〈ライフスタイル〉 希望に応じて仕事も家庭も――共にケアする社会へ 【Colorful】インタビュー2024年1月21日

実践女子大学教授 山根純佳さん

 「男性は仕事、女性は家庭」から、「全ての人が希望に応じて仕事も家庭も」が実現する社会へ――女性に偏りがちな家事や育児、介護といった無償のケア労働を皆で分かち合うために、個人や社会には何が求められているのでしょうか。ケアとジェンダーを研究している実践女子大学教授の山根純佳さんに聞きました。

■家事や育児、介護には時間がかかる

 ――しばらくすると新年度を迎えます。育休を経て、4月から短時間勤務で職場復帰をする女性の友人たちがいます。夫婦でお互いの働き方について話し合って決めた家庭もありますが、なんとなく決めた家庭の方が多いようです。女性ばかりが短時間勤務をするのは、どうなのかなとモヤモヤします。

 女性がそうした選択をする背景には、後でお話しするようにさまざまな理由があります。ですが、まず大前提として、家事や育児、介護といった家庭内における「無償のケア労働」には時間がかかります。

 仕事を終えた後、家に帰ってから1時間で全ての家事や育児を終わらせることは無理ですよね。ケア労働において、無駄を省いて効率よく進めるといった、いわゆる“生産性を高める”という考えは通用しません。そして、時間がかかるケア労働を誰かがしなければ、子どもは育っていきません。

 育児休業や短時間勤務などがなかった時代は、女性の離職率がものすごく高かった。フルタイムで働きながら、夫の協力もなく家事や育児を一人でこなすのは、あまりにもハードです。

 今は短時間勤務などの両立支援制度が整ってきて、多くの女性が働き続けられるようにはなりました。しかし、家事や育児の大半を担っている状況はほとんど変わっていません。事実、共働き家庭でも、家事や育児にかかる時間の約8割を妻が担っていることが分かっています(令和5年版男女共同参画白書)。

■妊娠・出産を通じて選択を迫られる

 ――「男性は仕事、女性は仕事と家事・育児」という新たな性別役割分業が生まれているといわれるゆえんですね。そうした状況を負担に感じながらも、「短時間勤務を選んだのは、自分の責任だから」と思っている人もいます。

 仕事を辞めるのか、続けるのか。続けたとしても、短時間勤務にするのか、しないのか。妊娠・出産を通じて、女性が選択を迫られる場面は幾度となく訪れます。その一つ一つを女性自身が選んでいるのは事実かもしれません。しかし、「本当は仕事を続けたかったけれど、辞めざるを得なかった」「フルタイムで復職したかったけれど、難しかった」という女性は多いのではないでしょうか。
 
 短時間勤務を選ぶのも、日常的に「保育園にお迎えに来ているのはお母さんばかりだから、やっぱり私が短時間勤務をするのが普通だよね」と感じたからかもしれません。育休中に子どもと過ごしてきた妻と、そうではない夫との間に生じた、家事や育児に関する責任感やスキルの違いの問題でもあるでしょう。
 でもそれ以前に、どうして男性は短時間勤務を選んだり、週に数回だけでも早く退社してお迎えに行ったりできないのでしょうか。そこには、「夫は労働時間や働き方を調整しない(もしくはできない)」「男性が短時間勤務を選ぶことはない」という認識があり、その前提のもとで社会が成り立っているからです。

 だから、女性が「仕事を続けると決めたのは自分」「短時間勤務を選んだのも自分」と責任を感じて、家事や育児を一人で担う必要はないわけです。にもかかわらず、多くの女性に「自分が選択したんだから頑張らなくては」と感じさせてしまう。それこそが、ジェンダー問題だと思います。

■女性にはケアの能力がある?

 ――女性側の問題ではなく、社会におけるジェンダー問題だと。

 そうです。そもそも、ジェンダーとは「社会的文化的に形成された性別」という意味です。もっとかみ砕いて表現すると、自分に対して、「私は女性だから、こういうふうに振る舞わなきゃいけない」と考える。他者の振る舞いに対しても、「あの人は男性だから、こういう振る舞いをするのだろう」と「ジェンダー」を使って理解する。ジェンダーとは、自分や他者、社会現象を解釈する時に用いる“資源”といえます。
 
 私たちは家庭や職場をはじめ、ありとあらゆる場所で女性性、男性性というジェンダーを参照して、自分がすべきことを決め、他者に対してもその性に沿った振る舞いを期待します。その典型的なものが、「女性なら家事や育児、介護などのケアができる」という考えです。
 
