〈ONE GOSHO この一節とともに!〉 立正安国論2024年1月28日

  • 勇気の拡大は一人から

男子部教学室編

 2月の「世界青年座談会」に向けた各部一体の訪問・激励で、創価家族の連帯が広がっています。今回は、仏道修行に励む上で、重要な存在である「善知識」について学びます。
 

御文

 汝、蘭室の友に交わって麻畝の性と成る。
 (新43・全31)

通解

 あなたは、香り高い蘭室の友に交わって感化され、麻畑に生える蓬のように真っすぐな性質になった。

背景

 本書は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が39歳の時、鎌倉幕府の実質的な最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。
 当時は、大地震・大風・洪水等の自然災害が相次ぎ、深刻な飢饉が発生。さらに、疫病の流行などが毎年のように続き、人心は乱れ、民衆は塗炭の苦しみにあえいでいました。
 中でも、正嘉元年(1257年)8月に鎌倉一帯を襲った「正嘉の大地震」が本書執筆の直接の動機です。
 本書は、客(北条時頼を想定)と主人(大聖人を想定)との10問9答の問答形式で展開されます。
 主人は、世の中の災難を嘆く客に対して、その根本原因は正法に背く「謗法」であると指摘します。
 客は、誤った教えへの執着から、はじめは主人の言葉に憤りましたが、経典に基づいた、主人の堂々たる仏法の正義の訴えを聞いて、徐々に態度を和らげます。最後は邪義への執着を断ち、正法を求めるに至ります。

解説

 今回の拝読御文は、客が仏法に対する間違った考えを改める様子を、主人が比喩を通して喜び、たたえている一節です。
 「蘭室」とは、香り高い蘭が置かれた部屋のこと。蘭室にいる人に、自然と蘭の香りが移るように、主人との対話によって、客が感化されたことを譬えています。
 「麻畝」とは、麻畑のことです。曲がりやすく、地面に広がって育つ蓬は、麻畑では周囲の麻に従って、真っすぐ伸びるといわれています。客の仏法への誤った認識が、主人によって正されていく様子を譬えています。
 仏法では、“人を仏道に導く存在”を「善知識」と呼びます。仏法を教える師匠や仲間から離れず、共に仏道修行に励むことで、成仏という幸福境涯は築かれていくのです。
 拝読御文の後には、「人の心は時間の経過に伴って移り変わり、人の性質は接する環境に基づいて変わる」(新43・全31、通解)と仰せです。
 “今、この場で信じていても、後になれば決意が薄れて忘れてしまう。だからこそ、時を逃さずに行動を起こしなさい”と、「決意即行動」の重要性を強調されています。
 また本書の最後は、「ただ我が信ずるのみにあらず、また他の誤りをも誡めんのみ」(新45・全33)と、自らの考えを改めた客の決意で結ばれています。
 自らが善知識に縁するだけにとどまらず、自身も善知識となって、正法を広める実践に挑むことを教えられていると拝せます。
 日蓮大聖人のお心のままに、善知識が善知識を呼ぶ“連鎖”によって築かれたのが創価学会です。そのことを象徴する広布史の一つが、1952年(昭和27年)の「二月闘争」です。
 あす29日は、二月闘争の出発となった蒲田支部緊急組長会が行われた日。同年1月、蒲田支部の支部幹事に就任した池田先生は、組2世帯の折伏を目標に掲げ、全ての組を丹念に回り、友の激励に徹しました。
 その中で、会合参加者の数は目に見えて増加。人々は口々に「先生に励まされた」「先生が家庭訪問に来られた」と語ったと言います。
 ある座談会で、折伏に悩んでいるメンバーの話を聞いた先生は、自ら率先して弘教の範を示しました。こうした先生の姿に触れた蒲田支部の同志は、一人また一人と立ち上がり、「201世帯」の弘教を達成。当時の限界を破る勇気の拡大は各地に飛び火し、恩師・戸田城聖先生の願業・75万世帯成就への突破口を開きました。
 後に、池田先生はつづっています。
 「まず自分が燃えることだ。冷たく黙したままの石でさえ、打ち合えば火花が生じる。いわんや、熱い魂と言葉をもった人間が打ち合うならば、心に火を灯せぬはずは絶対にない」
 善の連帯は必死の一人から二人、三人へと広がっていく――これは、創価三代の師弟、なかんずく池田先生が示してきた広宣流布の方程式です。
 私たちも折伏、訪問・激励に先駆し、縁する人の「蘭室の友」となって、善知識の会座である「世界青年座談会」を、陣列の拡大で飾っていきましょう!