〈文化〉 インタビュー 新刊「水墨の詩」を巡って 画家 傅益瑶さん2024年1月21日

  • 日本美術の底流にある
  • 法華経への理解が重要

 〈プロフィル〉
 ふ・えきよう 1947年、南京市生まれ。79年、国費留学第1期生として来日。ニューヨークの国連本部や北京の中国美術館をはじめ、国内外で個展を開催してきた。Eテレ「趣味百科」の講師のほか、NHK番組「日曜美術館」で3度取り上げられた。長年の国際的活動がたたえられ、中国国務院から「第5回中華之光賞」、日本政府からは令和3年度「文化庁長官表彰」が授与されている。今後、シカゴ美術館などでも個展が予定されている。

 日本を拠点に国際的に活躍している水墨画家・傅益瑶さん。中国教育部派遣の国費留学第1期生として45年前に来日し、創価大学で日本語を学びました。このほど出版した作品エッセー集『水墨の詩』(鳳書院刊)は、早くも反響を呼んでいます。本書に込めた思い、創大創立者の池田大作先生との出会いなどについて語ってもらいました。(聞き手=文筆家・編集者 東晋平)

傅益瑶筆〈小林一茶「桜さくらと唄われし老木哉」〉 69.5センチ×70センチ 2023年 作家蔵

傅益瑶筆〈小林一茶「桜さくらと唄われし老木哉」〉 69.5センチ×70センチ 2023年 作家蔵

中国画壇で活躍した父

 ――昨年10月にロンドンで開催された「アジアン・アート・イン・ロンドン」での展覧会は、大変に盛況だったとうかがいました。
  
 傅益瑶 「日本の祭り」を描いたシリーズや、近作の小林一茶の句にちなんだシリーズなどを展示しました。おかげさまで大手美術オークション・サザビーズのCEO(最高経営責任者)や、イギリスの小林一茶研究者をはじめ、連日、多くの美術関係者や愛好家が来てくださいました。
 今回はパリにも立ち寄りました。イギリスでもフランスでも日本文化に対する関心が、これまで以上に高まっていることを肌で感じました。おそらくヨーロッパ全体に言えることなのでしょうが、表面的な美ではなく、日本の文化や精神性の深い部分を織りなしているものに、人々の探求心が向いてきているのです。その意味では、日本文化の底流にある法華経への理解が、今後ますます重要になってくると思っています。
  
 ――傅さんの父上は、中国近代画壇の最高峰と仰がれている傅抱石(1904~65年)画伯です。
  
 傅 父は私にとって最初の尊敬する師です。父は老舎や郭沫若、梅蘭芳、周恩来総理といった、20世紀の偉大な文化人や指導者たちとも深い友情で結ばれていました。古典文学と歴史に深い造詣を持っており、父が客人と談論するのを、子ども時代の私はいつも側で聞いていたものです。
  
 ――このほど鳳書院から「アジアと芸術叢書」の第1作として、傅さんの作品エッセー集『水墨の詩』が発刊されました。この中でも、ご両親から学んだことや、周恩来総理との出会いなどをつづっていますね。
  
 傅 海外では何冊も本を出版してきましたが、日本でこのような美しく充実した内容の著書を出させていただき、本当に感謝しています。若き日に日本に留学していた父も、きっと喜んでくれていることでしょう。

黄雲鵬作・傅益瑶画〈染付山水図梅瓶「千山瑞色」〉 43センチ×25センチ 2010年 創価学会蔵

黄雲鵬作・傅益瑶画〈染付山水図梅瓶「千山瑞色」〉 43センチ×25センチ 2010年 創価学会蔵

池田先生からの励まし

 ――傅さんは1979年に中国教育部派遣の留学生として来日し、それ以来ずっと日本を拠点としてきました。
  
 傅 特に芸術専攻の学生では、文字通り私が最初の一人となりました。当時、私は32歳で、東京に向かう飛行機の中で初めて日本語の教科書を開いて五十音を覚えたような状況でした。父が学んだ武蔵野美術大学に留学することになっていたのですが、日本語が全くできません。そこで大使館の関係者が、既に外交部からの留学生を受け入れた経験のある創価大学に打診してくれたようです。
 日本に着いて6日目の11月3日、駐日中国大使と一緒に創価大学を訪れました。のちに知ったのですが、大使はこの日、故・周総理の夫人である鄧穎超さんの代理として池田大作先生のもとを訪ねたのです。翌年4月に先生は第5次訪中を果たされます。
  
 私たちが創価大学に到着し、記念行事が行われていた中央体育館に入ると、池田先生は大勢の学生たちと共に温かく出迎えてくださいました。初めてお会いした先生はエネルギーに溢れ、澄んだ目がとても印象的でした。
  
 「傅さん、創価大学へようこそ! これから20年間、あなたを見守り続けることを約束します」
  
 あの時の池田先生の声は、今も私の胸の奥で生き生きと響いています。近くにいた留学生が訳してくれたのですが、心細い思いをしていた私は、どれほど勇気づけられたか分かりません。
  
 ――その後、創価大学の女子寮に入ってからも、創立者である池田先生から、こまやかな激励が続いたそうですね。
  
 傅 毎週のように私たち留学生を気遣うメッセージが届き、おかげで私が最初に覚えた言葉は「メッセージ」になりました。先生からの激励は、約束の20年が過ぎても途絶えませんでした。日本各地で個展を開催するたびに、時には祝花を贈ってくださり、時には代理の方を寄こしてくださいました。そして、こまやかな励ましのご伝言をくださるのです。

傅益瑶著『水墨の詩』(鳳書院刊)

傅益瑶著『水墨の詩』(鳳書院刊)

仏教東漸から「西還」へ

 ――傅さんは、武蔵野美術大学大学院で学んだ後、池田先生とも親交の深かった東京藝術大学の平山郁夫画伯の研究室で仏教美術を学びました。今や日本各地の著名な寺社には、傅さんの障壁画などが数多く奉納されています。
  
 傅 仏教に触れずに育った私が、制作の日々の中で、仏教について多くのことを学び、とりわけ法華経の重要性を知りました。今回の『水墨の詩』の装丁に使われている絵は、私の代表作である幅12メートルの壁画〈仏教東漸図〉の一部分です。天台大師の1400年遠忌(1996年)を記念して制作依頼を受けたもので、比叡山延暦寺の国宝殿に常設されています。
  
 釈尊の成道に始まって、入滅後の弟子たちによる仏典結集、仏典を漢訳した鳩摩羅什、インドまで仏典収集に赴いた玄奘や法顕、法華最第一を確立した天台大師・智顗、日本に天台三大部をもたらした鑑真、大乗戒壇を建立した伝教大師・最澄、そして日蓮大聖人など比叡山で学んだ鎌倉仏教の祖師たちまで、壮大な仏教史を苦心惨憺して描き上げました。
  
 ――〈仏教東漸図〉は、法華経の東漸の物語そのものでもありますね。
  
 傅 その法華経の精神を日本から世界へと広められたのが池田先生です。私は先生が開いてくださった道を通って日本に来ることができ、創価大学で日本語を学べたからこそ、日本で画業を磨いてくることができました。
 心から敬愛申し上げる池田先生が逝去された今、私の中に新たな目標が芽生えています。いよいよ精進と研鑽を重ね、いつの日か先生の歴史的壮挙を後世に残すための〈仏教西還図〉を描き上げようと決意しているのです。

 〈プロフィル〉
 ひがし・しんぺい 1963年、神戸市生まれ。著書に『蓮の暗号 〈法華〉から眺める日本文化』(アートダイバー)。現代美術家・宮島達男の『芸術論』などを編集。