 女性は生まれつきケアに向いている、わけではありません。育児は、子どもを産んで初めて経験して分かることばかりです。介護についても同じです。子育てを経験したからといって、うまく介護ができるわけではありません。しかし、「女性にはそのスキルや能力がある」と社会的につくられた女性性によって、3歳児神話や母性神話がうたわれ、介護で言えば息子よりも娘に見てもらうとなってきました。
 
 多くの女性は、そうした期待に応えるため、頑張ろうとします。だからこそ、子育てや介護がつらく感じたり、うまくいかなかったりすると、「どうして私にはできないのだろう」「自分が悪いんだ」となってしまうのです。
 
 そもそも、ケアは一人ではできません。女性だから、ケアがうまくできるわけでもありません。そこを社会全体でもっと考えていく必要があります。

 同時に、日本の労働環境自体を見直していかなければなりません。昭和の頃の“24時間戦えますか”という言葉に象徴されるように、男性の長時間労働が当たり前とされてきました。企業はいつでも転勤や出張もいとわない、休日も返上して働く労働力を確保できたわけです。資本主義社会においては、非常に便利なシステムです。
 
 しかし、こうした働き方を可能にしたのは、女性が家事や育児、介護のケア労働を無償で行ってきたからです。つまり、女性のケア労働に依存して、日本の企業社会は成り立ってきたのです。
 
 長時間労働の是正を進めるためには、優良企業を表彰するだけでなく、罰則などの規制も有効だと思います。妻のケア労働に依存することなく、夫も洗濯や掃除をしたり、お弁当を作ったりする時間を確保できるような労働体系に変わっていくことが急務です。

■育休で夫に対する評価が変わった

 ――社会全体での変化とともに、家庭内でできることはありますか。

 家事や育児に関して、「ゲートキーピング説」というものがあります。妻が“家事や育児は私の領域”と考えて夫にやらせないことが、性別役割分業をつくり出しているという理論です。たとえ、そのように思っていなかったとしても、例えば3日間、家事や育児を全て夫に任せて、出張や旅行に行ける人は少ないかもしれません。

 女性自身のそうした意識を変えるには、この曜日はお迎えから寝かしつけまで夫担当にするなど、とにかく男性に任せてみることです。ゲートキーピングは、2人の相互関係の中で次第に作られていきます。早いうちから男性に家庭の責任を持たせることが肝心です。

 私の研究室で数組の夫婦にインタビューを行い、育休を取得した夫を妻がどのように評価するのかを調べました。その結果、1カ月の育休を取ったことで、妻は「夫が子どものことを主体的に考えて行動するようになった」と評価したのです。これは非常に重要な変化です。おそらく、週に数回、子どもの送迎をするだけでは身に付かないことでしょう。
 
 「子どもが今どういう状態にあって、親に何を求めているのかを察知し、それを実行する」というのを、夫は育休を通してできるようになった。女性だって、生得的な能力によってではなく、赤ちゃんが生まれてから必死でやってきたことです。
 
 まさにケアとは、「相手が何を求めていて、何が必要なのか、それを実現するためにどのようにしたらいいのかを常に考えていること」と言えます。
 
 そうして考えた結果、女性は働き方を変えたり、子どもの体調の変化を敏感に察知して病院に連れていったりするわけです。これを男性もしていくことこそが、家庭内のケア労働の平等だと、私は考えます。
 
 
 男性は、何かで一番になることや昇進・昇格など、競争に打ち勝って社会的な成功を収めることを求められてきた面が強くあります。それによって、相手に共感したり、寄り添ったりするコミュニケーションに疎くなってしまう。一方、女性はケア責任を委ねられてきたからこそ他者のニーズを考慮しながら行動し、またそこに自分の人生の意味を見つけ出そうとしてきたのではないでしょうか。
 
 男性が女性とともに、家事や育児、介護にコミットしていく――それが、社会全体のジェンダー平等の実現につながっていきます。

【プロフィル】
 やまね・すみか 1976年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了。博士(社会学)。山形大学人文学部准教授を経て、2015年から実践女子大学人間社会学部准教授、22年から現職。専門は社会学。著書に『産む産まないは女の権利か――フェミニズムとリベラリズム』『なぜ女性はケア労働をするのか――性別分業の再生産を超えて』(ともに勁草書房)など。

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 【編集】荒砂良子
 【山根さんの写真】本人提供 
 【その他の写真・イラスト】PIXTA