〈BUDDY―男子部大学校の絆― 信仰体験〉 うつ病と向き合い 使命の舞台へ2024年1月21日

  • 闘病中に支えてくれた友へ 祈り、実った人生初の弘教

根本さん㊧と菅野さん

根本さん㊧と菅野さん

 今回の主人公は、福島県郡山市の根本武士さん(21)です。
  
 高校時代、人間関係の悩みから不登校になり、うつ病を患った根本さん。
 転機となったのは、男子部大学校への入校でした。
  
 菅野孝太郎さん(40)をはじめ、先輩たちの励ましによって、根本さんは「自分らしく輝ける、使命の職場」を見つけました。

 まるで別人だった。
 高校の修学旅行から帰ってきた武士は、様子が違っていた。
 顔は能面のように無表情で、笑うことも減った。
  
 「あんなに明るかった子が、どうして?」と教員たちも首をかしげる。
 原因は友達との人間関係。武士は生真面目な性格で、何げない一言も真に受け、深く考えこんでしまう。
  
 心療内科で診てもらい、薬を飲むことに。学校に通えなくなり、「あと半年で卒業」というところで、転校することになった。
 会って間もないクラスメートと迎えた卒業式。
 笑顔と祝福の拍手に囲まれながら、しかし武士は一人、孤独感にさいなまれていた。
  
 “どうして、こんなことになったんだ”
 抑えきれない、いら立ち。絶叫したくなるほどの衝動を何とかこらえた。
 脳裏に、幼稚園の時の記憶が。思えばあの時も「あと半年で卒園」という頃に、通えなくなった。

 “どうして、僕はいつも、あとちょっとのところで、つまずいてしまうのか……”
 怒りの矛先は結局、自分に向いて終わる。
  
 高校を卒業後、母が知人のつてで、木の伐採や剪定の仕事を紹介してくれた。
 “体を動かしていれば、嫌なことを考えずにすむ”。大好きな自然と触れ合えたことで、少しリフレッシュすることもできた。
  
 「気分転換に」と家族旅行に出掛けることも。喧噪を離れ、少しずつ穏やかな時を取り戻す。だが、人と関わることには「まだ抵抗があった」。
  
 そんな頃、ふいに人生の転機が訪れた――。  
 玄関のチャイムが鳴った。
 扉を開けると、地区女性部長と、佐々木さんという男子部の人が立っていた。
 「転勤で郡山に来まして……」。そう語る佐々木さんは背筋がピンとした、爽やかな好青年だった。
  
 “何で、この人は、こんなにキラキラしているんだろう。僕もこんなふうになりたい”
 武士は素直にそう思った。
 佐々木さんから「信心や創価学会のことを学ぶために男子部大学校に入ってみませんか」と聞かれると、武士は自分でも驚くほどの早さで、「はい、頑張ります」と答えた。
  
 信心している家に生まれたが、それまで学会活動に励むことはなかった。
 それでもこの時、佐々木さんの振る舞いに魅力を感じ、“僕も学会の中で頑張れば輝けるかもしれない”と思った。

男子部の友と

男子部の友と

 勇気を出して飛び込んだ、男子部大学校。待っていたのは二人の先輩。菅野孝太郎さんと、男子部本部長だった中塚光史さん(現在は地区部長)。
 「3人トーク」と称して、毎週、顔を合わせては、指導集をひもとき、近況を語り合った。
  
 当時、武士は19歳。菅野さんと中塚さんは倍近くも年の離れた先輩だった。
 菅野さんはといえば、「暗く、引っ込み思案な自分を変えたい」と、2008年に入会したという。
 信心に励む中で、自分から声をかけられるようになり、男子部のリーダーとして後輩の悩みに寄り添えるまでになった。
  
 中塚さんは整体院を営んでいる。
 一時、経営が悪化し、土俵際まで追い込まれたことがあった。
 働いても働いても、赤字。そんな中塚さんを支えたのは「池田先生から学んだ負けじ魂」だった。
  
 閑古鳥が鳴く店。「どうせ暇ならば」と、胸中で唱題しながら、聖教新聞の池田先生の記事などを書き写し、自身を奮い立たせた。
 そして、逆転の黒字転換を果たし、経営を軌道に乗せた。

