〈ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第39回 不屈の探検家2024年2月12日

南北両極の調査で活躍したフラム号。ノルウェーの歴史的記念品として、首都オスロに立つ「フラム号博物館」内に展示されている。池田先生は1964年10月に見学した©picture alliance/Getty Images

南北両極の調査で活躍したフラム号。ノルウェーの歴史的記念品として、首都オスロに立つ「フラム号博物館」内に展示されている。池田先生は1964年10月に見学した©picture alliance/Getty Images

〈フリチョフ・ナンセン〉
ただ一つの道、それは前進だ。
おそらくは試練と苦難とを通しての
前進であろう、けれども前進だ。

 本年は、池田大作先生が北欧ノルウェーに第一歩をしるして60周年。訪問の折、先生は首都オスロの博物館で1隻の船を見た。北極と南極への航海を成し遂げた探検船「フラム号」である。
 
 「フラム」とは、ノルウェー語で「前進」の意。この“前進号”に乗って、地球の極地に挑んだ2人の勇敢な探検家がいる。同国が生んだフリチョフ・ナンセンとロアール・アムンゼンである。
 
 ナンセンは1861年10月、クリスチャニア(現オスロ)で生まれた。大学で動物学を専攻したことから、北極地方の研究を勧められ、アザラシ猟船に便乗してグリーンランド沖へ。これを機に、北極に興味を持つようになった。

フリチョフ・ナンセン(1861-1930年)©clu

フリチョフ・ナンセン(1861-1930年)©clu

 88年にグリーンランドの東西横断を達成すると、そこで暮らす先住民イヌイットの生活を観察し、著書を発刊。極地研究者として注目を集めるようになる。
 
 さらに彼は、流氷が極地を横切って漂流する可能性を検証するため、海流に船を任せ、人類未踏の北極点に漂着するという計画を立てる。そのために用意したのが、氷の圧力に負けないよう頑丈に設計されたフラム号であった。
 
 船が完成すると、13人の乗組員で北極点に向けた探検を敢行(93年6月)。幾多の困難を乗り越えながら最後は氷上を犬ぞりで前進し、95年4月、誰も到達したことのない北緯86度14分に達したのである。

北極点を目指すナンセン隊(1895年2月)©Print Collector/Getty Images

北極点を目指すナンセン隊(1895年2月)©Print Collector/Getty Images

 その翌年、無事帰還したナンセンを母国は英雄として迎えた。以降、ナンセンは国民の衆望を担い立ち、ノルウェーの独立運動に参加。政治の舞台で活躍する。
 
 第1次世界大戦後は難民救済活動に奔走。国際連盟の初代の難民高等弁務官を務めるなど、現在の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の先駆者として、戦後の混乱の中で生まれた数百万人の難民の命を救った。この功績が評価され、ノーベル平和賞(1922年)を受賞した。
 
 68歳で没したナンセンは、幾つもの信念の言葉を残している。
 
 「なさねばならぬ事柄をなすべき道は、つねにある」
 
 「ひいたりそれたりする一切の道は結局とざされている。
 
 いまは唯だ一つの道しかない、それは前進だ、おそらくは試練と苦難とを通しての前進であろう、けれども前進だ」

〈ロアール・アムンゼン〉
強い意志こそ、
目的達成には不可欠のものだ。

 北極海の漂流航海を終えたフラム号をナンセンから譲り受けたのは、アムンゼンであった。
 
 アムンゼンは1872年7月、ノルウェーで誕生。海の近くで育ち、少年時代から船乗りに強い憧れを抱いていた。
 
 将来を決定づけたのは1冊の本だった。10代半ばで英国の探検家ジョン・フランクリンの伝記と出あい、夢を大きく膨らませる。母の願いを受け、大学に進学して医学を学ぶが、母の死去後に中退。探検家への道を歩き始めた。

ロアール・アムンゼン(1872-1928年)©AFP=時事

ロアール・アムンゼン(1872-1928年)©AFP=時事

 初探検は22歳の時。平均標高1800メートルの高原の踏破に挑むも、猛吹雪で中断を余儀なくされる。準備不足が露呈する結果に終わったが、彼は“失敗ではなく経験が一つ増えた”と捉え、こう同行者に告げた。
 
 「ぼくらにはわかったんだ。強い意志こそ、目的達成には不可欠のものだって」
 
 “強い意志”――それは、目的達成のために必要な努力と準備を怠らない執念といえよう。
 
 その後は漁船で修行を積み、25歳で南極探検に参加。34歳にして、大西洋からアメリカ大陸の北方を通って太平洋に出る北西航路の開拓を成功させる。
 
 次なる目標を北極点の制覇に定めたアムンゼン。だが、「挑戦は無謀だ」と周囲からなかなか協力を得られずにいた。そうした中、彼は交流のあったナンセンのもとを訪れ、意見を求めることに。
 
 アムンゼンの計画を聞いたナンセンは大いに賛同し、自らの夢を託して、フラム号をプレゼントする。これがきっかけとなり、アムンゼンは難航していた資金調達にも成功。一気に準備は進んだ。
 
 ところが、航路の熟考を重ねていた1909年4月、米国の探検家ロバート・ピアリーが北極点に初到達。先を越されたことに衝撃を受けながらも、アムンゼンたちは翌年、予定通りフラム号に乗って出航する。
 
