〈生きるよろこび 信仰体験〉 ステージ4の腎盂がんに退かず2024年1月24日

  • 病が自らを鍛え打つ――
  • 「これは人間革命の戦いです」

「御本尊を信じ抜くことは簡単じゃない。ふと疑いや諦めが顔を出す。でも私は広宣流布の“刀”だから。そういう弱い命をたたき切っていくんです!」

「御本尊を信じ抜くことは簡単じゃない。ふと疑いや諦めが顔を出す。でも私は広宣流布の“刀”だから。そういう弱い命をたたき切っていくんです!」

 【東京都足立区】2017年(平成29年)の夏、小貫ふみ子さん(75)=区女性部主事=は、腎盂がんと診断された。現在に至るまで、病と一進一退の闘争を続けている。「この6年半は、がんとの闘いを越えて、御本尊様を信じ抜くための、私自身の人間革命への挑戦なんです」。病魔と対峙する中で、研ぎ澄まされていく祈り。自らの使命を思い、何度でも立ち上がってきた――。

揺れ動く心

 “まさか、がんだったなんて……”。腎盂がんと告げられた途端、小貫さんの頭の中は一瞬、空白になった。

 腎盂とは、腎臓と尿管の接続部で、腎臓でつくられた尿が集まるところ。

 小貫さんの左の腎盂には、小さな腫瘍が多数あり、周辺のリンパ節への転移も確認された。ステージ4。抗がん剤で、がんの広がりを最小限にとどめた後、左の腎臓と尿管を摘出する手術に臨むことになった。

 恐怖は確かにあったが、この頃はまだ、過去の経験が小貫さんの希望となっていた。

 10年前、夫・政則さん(76)=地区幹事=が、4期の悪性リンパ腫と診断された。経営する会社が倒産し、多額の負債を抱えるかどうかの瀬戸際の中、襲った病だった。

 幸い治療が功を奏し、腫瘍は消滅。借金も背負わずにすんだ。

 小貫さんは、あの時の決意の題目を思い出していた。

2度の倒産を経験。貧苦にあえぎ、夫婦仲が冷え込んだ時期も。全てを信心で乗り越え、互いを「恩人です」と感謝し合えるようになった

2度の倒産を経験。貧苦にあえぎ、夫婦仲が冷え込んだ時期も。全てを信心で乗り越え、互いを「恩人です」と感謝し合えるようになった

 “今度は私の番だ。必ず信心で乗り越えてみせる!”。懸命に御本尊に祈りながら、治療に励んだ。

 抗がん剤治療の後、予定された手術は成功。しかし、医師の表情はなお厳しかった。「見える範囲は取れたと思いますが、再発の可能性は高いです」。政則さんは思わず「再発したら、どのくらい生きられますか?」と。医師は「統計的には3年くらいでしょう」と静かに言った。

 “お父さんったら余計なこと聞いて。薬の副作用も全然なかったし、大丈夫よ!”。小貫さんの胸の中には、再び学会活動できる喜びであふれていた。

 だが――夫の心配は現実のものとなる。約1年半後の19年1月。摘出した腎臓近くのリンパ節に腫瘍が見つかった。大きいもので約3センチ。その他の箇所にも散らばっていた。手術はできない。抗がん剤での治療となった。

 祈り抜いた末の再発。ショックはあまりにも大きかった。

「会えて良かった、話せて良かったって思ってもらえる人になることが目標です」と小貫さん(左から2人目)

「会えて良かった、話せて良かったって思ってもらえる人になることが目標です」と小貫さん(左から2人目)

敗北じゃない

 病に立ち向かう決意が定まらず、小貫さんの心は揺れた。

 「これ以上、どう御本尊様に向かえばいいのか分からないんです」。女性部の先輩に思いのままをこぼした。

 自らも、がんと闘う先輩は、何度もうなずいてくれた。そして「医学が進歩して、がんと付き合っていく時代になってきたの。だから再発は敗北じゃないよ」と。

 さらに「鉄を熱くにいとうきたわざれば、きず隠れてみえず。度々せむれば、きずあらわる」(新115・全233)の御文を拝し、「私たちは広宣流布のために戦う“刀”なの。鍛え打たれるほど、強く強く、人間革命できるのよ!」。

 胸の奥から熱いものが込み上げてきた。ずっと、病気の克服ばかりを考え、それが信心の戦いだと思ってきた。先輩の確信が、忘れかけていた「何のため」を思い出させてくれた。

 “私の体で、信心の偉大さを証明してみせる!”。病魔と闘い抜くと腹が決まった。

 2度目の抗がん剤治療が始まった。激しい副作用に襲われた。吐き気と口内炎による激痛で、気力と体力が削られていく。全身に湿疹ができ、眠ることもままならなかった。

 さらに加えて、1型糖尿病と甲状腺の機能障害を発症。6クールを終えたところで投与を中止。糖尿病と甲状腺の治療に専念することになった。それでも、がんは確実に小さくなっていると医師は言った。

 年が明けた20年(令和2年)2月。再びリンパ節に大きな腫瘍が。今度は放射線治療が行われた。3カ月後には別の場所へ2度目の放射線。

 体力は落ち、御本尊の前に座るのもつらい。ひたすら、病魔をたたき出すように、一遍一遍の題目に決意を込めた。

 10月にCT検査。がんは、映像には映っていなかった。

私の使命

 病との一進一退の攻防を続ける間、小貫さんは池田先生の指導をノートに書き写してきた。

 〈「ただ唱題」「ただ、ただ広布」――その炎のごとき一念と実践が、暗夜を開いていくのだ。大事なのは「今から」の決意だ。「これから」の行動だ〉

 祈っては「後悔したくないから」と、友の元に足を運び、信心の喜びを語る。時に電話で声をかけ、手紙に思いを託す。「広布のために動ける一日一日が、功徳なんだと思えるんです」

 21年10月。再び、がんが見つかる。3度目の抗がん剤。

 不思議と心が揺らぐことはなかった。むしろ御本尊に向かう姿勢が、深く鋭くなっていくのが分かる。「法華経の行者の祈りのかなわぬことはあるべからず」(新592・全1352)。真剣に祈る中で、何度も拝してきた御文が、すっと生命の中に入ってきた。

 “そうか。この確信のための病気だったんだ”

 7クールの抗がん剤を終え、3度、がんを抑え込んだ。それから現在まで、免疫療法を続けている。再発・転移はない。

地域の同志と語らう小貫さん(左から3人目)。「皆さんのおかげで楽しい人生を歩ませてもらっています」

地域の同志と語らう小貫さん(左から3人目)。「皆さんのおかげで楽しい人生を歩ませてもらっています」

 今、小貫さんは、友への励ましに全力を注ぐ。その中には、自分と同じように、がんと懸命に闘う友もいる。

 「自分の体験を、ありのまま語っています。信心で乗り越えられないことなんて、絶対にないから」。時には涙を流し、一緒に立ち向かう決意を語ってくれたこともあった。その姿に「私の方が学び、力をもらっています」と。

 自らの病気に苦悩してばかりだった。それが今は、周囲に心を寄せ、幸せを祈り、広宣流布に生き抜く誓いに燃えている。

 「これが私の使命だったんだって確信しています。そのことに気付かせるために、がんが鍛え打ってくれたんです。もう何も恐れることはありません!」