〈学生部教学のページ〉 『生死一大事血脈抄』に学ぶ〈上〉2024年1月24日

三世を定める「今」の戦い!

 本年、学生部は年間拝読御書として4編を定め、日蓮仏法の魂を心肝に染める。今回からは、2回にわたって「生死一大事血脈抄」を研さんし、久遠の師弟の縁を学び深める。この時を選んで広宣流布を誓い躍り出た学生部が、一層深い弟子の自覚に立ち、「世界青年学会 開幕の年」を弘教拡大で先駆してまいりたい。

(今回の範囲)
新版1774ページ1行目~1775ページ17行目
全集1336ページ1行目~1337ページ14行目

御文

過去の生死、現在の生死、未来の生死、三世の生死に法華経を離れ切れざるを、法華の血脈相承とは云うなり。
(新1775・全1337)

通解

過去の生死、現在の生死、未来の生死と、三世にわたる生死の繰り返しにおいて、法華経から離れないことを法華の血脈相承というのである。

絵・間瀬健治

絵・間瀬健治

 
背景と大意

 「生死一大事血脈抄」は、文永9年(1272年)2月11日、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地・佐渡の塚原で認められ、最蓮房に与えられた御書とされている。元は天台宗の学僧だった最蓮房から、当時の天台宗の奥義とされていた「生死一大事血脈」に関する質問があったと推察され、それに対する御返事が本抄である。
 
 「生死一大事」とは、生と死を繰り返す生命における根本の大事のこと。「血脈」とは、法が仏から衆生へ伝えられていくことを、親から子へ血筋が受け継がれることに譬えた言葉である。つまり、「生死一大事血脈」とは、仏から衆生に伝えられる生命の究極の大事のことで、万人成仏の法を意味する。
 
 本抄で大聖人は、生死一大事血脈とは妙法蓮華経であると示された後、衆生が生死一大事血脈を継ぐための、信心の姿勢について述べられる。そして、法華経の「在々諸仏土、常与師俱生」の文を引き、師弟の深い宿縁を訴えられる。最後に、生死一大事の血脈とは「信心の血脈」であると結論され、ますます強盛な信心を起こすよう励ましを送り、本抄を結ばれている。 

 
解説 

妙法の生死

 生死とは何か――人間にとって最大の不思議であり、根本の問いといえよう。万人に共通して訪れる「死」であるが、普段、意識することは多くない。池田先生は、「死を凝視し、正しく位置づけていく生命観、生死観、文化観の確立こそ、21世紀の最大の課題となってくる」と語った。本抄には、日蓮仏法の生死観が端的に表されている。
 
 「お手紙を詳しく拝見しました」。冒頭、大聖人はこう記されている。最蓮房からの手紙には、おそらく、天台宗の学僧として学んだことなどが細かく記された上で、「生死一大事の血脈」とは何かと尋ねたことが推察される。大聖人の答えは明快である。「生死一大事の血脈とは、いわゆる妙法蓮華経これなり」と。
 
 なぜ、「妙法蓮華経」をもって「生死一大事の血脈」とされるのか。本抄では、その理由を二点、述べられる。
 
 第一に、法華経の虚空会の儀式において、釈尊が上行菩薩に託したのは、釈尊自身を成仏せしめた大法たる「妙法蓮華経」であったということである。「譲り」とある通り、成仏の極理がそのまま師から弟子へ渡されたのだ。
 
 しかも、上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩は、釈尊の久遠成道以来の弟子であり、同じ妙法蓮華経を所持していた。永遠なる師弟の絆においても、「寸時も離れざる血脈」なのだ。これは特別な者にのみ流れる秘伝の類いではない。誰もが仏に成る血脈こそ妙法蓮華経なのである。
 
 続いて、妙法蓮華経と「生と死」の関係がつづられていく。妙法蓮華経が生死の苦悩を解決する根本法とされた二つ目の理由と拝される。
 
 「妙は死、法は生なり」。生死の二法も妙法から生じ、また、妙法とは生死の二法そのものであるとの仰せだ。
 
 全ての生命は、妙法の現す生と死のリズムの中にある。それはあたかも、大海原に波が起こり、その波が大海に還っていくようなものだ。大海は妙法、波は個々の生命を表し、波が大海原から起こることが「生」、大海に波が還ることが「死」に当たる。妙法という永遠の大きな流れの中で、顕在化する「生」と、潜在している「死」の相を現すのだ。個々の生命は善悪の業をそのまま引き継ぎながら、次の生へ歩み続けるとみるのが日蓮仏法の生死観である。
 
 その上で大聖人は、「この生死の二法が十界の当体なり」と続けられる。生死の相を表す私たち衆生の生命は妙法そのものである。地獄界の生命が現れているからといって、仏界が消えたわけではない。南無妙法蓮華経の題目を唱えれば、生命に本来具わる仏界を直ちに開き顕すことができる。この因果俱時の不思議は、あたかも、花が開くのと同時に実がなる蓮華のようであるため、「当体蓮華とも云うなり」と記されている。
 
 次に、天台大師の釈を引用し述べられているのは、生命活動を営む主体(正報)だけでなく、その生命活動の依りどころとなる環境(依報)もまた「生死の二法」に則っているということ。「生死の二法」は妙法そのものであるため、天体の運行など宇宙的事象をも含む環境も、因果俱時の蓮華の法の現れである。釈迦仏・多宝仏すらも「生死の二法」、すなわち「妙法蓮華経の生死」の現れなのだ。
 
