〈スタートライン〉 恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表 清田隆之さん2024年2月4日

  • ふたをしてきた感情をケアするために、男性ももっと「おしゃべり」しませんか。

 恋バナ(恋愛話)を聞いていると、人間の本質のようなものを垣間見る瞬間があるんです――恋バナ収集ユニット「桃山商事」として、多くの人の恋愛話を聞いてきた清田隆之さんは、このように語ってくれました。恋愛からジェンダー、社会問題など幅広いテーマで執筆等を行う清田さんに話を聞きました。

 
人間関係のイロハ

 ――恋バナ収集ユニット「桃山商事」では、どんな活動をしていますか?
  
 さまざまな人たちから恋愛にまつわる悩みや体験談を聞いたり、そこから見える問題について語り合ったりすることが主な活動です。相談自体にはお金を頂いていません。
  
 もともとは学生時代に友人と始めたサークル活動ですが、口コミでだんだんと輪が広がって、今ではホームページやSNSから連絡をいただき、多くの相談や身の上話を聞くようになりました。
  
 その中で、恋愛の悩みの背景にある、個々人が抱えている人生の問題や、それを生み出している社会の構造などとの接点が見えてくる場面が増えてきたんです。
  
 ――具体的には、どのようなことですか?
  
 例えば「婚活が苦しい」という悩みを打ち明けてくれた女性がいました。ややもすると「そんなに苦しいならやめればいいのに」と言われがちな悩みだと思います。
  
 でも詳しく聞いてみると、家庭環境に頼れるところがなく、仕事も不安定。基盤となる居場所が欲しいけど友人関係もあまり広くない。だからマッチングアプリを使って婚活をしている……。そうした切実な事情を知ると、簡単にやめればいいなんて絶対に言えない。
  
 「恋バナ」って聞くと軽いものに感じるかもしれませんが、そこには人間関係のイロハが詰まっていて、決して浮ついたものではないと考えています。
 話を聞いたからといって簡単に解決できるものではありませんが、語り合いの時間はとても有意義なものだと感じています。
  
 これまで1200人以上の相談を受けてきました。その中で気付いたことや問題意識などをまとめて、コラムの執筆やポッドキャスト番組(音声配信サービス)での配信、講演やトークイベントなどを通じて広く発信しています。
  

マジョリティーには気付きにくい

 桃山商事の番組では先日、同性愛の男性をゲストに迎えてお話を伺いました。その方は友人をたくさんつくるため、出会いの場を設けたり、定期的に自分から連絡したり、ちょっとした手土産を渡したりして、人間関係をメンテナンスしていると話してくれました。
  
 その理由を聞くと、一緒に過ごせる人が減ってしまうという危機感があると語っていました。日本では同性愛の結婚が法的に認められておらず、永続的なパートナーシップを築きにくいことも関係しているかも……と分析されていました。だから、友人関係を広く丁寧に築くことで孤独にならないようにしているのかもしれない、と。これは自分自身も含めたマジョリティーの男性にはあまりない感覚だと思いました。
  

  
 おそらく異性愛の男性は、会社と家庭さえあれば社会的な保証のある基盤が得られてしまうため、他の人間関係がおろそかになっていくのではないか……。友達付き合いのあり方一つをとっても、掘り下げていくと社会的な背景が見えてくるものだと、つくづく感じます。
  
 ――現在も多くの相談依頼があると思いますが、その理由は何だと思いますか?
  
 我々のことを知ってくれている人だけでなく、ネット検索でたまたま知っただけという人も来るので、自分でも正直、その理由は分かりません(笑)。
  
 だけどやはり、誰にも言えない悩みがあったり、友達に打ち明けても「考えすぎだよ」「別れた方がいいよ」と一刀両断されてしまったり……渋滞した感情を抱えてやってくる人が多い印象です。
 ただひたすら自分の話を聞いてくれる人がいてほしい。そうした思いが根底にあるのではないかと思っています。
  

強がることが男らしさ?

