜ”と思う時もあった。その都度、思い出すのは、関西女子部時代の先輩の励ましだった。

 入会して1年、5年、10年。周りのみんなが幸せそうで輝いて見えた。一方で、障がいは治らない、幸福を実感できない自分の存在が苦しかった。友人に「絶対に幸せになれるよ」と話す心の中で、“私以外は……”と思ってしまう。

 ある日、先輩に「私は本当に幸せになれるんでしょうか」と尋ねた。

 先輩は「何言ってるの! 幸せになるために信心したんやろ。弘子ちゃんが幸せにならないなら、この信心は間違ってる。女性の幸せは、すぐには分からない。40代、50代の時かもしれない。でも、これだけは断言できる。弘子ちゃんは必ず幸せになる! 私は信じているから」。あの時の先輩の優しい目が忘れられない。

 「私をずっと励ましてくれていた先輩が、『幸せになる!』って言い切ってくれたから、最後の勝利を信じることができたんです!」

「今も正直、不安で手が震えます。泣きながら祈っていることばっかり。毎日が私にとっては戦いなんです。でも、負けません」と梶さん

「今も正直、不安で手が震えます。泣きながら祈っていることばっかり。毎日が私にとっては戦いなんです。でも、負けません」と梶さん

 現在、転移・再発はないが、手足のしびれは残っている。半年に1度の検査のたび、心臓が飛び出そうなくらい緊張する。

 「腫瘍が見えなくなっても、不安は消えない。だから、本気で祈れる。祈っていると、あふれてくるのは感謝なんですね」

 今こうして“生きている”という喜びと感謝を友へ語り続けた。20年(令和2年)1月、梶さんの姿を見てきた友人が入会した。

 「生きている限り、悩みや困難にぶつかります。逃げたとしても、避け続けることはできない。だから、いつ本気で向き合うか。信心ってすごいのは、不幸だと思えることが起こっても、その分、祈りが強くなって、深まっていく。そうすると、心もどんどん強くなっていく。そのことが、本当の幸せだって、今は思えるんです」