おはようございます。部屋の温度は8℃。最も大変な中を、励ましと助け合う姿は美しい。人としての真価が問われている。支え合っていることを忘れてはいけないですね。今日もお元気で!

 

〈能登半島地震から1カ月〉 同志のもとへ励ましの声強く 被災地支援に全力2024年2月1日

  • 心に希望と勇気の太陽を

私たちは絶対に負けない!――被災者一人一人に“人生勝利の春”が訪れるよう、創価家族の絆も強く希望の励ましを広げゆく

私たちは絶対に負けない!――被災者一人一人に“人生勝利の春”が訪れるよう、創価家族の絆も強く希望の励ましを広げゆく

 1月1日に発生した能登半島地震から、きょうで1カ月を迎えた。被災地では今も停電や断水が続く地域があり、多くの人が厳しい避難生活を余儀なくされている。創価学会では災害対策本部を本部と北陸、信越方面、被災各県に設置。甚大な被害を受けた石川、富山両県の各自治体に義援金を贈るとともに、支援物資の搬入や、被災者の安否確認・激励に動いている。北陸の同志は“希望の春”へ、心に不屈の勇気の太陽を抱きながら懸命な前進を続けている。

 「地震は2回連続で来た」と被災者は言う。
 1回目は、午後4時6分頃で最大震度5強を観測。本震とみられる2回目は同10分頃、最大震度は7だった。
 
 「強い揺れを感じ、震源地を確認するため、慌ててテレビをつけました。『珠洲の方でまた地震か』と思った直後に、今度は感じたことのない揺れに襲われました」(輪島市の友)
 
 自宅の外で被災し、急いで車に乗り込んだ人は「車がバウンドするほど大きな揺れでした」(同)と振り返る。
 
 その後も余震は頻繁に起きた。
 1月1日から3日までに能登地方で観測された震度1以上の揺れは950回。これは、昨年1年間に発生した回数の4倍近くになる。
 「次の余震で家がつぶれるかもしれないと思うと、夜も眠れませんでした」(穴水町の友)
 
 ガソリンの残量を気にしながら、幾日も寒い夜を車中泊で耐え忍んだ人も少なくない。

 能登地方はこれまで大きな地震に襲われてきた。
 2007年3月25日には、最大震度6強を観測する地震が発生。686棟の家屋が全壊するなどの被害が出た。昨年5月5日の地震(最大震度6強)では、全半壊合わせて199棟が被害に。
 
 しかし「ここまで道路が壊れるような被害は初めて」という。
 
 今回は、半島北西部の輪島市で最大4メートルの隆起が報告され、水平方向に西へ1メートル以上移動するなどの大規模な地殻変動が起きた。路面の至る所に亀裂が走り、陥没や隆起による段差が車両の通行を阻んだ。土砂崩れや建物の倒壊が道をふさぎ、トンネルが崩壊するなどして多くの集落が孤立。壊れた道路が救助活動や被災地支援の大きな障害となった。

 さらには、広い範囲で携帯電話などの通信障害が発生した。
 人と人のつながりが“分断”された。「会いに行きたいけど、行けない。連絡を取ろうにも、取れない」
 
 その中で学会員は、近隣の人々と協力し、助け合いの輪を広げた。会館でも、一時的に避難者を受け入れた。

 消防団として活躍する輪島市の友は地域を回り、住民に避難を呼びかけ、寸断された道路の応急処置に当たった。七尾市で飲食店を営む夫妻は、店に残った食材で無償で食事を提供した。地域の避難所で、運営スタッフとして不眠不休で尽くす人や、介助が必要な避難者のそばで懸命にサポートする人も。
 道路が少しずつ開通していくのを待ち、メンバーの安否確認にも走った。
 
 増山勝利さんもその一人。最も被害の大きかった半島最北端の珠洲市、輪島市、能登町、穴水町を広布の舞台にする能登圏で圏長を務める。
 
 2007年の地震の際も、発災初日からメンバーの元へ駆けた。1995年の阪神・淡路大震災では、倒壊した高速道路を目にしながら物資を運んだ経験もある。
 「“いざ”という時に、とっさに体が動くのは、日頃の学会活動で培った励ましの精神があるからです」
 友の元へ行くと、無事に再会できて安堵の涙を流す人や、やり場のない怒りや悲しみを訴える人もいた。
 
 そんな一人一人に、配達できなかった聖教新聞や東日本大震災の折の池田大作先生のメッセージを手渡しながら励ましを送る。皆が心の声を吐露する。
 「真っ先に会いに来てくれて、うれしかった。学会員でよかった」
 「話を聞いてくれるだけで、元気が出た」
 
 増山さんをはじめ能登の同志は今、かつて池田先生から贈られた和歌を心に響かせながら、必死の思いで今日一日を生き抜く。
 
 「能登の友 断固まけるな 三世まで 長者と賢者の 誇りわすれず」
 
 増山さんは語る。
 「一人でも多くの同志に安全でいてもらいたい。落ち着いた場所で題目を唱え、前を向いてほしい。被災地にとどまるのも、離れるのも、全てが正解だと思います。自分で決めた道を進めるよう後押ししていきたい。一人一人が強くなり、池田先生と共に戦ってきた能登の同志は強いと思ってもらえるように」