 二人が経験した「苦労の厚み」と、「信心で乗り越えてきた体験」を聞くたび、武士の心に「希望」が芽生えた。
  
 皆で指導集を読む中で、武士は「池田先生の慈愛あふれる言葉」の数々に感動した。
 「皆それぞれに、『桜梅桃李』の尊き個性がある。誰もが、自分らしく最高に輝き切っていけるのが、太陽の仏法たる日蓮仏法の実践である」
 紡がれた言葉が、武士の傷ついた心を包み、温めてくれた。
  
 大学校でエネルギーを充電しては、社会の荒波に挑む。だが、現実は厳しく、ままならない。
 工場勤務の仕事に就くも、人間関係の悩みやハードな勤務に体調を崩す。「うつ病」と診断され、退職を余儀なくされた。
  
 一進一退。“もう少しで”と希望が見えた途端に、振り出しに戻される。
 しかし今度は、どんなにつらくても、現実から目を背けなかった。
 土壇場で挫けてしまう過去の自分を振り切ることができたのは、大学校の「3人トーク」で、武士を肯定し、励ましてくれる二人の先輩がいたから。

中塚光史さん(地区部長)㊧と共に

中塚光史さん(地区部長)㊧と共に

 祈ることさえ苦しい。そんな日も、武士は体を引きずり御本尊の前へ。目を閉じて深呼吸し、ゆっくり題目を唱え始める。
  
 15分、20分と祈るうち、「無気力だった心が元気になるのを感じました。“もう一度、頑張ってみよう。社会で実証を示したい”と前を向くことができたんです」。
  
 “どうしたら、自分の人生は良い方向にいくんだろう”
 悩み祈っていたある日、菅野さんが御書の一節を示してくれた。
 「人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし」(新2156・全1598)
 「友達の幸せを祈り、動く。それが、武士君の未来までも開いていくことになるんだよ」
  
 武士には、絶対に幸せになってもらいたい親友がいた。松本琢未さん。
 武士がうつ病を患い、人生を悲観していた時、何度も会いに来てくれた友だった。
 並んでラーメンをすすりながら、「もうつらい思いをしなくていいんだよ。僕で良ければ、いつでも話し相手になるから」と寄り添ってくれた。

 “今度は僕が、琢未の幸せのために行動する番だ”
  
 松本さんの幸せを祈る中で、“彼と一緒に信心を実践し、悩みを乗り越えていきたい”との思いが募っていく。
  
 人生初の折伏。緊張したが、ありのままの思いを伝えた。
 「僕は琢未と一緒に、この信心で幸せになりたい」
 武士の言葉を、松本さんは真剣なまなざしで受け止めてくれた。
  
 それから、二人で座談会に参加し、一緒に司会をしたことも。
 創価家族の温かさに触れ、松本さんは少しずつ、学会への理解を深めていく。
  
 そして昨春、「僕も武士君のように変わりたい」と、晴れて御本尊を受持し、男子部大学校(6期)の輪にも加わった。 

 松本さんへの弘教が実ってから約半年後、菅野さんが教えてくれた御聖訓の通り、武士の未来もまた、大きく開かれていく。
  
 体当たりで、さまざまな仕事に挑む中、ついに見つけた「自分らしく輝ける場所」。
 武士にとって、そこは介護施設だった。
  
 「おじいちゃんやおばあちゃんと接していると心が和み、背伸びをせず、自分らしく働くことができています」
 介護職員初任者研修の資格を取得し、一つ一つ、仕事を覚えながら、信頼を積んでいる。
  
 高校時代のトラウマから、人を信じることができなくなり、人を遠ざけてきた武士が、男子部の先輩と出会い、「人と関わりたい」と思えるようになった。
 そして男子部大学校での「3人トーク」を起点に、仕事と折伏に挑む中で、「自分の使命」と胸を張れる職場を見いだすことができた。
  
 「苦しかったけれど、うつ病と闘う中で、本当に信頼できる人たちと巡り合えました。何があっても負けない信心を学び深めることもできました。だから今、あんなに憎かった病にさえ、感謝しているんです」

 ねもと・たけし
 2002年(平成14年)生まれ、05年入会。福島県郡山市在住。男子地区副リーダー。男子部大学校4期。
  
 かんの・こうたろう
 1983年(昭和58年)生まれ、2008年入会。福島県郡山市在住。圏男子部書記長(本部長兼任)。

創価班の任務に就く根本さん

創価班の任務に就く根本さん