 ――著書『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門』(朝日出版社)では、「男性同士の関係性」についても言及されています。
  
 自分自身が男子校の出身なので、プレッシャーを与え合う「男性同士の関係性」について、以前から気になっていたんです。
  
 例えば中学生の頃、一対一で話す時は優しくていいやつが、3、4人で集まるとキャラが変わって、「じゃんけんで負けたら全員におごる」といったゲームが始まったり、急にいじりや茶化しばかりするようになったり、その落差に疑問を感じていました。みなさんの中にも思い当たる場面がありませんか。
  
 何かと勝ち負けの要素を入れたり、圧を掛け合って楽しむことが、男性同士のコミュニケーションの原理になっているのかもしれません。それはそれで面白く感じるときもありますが、それを苦痛と感じる人もいると思うんです。
  
 ――確かに、そうした場面に、しんどいと感じたことはあります。
  
 “実は傷ついていた”という人はたくさんいるのではないでしょうか。嫌だけど言えなかったということもあれば、逆にそういったノリに加担して人を傷つけたことがあるという人もいると思います。
  
 だけど、こういう話って「あの時はバカだったな」と、思い出話や武勇伝のように処理してしまいがちです。本当は、そこにさまざまな感情の動きがあったはずなのに、それらが全て切り落とされてしまうというか。
  
 傷ついていたとしても、それを言うこともできず、傷ついたことすら自覚しないようにしている。強がることが男らしさであるかのような、言いようのない心理が男性同士の関係性の中にあると考えています。これについては、今後も男性の話をたくさん聞いて考えていきたいと思っています。
  

清田さんの著書『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門 暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信』(朝日出版社)

清田さんの著書『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門 暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信』(朝日出版社)

  
 ――やはり男性は、「自分は強くありたい」という思いが強いのでしょうか?
  
 どうなんですかね……。どちらかと言うと、「弱い・ダサい」と思われるのが怖い、というのが本音ではないかと感じています。
  
 個人的な経験で言うと、19歳の時にカツアゲ(恐喝)にあったことがあります。4人組の男の人に囲まれて、「金を出せ」と脅されて。拒んだらボコボコにされて鼻を骨折しました。
  
 でもずっと、この出来事を「5000円を出し渋ったら病院で2万5000円払うはめになった」という笑い話にしていたんです。本当はトラウマになるほど怖かったのに。ジェンダーの問題を学んだ今思うのは、“弱いやつ”と思われるのが嫌で笑い話にしていたんだと気付きました。
  
 自分のような事例ではなくても、上司に怒られてもへこたれてはいけないとか、男性っていろんな感情をなかったものにして、平静を装っている気がするんです。それでも心の中には、手当てのされていない膨大な感情を持っているはずです。
  

自分の内面を語り合う

 ――自分の感情を大切にするために、清田さんは「おしゃべり」の必要性を訴えています。
  
 ここで言う「おしゃべり」とは、自分の気持ちや考えを誰かと共有するような会話というイメージです。趣味の話とか社会の話ももちろん楽しいのですが、内面にまつわる話が男性にはもっと必要なのではないでしょうか。
  
 例えばスポーツ選手の活躍のニュースを聞いた時に、何かザラっとした感情がわいたとすします。そこにはもしかしたら、スポーツで挫折した経験とか、何かしらのコンプレックスが関与しているかもしれない。そんなふうに、今の自分が形成されてきた過程で、どのような経験が影響しているのか考えるためにも「おしゃべり」が必要だと思うんです。
  
 過去のモヤモヤとか、日常の中でのうれしかったこととか、さまざまな感情や思いを誰かに聞いてもらったり、逆に誰かの話に耳を傾けながら共感を重ねていったりする。そういう「おしゃべり」の機会を増やしていけば、自分の中にある“手当てのされていない感情”がどんどん拾われて、言葉になり、整理されていくと思うんです。それはお互いの感情をケアし合うことにもつながります。
  
 とりわけ男性には「おしゃべり」の機会があまりにも少ないと感じます。それは自分がふたをしてきた感情を誰に開示したらいいのか、どのように伝えればいいのか分からないからかもしれません。でも、安心して自分語りができる場所や時間がないのは結構つらいはずですよね。
 まずは、ちょっとした雑談や、友達を誘って「お茶をする」機会を増やすことから始めてみるのはいかがでしょうか。
  

