〈いのちの賛歌 心に刻む一節〉2024年1月23日

テーマ:生死と向き合う

 企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」がテーマ。沖縄県浦添市の女性部員に話を聞いた。

御文

 「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」とは六波羅蜜経の文なり。たといいかなるわずらわしきことありとも、夢になして、ただ法華経のことのみさばくらせ給うべし。(兄弟抄、新1481・全1088)

通解

 「わが心に対して師とはなっても、わが心を師としてはならない」とは、六波羅蜜経の文である。たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢の中のこととして、ただ法華経のことだけに専念しなさい。

師匠を信じ抜くことこそ

幼子の早世、夫との死別

 「足が鉄板になるほど、歩いてきたさー」。母の笑顔が鮮やかに咲く。ひたぶるに師と生きてきた広布の旅路。幼子の早世。自身のがん。最愛の夫の認知症と死別。試練の日々にも、仲座スガ子さん(72)=圏副女性部長=は、感謝のたなごころを合わせる。
       ◇
 奄美大島で生まれ育ち、幼少の頃に家族で沖縄へ移住した。
 父親は給料の大半を酒にかえ、食うや食わずの貧乏暮らし。見かねた親戚が信心を教えてくれ、1958年(昭和33年)に一家で入会した。
 4畳半一間に、そうめん箱の仏壇。きょうだいも増えて生活苦は続いたが、題目の声が響く家の中は、明るくなった。師がいる人生は負けない。青春の信心で、命に確信をすり込んだ。
 73年(同48年)、夫・方康さんと結婚。「パパは男前だったし、信心もしっかりしてたし。何より、私のことをとても愛してくれて」。仲座さんの頰がぽっと染まる。
 長女と次女、長男を授かり、80年(同55年)には次男・英俊くんが誕生。しかし、産後1カ月健診で英俊くんの心臓に穴があいていることが分かった。心室中隔欠損症。「命が地獄の底に引き込まれそうで。“ひでくんを救ってください”と必死に祈りました」
 当時は第1次宗門事件の嵐の渦中。若い夫婦は池田先生を師匠と定めて揺るがず、宿命転換を願って広布に走った。
 やがて、難しいといわれた次男の心臓手術は無事に成功。御本尊に感謝した。ところが、術後に体調が急変。生後6カ月の英俊くんは、そのまま息を引き取った。
 「ふっくらと笑っていました」。病院から連れて帰り、夫と二人で一晩中、冷たいわが子を抱き締めて、涙を枯らした。
 池田先生に手紙で報告すると、思いがけず真心の大激励が。「今度は感謝の涙。“先生、仲座家は断じて負けません”って」
 御書をひもとき、「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」(新1481・全1088)との一節に朱線を引いた。夫婦で祈りを合わせる。寸毫も師匠を疑うまい。わが心を師の心にぴたりと重ねると、勇気が湧いた。死魔の影は霧散した。
 その後、授かった三女の中に、亡き次男の生命を感じた。支部婦人部長(当時)をしていた32歳の時、自らの甲状腺がんを、確信の祈りと手術で克服。翌年には四女も生まれ、和楽の家には笑顔が増えた。
 再びの試練は、2009年(平成21年)。前年に仕事を辞めていた方康さんが66歳の時、脳梗塞を起こして入院。「この頃から、パパに認知症の症状が出始めたんです」
 当時、浦添市で民生委員を担いながら、市内の小中学校で教育相談支援員を務めていた仲座さん。デイサービスとショートステイを利用しながら、夫を在宅で介護することに。食事の介助に下の世話。愛する夫のためなら苦ではなかった。
 毎日、一緒に唱題し、御書を拝した。学会活動にも、車に乗せて一緒に駆けた。対話に連れて行けば、方康さんは認知症とは思えないほど、堂々と確信を語った。弟子の誇りは確かに色あせていなかった。
 16年(同28年)4月のある未明、隣のベッドで寝ていた方康さんから「すーちゃん」と呼ばれて目を覚ます。「パパどうしたの」。いくつか言葉を交わすと、夫は題目を唱えて、また眠りに就いた。明け方、夫は穏やかに霊山へと旅立っていった。
 「もう少し、一緒にいたかったさー」。悲しみは、後から襲ってきた。涙とともに積み重ねる題目。同志の温かな励まし。ようやくして、仲座さんの心は前を向いた。
 「パパは、今世の使命を全うしたと確信できたんです。子どもたち5人を大学に通わせ、広布に生き抜き、私が元気なうちに来世へ出発して。池田先生を“心の師”と定めて生きてきた私たち夫婦の人生には、悲観も後悔もありません」

 現在、仲座さんは介護施設で働きながら、行政のボランティア活動にも携わり、多忙な日々を送る。
 紡いできた友情の絆は、学会理解の大きな輪に。自宅を地域広布の拠点に提供して30年。今では何不自由ない境涯を開くことができた。あふれる感謝が、仲座さんの足取りをますます軽くしている。
 「何も悩みがない人生では、やっぱり宿命転換はかなわない。何があろうと負けずに信心を貫いていくこと。それが、池田先生から教わった“勝利の道”“幸せになる道”です」
 その信心を、子や孫たちが継承してくれている。これに勝る喜びはない。仲座さんは朗らかに話す。
 「学会創立100周年を元気に迎えることが今の目標。心の中の師匠とは毎日対話しています。亡くなった次男やパパの生命とは、いつも題目でつながっています。永遠の師弟共戦。一日一日が、黄金の『時』さー」
 池田先生は教えている。
 「皆様方は、使命ある大事な生命である。外見は世間の人と同じように見えたとしても、広布に生きる学会員の『一日』は、その“生命時間”から見れば、永遠に通じる尊い一日なのである。
 どうか、『きょうも楽しかった、勝った』『きょうも悔いがなかった』『充実の歴史をつくった』といえる一日一日を、ていねいに積み重ねていただきたい」(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
 仲座さんは今、福祉の資格取得に向けて専門学校にも通っているという。
 「若い子たちに交ざって勉強しているの。私が一番年長さー。ジムにも通って、ダイエットもしています。おかげでいつも元気」
 あふれる生命力。自らを「ブルドーザーのようでしょ」と冗談めかす。「心に師匠がいれば、ますます力が湧くのさー」。仲座さんの瞳には、所願満足の気高い誇りが宿っている。

[教学コンパス]

 法華経如来寿量品では、仏は入滅した後も、この娑婆世界に「常住」「常在」であると繰り返し示される。しかし仏は現に入滅しており、その姿は見えない。どうすれば人々は「常住」であるはずの仏の姿を見ることができるのか。
 日蓮大聖人が、法華経28品の「たましいなり」(新1425・全1049)と仰せになった自我偈には、「柔和質直者 則皆見我身 在此而説法」(法華経492ページ)とある。柔和で心が真っすぐな者は、皆、私(釈尊)の身が、ここに存在して法を説いているのを見るのだ、と。
 永遠の仏は、「柔和質直」な人の心にこそ、ありありと浮かび上がる。それは、ひたむきに妙法を持ち、誠実に信心を貫くその生命の中に、久遠の仏と同じ生命が現れるということだ。池田先生は「『いつも仏と共にある』という“絶対的な安心感”の中で生きることができる」と教えている。妙法流布に生きると定めた人の心は、仏の生命と直結する。ゆえに、広布の師匠と共に戦う人生に、行き詰まりは断じてない。(優)