〈ブラボーわが人生 信仰体験〉第130回 100歳の一笑一楽2024年1月20日
- 「敷居を一歩またぎましょ。それが幸せの出発だ」
「ただ幸せになりたくて、みんなにくっついてきた」と語る晴子さん
【茨城県水戸市】お母さんが針仕事をしながら、幼い娘に言った。「『晴子』っていうのはね、晴れやかな人生であってほしいという願いがこもってるんだよ」。大きな目でじっと聞いていた少女は辛抱の山を越え、100歳になった。島田晴子さん(100)=女性部副本部長。どんなふうにして晴れやかな百寿を迎えたのか。晴子さんの川柳に乗せてどうぞ。
褒められて年甲斐もなく有頂天
100歳ですのでね、この頃は大きな声も出なくなりました(の声が大きい)。
キャ~近くから撮らないで。あんまり近くだと、シワが一本一本見えちゃうよ。わはははは。こんな調子でね、何だか笑っちゃうんですよ。笑いが出るのは幸せだからだと思います。
この頃、どういう笑顔がカワイイかなって、鏡見ながら研究してんの。唇をこんなして、こんなして、こーんなして。やってるうちに楽しくなる。これがおしゃれです。おしゃれの気持ちを忘れちゃ、老けちゃうヨ。
いや~困っちゃうね、そんなに褒められて。もうね、あらゆる感謝で自分が生かされてるって感じ。ありがたいです。
お散歩前にも、鏡で笑顔の練習を
日々唱題子孫へ残す財として
むかし座談会で、戸田先生のレコードを聴いたんですよ。
「この信心した人は必ず幸せになれるぞ」
その声が根っこにある。“祈りとしてかなわざるなし”だもん。今もずーっと、お題目がんばってんの。午前中は、御本尊様の前から離れないって決めてる。うん、私の一番幸せな時間。
子どもに何残してあげられるかな? 私が残せるのはお金じゃない。お題目の財産だ。これは絶対崩れない。だからね、富士山より高く積むつもりで、お題目あげてます。
一家の広宣流布は4代目。島田家の5歳児がもう南無妙法蓮華経を唱えてますよ。私よりお利口さんだ。あはははは。
〈我が願い動けることが生きること〉。日課の散歩。広い歩幅で背筋ピン
空襲下モンペで見合いの我が青春
和歌山の村で裕福な家に生まれたの。
「おかあちゃん、くろうってなーに?」
そういう子でしたからね、嫁いだ先もお手伝いさんがいる京都の大問屋でした。
主人(保さん)が木材会社を静岡で始めたんですよ。でも知人の手形が不渡りになってね。夜逃げされた昭和31年(1956年)に倒産ですよ。債権者が機械を持っていくわ、出入り口を木材でくぎ付けにするわ、もうどん底。
驚いたことに、主人がお題目をあげ始めたのよ。取引先から「仏法は勝負だ」って話を聞くたび、「仏と相撲したって何になる。信念と努力が全てだ」なーんて頑固だったのに。はい、私も続きました。33歳、青春の始まりです。
夫・保さん㊧と。金婚式の写真
負けないと決めた人には幸光る
娘と息子におもちゃを買えなくて、道端の花を摘んで持たせたの。スキップしながら小学校に行く後ろ姿に、親の轍を踏ませるもんかって思ったね。
ほんと苦しかったんだから。
嫁入り道具もたんすから消えて、がんもどき一つとぬか漬けだけの日もあった。雪の東北まで重荷をしょって、お茶の行商を主人と代わりばんこに3年。そんな中で折伏したら、親友から「そんな話しないで」ってコップの水かけられた。
苦手に挑戦するのが修行ですからね。太いフェルトペンで「勝つ」って書いて、御本尊様の前に置きましてね。夜中も題目あげるんだけど、つい眠気が。そんな自分がはがゆくて、水をためた洗面器を隣に置きました。親が幸せになんなければ、子どもを幸せにできない。その一心だったの。
折伏ができるたびに、先輩と抱き合ってたら、功徳の塊が降ってきた。主人が思ってもみない好条件で就職できちゃったの。私、関西の生まれだから「負けたらあかん」。これですよ。
娘と息子は今も、お花に囲まれてうれしそう。優しい子です。
弟子思う慈愛のまなざし決意新たに
池田先生ってね、ほんとにお優しいですよね。その優しさは、ものすごく深いと思う。
昭和49年1月に、創価大学で婦人部総会があったんですよ(晴子さんは地域に尽くしたことをたたえられ、壇上で表彰された)。
先生が目を向けてくださるの。お優しい中に、気迫の慈愛っていうのかな、期待とともにね、私をたたえてくださる目だなって思いました。“よく頑張ったね。みんなを頼むよ”っていう期待。そう感じたから、足が震えちゃったの。
先生の代わりになって、ブロック員さんの苦労話を親身になって聞くうちに、ああ、このために私の苦労があったんだなあって。自分の心がパッと晴れた気がしたの。
折伏は幸せの直道だから、一緒に歩きましたよ。私の体験をそばで聞かせて、「そうだよね」って聞いたら「うん」と返事する役目。家を出たがらない人には、諭して諭して歩いたわ。
「敷居を一歩またぎましょ。それが幸せの出発だ」
みんな折伏の名人になって、どんどん私を追い抜いちゃった。みんなリーダーになってる。それが一番の財だね。
だから何してても、すぐ笑いが出ちゃうのよ。食事時でも腹から笑っちゃうもんですからね、息子によく叱られます。
笑顔の魅力を尋ねると「分からない」と答えつつも「ただね、祈れば絶対にかなうっていう不動の確信がある」と
百歳の取材の記者にハイ・ポーズ
やっぱし、何て言うのかなあ……自分の命を表現できたらいいな、というのが川柳の始まりですから。子々孫々にね、おばあちゃんはこういう人だったんだよって、そういう考え。
生きてるうちは精いっぱい証明しなくちゃ。最終章ですからね。自分の姿を通して実証を示すのが、終末の使命かなって感じてます。より多くの人が幸せになってもらいたいし、御本尊様を受ける人が増えてほしいっていうのが、私の心の叫び。かくしゃくと生きる姿を見せることが、唯一できることだから。
ショートステイは社交場ですよ。連絡帳に「私が笑うと周りが明るくなる」ってありました。親の思いが顔に表れてんだと思いま~す。ああ、よくしゃべった。おわり。
●後記
部屋の柱とか本棚とか目の届く場所に、自筆のメモがぺたぺた貼ってある。心のありようを書いたという。
「一笑一楽」の筆文字があった。
「笑うと楽しくなるのが、自分の長所かな。この姿勢を永久に失わないように」
「永久」の一言にこの人らしさがある。
「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)。晴子さんの川柳には「幸」の字が多い。そこには「辛」の一字が隠れている。どんなに辛くとも絶対に白旗を揚げないぞ、という気迫を横棒一本に託し、冬即春の幸せをかみしめてきた。
〈広布路を走り抜きての今日の幸〉
ぽかぽか日和だったから、長男夫婦が「庭でおしるこなんてどう?」。百寿の母は胸を反らして「やったー」。両手を天に突き上げた。
晴れやかな人は、人の心も晴れやかにできる人。五七五のエールにそう思う。(天)
(写真右)お庭でおしるこを食べる提案に、晴子さん「やったー」(同左)その瞬間を写真に納める長男・典招さんと、おしるこを運ぶ嫁・友子さん。三人暮らし。何をやっても絵になる