 目的地は北極点ではなく、南極点だった。“極点征服の夢は南で果たす”――船上で新たな目標を聞かされた隊員たちは歓呼の声を上げた。この頃、英国のロバート・スコット隊も南極点を目指していたが、過去の経験などを生かしたアムンゼン隊が先行。約1年半後、人類で初めて南極点に到達したのである(11年12月)。

1911年12月、人類で初めて南極点到達を果たしたアムンゼン隊。ノルウェー国旗を掲げた©AFP=時事

1911年12月、人類で初めて南極点到達を果たしたアムンゼン隊。ノルウェー国旗を掲げた©AFP=時事

 後にアムンゼンは、飛行船で北極点を通過し、北極横断も達成。北と南の両極点へ行くという壮挙を成し遂げる。
 
 「悲観したってなんにもならないよ。そんなに弱気じゃ、この世で何もできないよ」
 
 「完全な準備のあるところに常に勝利がある。人はこれを“幸運”という。不十分な準備しかないところに必ず失敗がある。これが“不運”といわれるものである」
 
 56年の生涯を駆け抜けた彼の言葉は、未来を照らす羅針盤として不屈の輝きを放ち続ける。

ノルウェーに第一歩をしるし、首都オスロ市内を視察する池田先生(1964年10月17日)。訪問の折、先生は広布の“一粒種”として奮闘する草創の同志に万感の励ましを送った

ノルウェーに第一歩をしるし、首都オスロ市内を視察する池田先生(1964年10月17日)。訪問の折、先生は広布の“一粒種”として奮闘する草創の同志に万感の励ましを送った

 ナンセンとアムンゼンを乗せて偉業を達成したフラム号。池田先生はノルウェーを訪れた1964年10月、この栄光の帆船を間近で仰ぎ、強い感動を覚えた。
 
 そして滞在中、現地の同志を温かく激励。同国には先生が訪問する1年9カ月前に地区が結成されていたが、学会員はわずか3人しかいなかった。
 
 先生は、日本から来た地区部長の青年に訴えた。
 
 「あなたは、このノルウェーの地で、人生の幸福の大輪を咲かせていってください。それぞれの国で、誰か一人が立ち上がれば、幸福の波が広がっていきます。あなたが立てばいいんです」と。
 
 励ましの一波は大きく広がり、60年を経た今、ノルウェーSGIは「本部」へと発展。和楽と福徳の人材群が喜々として躍動する。
 
 また先生は89年、“難民の父”ナンセンの精神を継承するUNHCRから「人道賞」を受賞。2002年にはオスロ国際平和研究所から「平和賞」が贈られ、授賞式の謝辞でナンセンとフラム号について言及し、平和創造の大航海を進めゆくことを固く誓った。

〈アムンゼンを語る池田先生〉
途中で環境や条件の変化があっても、
「誓願」だけは揺らいだりしない。
「新たな課題に挑みゆく勇気」
「眼前の壁を突破する力」こそ、
我ら創価の青年の師子の魂だ。

 師弟によって開かれた世界広布の新航路。フラム号ゆかりの探検家を通して、先生が語り、つづった言葉には、こうある。
 
 「彼(ナンセン)は、こう叫んでいる。『人類にとって一層よい未来に近づくことができるようにと、真実に望むならば、その第一の条件は、勇気をもつことであり、恐怖に支配されないことである』(中略)
 
 信心とは、『最極の勇気』の異名である。何ものをも『絶対に恐れない魂』である。何ものにも『永遠に負けない根性』である」(06年1月6日、第56回本部幹部会・全国婦人部幹部会でのスピーチ)
 
 「彼(アムンゼン)は南極点到達の15年後に、飛行船で北極海横断の探検に挑戦した。そして見事、“南北両極点到達”の夢を実現している。
 
 たとえ、途中で環境や条件の変化があっても、めげるどころか、ぱっと頭を切り換え、新たなチャレンジに、それまで以上の勢いでぶつかっていく。自ら定めた『誓願』だけは揺らいだりしない。断じて勝ってみせるという『闘魂』は、いよいよ燃え上がらせていく。
 
 本来、青年の若さとは、何ものにも屈しない逞しい生命のバネを持っている。『新たな課題に挑みゆく勇気』そして『眼前の壁を突破する力』こそ、我ら創価の青年の師子の魂だ。(中略)
 
 一切は『一人立つ』ことから始まる。一人であっても、人間は実に豊富な力を秘めている。その無限の可能性を信じ、自らが一人立つ。そして、一人また一人と誠実に善きつながりを結んでいくことだ。そこに、広宣流布と立正安国へ、新たな勝利の波が生まれることを忘れまい」(本紙12年10月18日付「随筆 我らの勝利の大道」)
 
 「一人立つ」「一人を励ます」――我らが進む「人類の宿命転換」という壮大な旅の起点もここにある。

   
【引用・参考】フリッチョフ・ナンセン著『極北 フラム号北極漂流記』加納一郎訳(中央公論新社)、『わが人生観』吉野源三郎訳(岩波新書、現代表記に改めた)、A・G・ホール著『ナンセン傳』林要訳(同)、ローアル・アムンセン著『南極点』中田修訳(朝日新聞社)、エドワール・カリック著『アムンゼン』新関岳雄・松谷健二訳(白水社)ほか

   
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