〈登攀者2024 信仰体験〉 インド高速鉄道の技術指導者として派遣2024年2月6日

  • 歴史を残す! 青年らしく

職場で要職を担い、地元組織でも久喜圏の圏長を務める大畑さん。「勝負の50代。唱題根本に全てに勝つと決めています」

職場で要職を担い、地元組織でも久喜圏の圏長を務める大畑さん。「勝負の50代。唱題根本に全てに勝つと決めています」

 「インディラ・ガンジー国際空港」に降り立つと、インド特有のスパイシーな香りと蒸し暑い空気に包まれた。大手建設会社・熊谷組に勤務する大畑雅義さん(52)=埼玉県宮代町、圏長=は、昨年9月下旬、インド初の高速鉄道建設の技術指導に当たることに。大畑さんの胸には、“20年前の仕事の失敗を仕事で取り返す”という熱い思いがあった。

 インド西部のグジャラート州。気温40度に迫る灼熱の太陽のもと、砂ぼこりと汗にまみれる日々が待っていた。
 
 ムンバイとアーメダバード間の高速鉄道計画に、日本の新幹線方式が採用されることになったのは、2015年(平成27年)12月のこと。日印首脳会談で締結されたものだ。派遣された大畑さんは、高規格・高品質の日本のものづくりの魂を伝えようと懸命だった。
 
 鉄筋や型枠の組み立て、そしてコンクリートの打設。各工程で気になったことがあればその都度、作業を止めた。
 
 「一番、訴えたのは“妥協せず、うやむやにしないこと”でした」
 自分の名前は残らずとも、インドの歴史に残る一大事業という使命感も伝えた。

インド初の高速鉄道建設のため技術指導に当たる大畑さん(左端)

インド初の高速鉄道建設のため技術指導に当たる大畑さん(左端)

 当初、作業を中断されることに不満げだった作業員たちの表情が、真剣さを帯びていく。2週間ほどで、大畑さんが声をかけずとも品質管理に注意を払うように。さらには、作業員同士が互いにチェックし合うまでになった。
 
 言語はもちろん文化や歴史も異なる人々と初めて顔を合わせ、共に仕事をするなかで信頼関係を深められた喜びは大きかった。インド人技術者たちから「ミスター大畑に教えられた通り、妥協せず、正確にやっていきます」と感謝された。
 大畑さんが強く訴えたのは、若き日の失敗が苦い思い出として脳裏に焼き付いているからだ。

 当時31歳。東北新幹線のトンネル工事で測量ミスをしてしまう。それが判明したのは、作業工程が進む中でのこと。
 
 「左右の幅が違う」「設計がおかしい」「計算が間違ってるんじゃないか」
 
 現場で、次々飛び交う声に血の気が引いた。工期に追われ、通常行う2段階チェックもスルーしてしまっていた。すぐに現場工事はストップ。途中まで進んだコンクリート構造物を破壊する音が、自分を責める声となって響いた。
 
 “あいつのせいで”“指示通りやったのに”
 
 「針のむしろに座らされるとはこのこと。誰からも話しかけられず、生きた心地がしませんでした」

 当時、社内では早期退職者を募る計画が進められ、同僚たちが次々と会社を去った。
 
 次は自分の番だ……。居場所のなさに加え、肩をたたかれる恐怖に押しつぶされそうだった。
 
 「今こそ本気で信心を貫く時だよ」。男子部の先輩から何度も励まされた。
 
 「池田先生の弟子として胸を張れる生き方を」と言ってくれたのは、妻・治子さん(51)=県女性部長。創価女子短期大学を卒業後、同じ会社の同僚だっただけに、夫の立場もよく分かっていた。妻の作る弁当を食べる時間だけが、唯一ホッと一息つける時間だった。
 
 帰宅すると、大畑さんは御本尊に向かった。「自分の生命を一変させる!」と真剣に題目を唱える。そして週末のたび、仏法対話に歩いた。身重の妻と当時1歳の長女の手を引き、青森、宮城、神奈川、新潟へ。治子さんにとって、苦境にあってなお、友のために確信を込めて語る夫の姿が印象的だった。

右から大畑さん、長女・直子さん、次女・理恵さん、妻・治子さん(本人提供)

右から大畑さん、長女・直子さん、次女・理恵さん、妻・治子さん(本人提供)

「仕事の失敗は、仕事で取り返す」

 大畑さんは、23歳の時、創価学会に入会。そのきっかけが治子さんから勧められた聖教新聞だった。日々掲載される、人のため、社会のために、という生きざまに心を動かされた。
 
 「入会前は、他人を押しのけてでも上に立とうという、人に勝ちたいばかりの利己的な人間でした。しかし入会後は、人に尽くし、協力し合う生き方を学んだのです」
 
 だから――。「どん底の時こそ、信心しかない」「仕事のミスは仕事で取り返す!」。心からそう思えた。
 目立たない小さな仕事にも全力で取り組んだ。トンネル工事において、花形である前方の作業でなく、他の人がやりたがらない後方で、掘った土の後処理や成分検査を担った。
 
 数年後、巡ってきたチャンスをものにする。掘進班長として手がけた工事が、「土木学会技術賞」「日本産業技術大賞」を受賞。信心根本に試練に立ち向かってから4年の歳月が経過していた。
 
 2010年(平成22年)1月には、本部幹部会に参加。池田先生の厳しくも温かい言葉を胸に刻んだ。
 
 「いかなる団体も、リーダーが気取りを捨てて、真剣に戦ってこそ、皆も奮い立つ。要領や口先だけで、厳しい現実を勝ち抜けるはずがない。死にものぐるいで、皆のために働く。皆に喜んでもらう。そのための指導者だ」

座学の講師も務めた

座学の講師も務めた

 その後は、東日本大震災の復興工事、北海道新幹線トンネル工事を経て、本社のトンネル技術部長など要職を歴任。これまで社長特別表彰は5回を数えるまでになった。その間、自己研さんを重ね、国家資格である「技術士」も取得。
 
 現在は、都内の超大型土木工事の作業所長として重責を担う。
 
 苦悩の淵にあったあの頃、共に対話に歩いた長女・直子さん(20)=華陽リーダー=は、イタリア・ローマ大学を拠点に留学先であるイギリスの名門ロンドン大学で政治学を学ぶ。トインビー対談を手に、教授や学友と語らいを広げる。

 次女・理恵さん(18)は、創価高校3年生。「父はいつも玄関を出る時、『今日も頑張って来るよ』って飛び出して行きます。頼りにしているし、尊敬しています」

 大畑さんが参加した本部幹部会で池田先生はこうも語った。
 
 「順風満帆に見える人よりも、厳しき試練に勇敢に挑み、粘り強く悪戦苦闘した青年のほうが、後になって光る。強くなる。はるかに偉大な歴史を残していけるのだ」
 
 本年、入会から30年目を迎えた大畑さんは、感慨深い表情で語る。
 
 「たとえ一時、悩みに押しつぶされそうになっても、怯まず弛まず、信心を貫くこと。20年、30年たてばその意味が必ず分かる。池田先生から教わった負けじ魂を、これからも貫いていきます」