〈社説〉 2024・2・10 あす戸田城聖先生の生誕日2024年2月10日

凍てつく心に希望の灯を!

 石川県の最西端に位置する加賀市塩屋。大聖寺川が日本海に注ぐ河口付近にあるこの町に、一人の男性が訪れた。1942年(昭和17年)の晩秋のことである。

 「私は、この家で生まれたと聞いている」「この家を大事にしてください。いつまでも、お元気でね」――懐かしそうに家主に言葉をかけながら、そう語り残していったという。

 この男性こそ、第2代会長・戸田城聖先生であった。時は太平洋戦争のさなか。軍国主義の足音が響く中、戸田先生は自身の身に競い起こるであろう大難を前に、愛する故郷をその眼に焼きつけようとされたのか。

 本年の元日、恩師の愛した故郷・石川を大地震が襲った。厳しい寒さの中で、車中泊や避難所生活を耐え忍ぶ被災者の心情を思うと胸が痛む。一日も早い被災地の復旧・復興と被災者の無事安穏を祈る日々である。

 本紙では発災以来、被災地の同志の奮闘を紹介してきた。自ら被災しながらも同志の安否確認や激励に走るリーダー、地域の復興のため、発災後数日で自身の営む飲食店の営業を再開した同志――。

 一人一人が深い葛藤を抱えながらも、池田先生が東日本大震災の際に贈った“心の財だけは絶対に壊されない”とのメッセージを生命に刻み必死に前を向いていた。

 ある石川の友が語っていた。「苦難の中で気力も体力も失い、何もできなかった。その中で、懸命に前を向いて進もうとしている同志の姿が聖教新聞に載るのを目にし、初めて心が動き出した」

 凍てつく心に希望の灯をともすのは師弟の原点、不屈の信心、そして、創価家族の励ましだ。

 かつて戸田先生は“信心の喜び”について語った。

 「一生のすべての体験が生きてくるのだ。何ひとつ、塵も残さず、無駄はなかったことが分かるのです。これが妙法の大功徳です」

 恩師の生涯は、人生の悲哀に沈む人々を抱きかかえるように勇気と希望の励ましを送り続け、幾多の蘇生のドラマを生んだ。

 あす2月11日は恩師の生誕124周年である。

 我らもまた、苦難に直面する友に寄り添い続けたい。

 同志への深き慈愛と温かなまなざしを胸に、“苦難の冬”を“勝利の春”へと転じていこう。恩師が貫いた尊き生涯のように――。