嫌な思いをさせてしまった……

 ――「おしゃべり」をする時に、自分が誰かを傷つけた経験があると、途端に話しづらくなると思います。特にジェンダーに関する話題では顕著のように感じられます。
  
 その気持ちもよく分かります……。差別的なことを言ってしまったとか、その場のノリに巻き込んで嫌な思いをさせてしまったとか、自分にもそういう経験が多々あるので。
  
 仮に立場が上の人が差別的な発言をした時に、その周りにいた人も何となく笑い声を上げたり、いさめることをしなかったりしたということがあったとします。それを見て「差別に加担している」と指摘されても、どうしようもなかった部分もあって、素直には納得できないと思うんです。
  
 やましさや後ろめたさがあると、「責められるのが怖い、だったら触れないでおこう」という発想になっても不思議ではない。自己矛盾に向き合うのは、とても難しいことだと思います。
  
 ――その上で清田さんはどのように考えることが大切だと思いますか?
  
 そうですね。やはり自分がしてしまったことは自覚して、反省すべき点は反省しつつも、もし同じような場面がもう一度起きたとき、なるべく繰り返さないようにアクションを起こせるようになったら、一番いいですよね。
  
 逆に自分が被害者になった時のことを想像してみてください。例えば会社で自分にばかり仕事が割り振られて、うまくいかずに怒られてしまったとします。その時に周囲の人が助けてくれず、一言も声をかけてくれなかったら、誰だって絶望すると思いますし、人間不信にもなりかねないですよね。
  
 どうしようもできなかったことと、その中でも自分にできたことを分けて考えてみる。そして自分にも責任があると感じたことについては、繰り返さないようにしていくことはできると思うんです。
 ジェンダーなどの社会全体の問題についても、ひとごとと切り離さないで、同じように考えることができると思います。
  

 
「親の責任」=対応する力

 ――著書では、自身の育児の経験もつづられています。
  
 コロナ禍だったこともあって、本の中ではつらい気持ちばかりをつづってしまいましたが(笑)、育児を通して気付いたことはたくさんあります。
  
 特に親としての責任を考えました。「責任」とは英語で「レスポンシビリティ(responsibility)」と言うじゃないですか。つまり責任とは応答・反応(レスポンス)する力(アビリティ)とも言い換えられる。
  
 その意味で「親の責任」を考えると、赤ちゃんを育てていくため、日々発生するさまざまなことに対応する力を身につけていくことだと思うんです。どのミルクがいいのか、泣いているのはどうしてなのか、栄養バランスや消毒はどうするのか……。育児ってやることや考えることが時々刻々と、無限に出てくるんですよね。
  
 ケアにおいては、このように相手への想像を広げて、それに対応するスキルを持っているかどうかが大事になってくる。実体験を通してそれを学べたことは、自分自身や友人、パートナーに対するケアにもつながっている気がします。
  
 男性はケアが苦手と言われますが、決してそんなことはないと思うんですよね。むしろ仕事の場面ではケアができているという人も多いはず。家庭でできないというケースがあるならば、それは経験や意識の差ではないでしょうか。
  
 育児をパートナーに丸投げしていて、仮にパートナーが倒れてしまったらどうするのでしょうか。それは責任が果たせない、レスポンシビリティが身に付いていないということになってしまいます。本当にそれでいいのでしょうか?
  
 大変なのは痛いほど分かるし、自分自身も常にいっぱいいっぱいです。だけど、俺たちだってやれないことはないはず。お互いに頑張りましょうという気持ちで、これからも男性性の問題について発信していけたらと思います。
  

●桃山商事のポッドキャスト番組「桃山商事の恋愛よももやまばなし」

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●プロフィル

 きよた・たかゆき 1980年、東京都生まれ。文筆業。恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。これまで1200人以上の恋バナに耳を傾け、恋愛やジェンダーをテーマにコラムの執筆やポッドキャストの配信等を行う。著書に『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門』(朝日出版社)など。

 
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