 これらのことを踏まえ、「久遠実成の釈尊」「皆成仏道の法華経」「我ら衆生」の三つに全く違いはないのだと確信し、南無妙法蓮華経の題目を唱えることが、成仏の要諦と訴えられている。
 
 池田先生は『生死一大事血脈抄講義』で、「地涌の菩薩として、南無妙法蓮華経を弘める使命に生き、悔いなく戦い切っている姿に、すでに『久遠実成の釈尊』『皆成仏道の法華経』と全く等しい南無妙法蓮華経の仏界の大生命が涌現しているのです」とつづっている。私たちが自行化他の実践に生き抜いている時、その躍動する生命には、間違いなく「生死一大事の血脈」が流れ通っている。社会を変えゆく生死観の革命は、きょうの自身の前進にあり、と心にとどめたい。 

学会の黄金則

 続く御文では、生死一大事の法である妙法蓮華経を受持するにあたり、「臨終只今にあり」との覚悟の信心に立つよう呼び掛けられている。その人に対し、千の仏が手を差し伸べるとされ、一方で不信の者は阿鼻地獄に堕ちると経文を通して述べられる。
 
 小説『新・人間革命』第23巻「敢闘」の章で、池田先生はつづっている。「師弟の結合があり、師弟の血脈が流れてこその、創価学会である。そこに、広宣流布の永遠の流れがつくられるからだ!」
 
 
 新年に総本部で着任したある学生部のメンバーは、多くの来館者が“今こそ戦う時”と弟子の誓いを語る姿に感動し、「師を求め続ける人は、永遠に先生と共にあると感じました」と語っていた。池田先生の最晩年に薫陶していただいた私たちは、その自覚と歓喜を胸に、ますますの求道心を燃やしてまいりたい。
 
 その後の御文では、現在、法華経を受持しているのは、過去世における法華経との宿縁が深いからであるとされ、未来の成仏も疑いはないと述べられている。
 
 そして、過去、現在、未来と三世にわたって信心を貫くことが法華経における血脈相承であると述べられ(別掲御文)、謗法不信の者は成仏するための可能性を絶ってしまうため、法華経の血脈は通わないとつづられている。
 
 日蓮仏法は、三世永遠の生命を説くが、実際にあるのは「今」の連続だ。故に、「どんなに困難な現実があろうとも、未来は変革可能であると捉え、根本の楽観主義に立脚して、『今』を真剣に戦うのが、日蓮大聖人の仏法の本義なのです」(『生死一大事血脈抄講義』)と池田先生はつづっている。今この時に起こす、自身の殻を破る一歩前進の戦いが、未来の成仏を決定づけ、また、過去世の意味をも変えていくのである。
 
 次に有名な御文が続く。「総じて、日蓮が弟子檀那等、自他・彼此の心なく、水魚の思いを成して、異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉るところを、生死一大事の血脈とは云うなり」と。さらに、自己中心の心を排し、麗しい生命連帯を実現することが、“日蓮の弘通の目的”とまで述べられている。
 
 小説『新・人間革命』第30巻〈上〉「雌伏」の章には、「何があろうが、“広宣流布のために心を合わせ、団結していこう”という一念で、異体同心の信心で進むことこそが私たちの鉄則です。いや、学会の永遠の“黄金則”です」と。心の師を中心に弟子一同が団結した先に、新たな時代の勝利がある。本年も、あの友、この友と肩を組み、先駆の戦いを開始しよう! 

 

「DAGA」~この御文が分からないんだが~ 

 学くん:大学2年生
 
 賢さん:大学4年生。学くんの部長
  
 学くん 「生死一大事血脈抄」を学んで、聞いたことのある御文が出てきてうれしかったです。大聖人がここまで異体同心の団結を重要と訴えられていると初めて知りました!
 
 賢さん 素晴らしい! でも、そんな優等生じゃなくていいんだよ。何だって聞けるのが学生部の良さだからね。
 
 学くん それなら……1個だけ。水魚の譬えがしっくりこなくて。
 
 賢さん 魚と水のように、互いになくてはならないというほど親密な思いで、同志を尊敬し団結しよう、という意味だったね。
 
 学くん そうだ!と思いつつも、身近な先輩を思い浮かべると、信心のレベルが違い過ぎて。ぼくには「水」がきれい過ぎるというか……。
 
 賢さん 汚な過ぎるんじゃなくて安心しました(笑)。たしかに先輩のすごい挑戦を見ると“自分には到底できない”と思ってしまうこともあるよね。
 
 学くん 別世界の人に見えて、折伏しようかどうかと迷う気持ちも言いづらくて。
 
 賢さん 分かるなあ。でも実は、先輩も同じように迷っているものだよ。むしろ今も悩みもがきながらの挑戦なんだ。みんな信心修行の途上だからね。
 
 学くん なんだか楽になりました。成長の途上だから、賢さんも他の先輩とけんかしていたんですね。
 
 賢さん 良くないところを見られてしまった(汗)。
 
 学くん 池田先生が『生死一大事血脈抄講義』で、さっきの御文を拝して「端的に言えば『仲良く!』ということです」って言われてましたよ。
 
 賢さん 肝に銘じます(笑)。よく学んでいるなあ。“信心は、自己中心の心との戦いだ”とおっしゃってたね。
 
 学くん はい! そういう挑戦中の“弱い”部分も見せてくれれば、もっと相談しやすくなるのになあ。
 
 賢さん よし、今年のテーマは「ありのまま」にしよ! 見えを張らずに、失敗談も話すから、また聞いてね!
 
 学くん ぜひ、お願いします!