〈社説〉 2024・1・19 第1回「水俣友の集い」50周年2024年1月19日

創価の哲学は分断を超える

 「公害の原点」とされる水俣病を巡り、患者や家族の苦しみは今も続いている。人々が生きる希望を持つ。そこに創価学会の使命がある。水俣の蘇生に駆けた同志の軌跡は、そのことを物語っている。
 今月21日、熊本・水俣文化会館では「水俣友の集い」が行われる。1974年(昭和49年)1月24日の第1回から、50周年を刻む。
 メチル水銀を含む工場廃水による環境汚染が引き起こした水俣病は、四肢の感覚障害や運動失調、言語障害等をもたらし、胎児にも影響を及ぼした。
 水俣市は、原因となった工場の“企業城下町”だったこともあり、被害者の声は、長い間、放置されていた。問題が表面化するにつれ、“加害者と被害者”“行政と市民”といった分断が生まれ、地域社会は疲弊していった。
 しかし、そんな中でも、創価の人間共和の連帯は、人と人の絆を結び広げていった。座談会では、加害者となった企業の従業員と患者が励まし合い、対話に歩く姿も見られた。
 第1回「水俣友の集い」に出席した池田先生は、「皆さんは、この水俣の地にあって、『人間革命』即『社会の宿命転換』の原理を、証明していっていただきたい」と願った。
 以来、友は毎年、この日に向けて地域広布の歩みを進めてきた。
 対立から対話へ――その転機となったのは、94年(平成6年)のことだ。吉井正澄水俣市長(当時)が行政として、初めて水俣病問題に関して陳謝した。
 現在、環境と経済が調和した「SDGs未来都市」として発展する水俣市。差異や立場を超えて、市民が語り合い、協働する取り組みは「もやい直し」と呼ばれ、まちづくりに欠かせない要因となっている。それは、宿命を使命に転じて、他者に寄り添う創価の励まし運動と深く響き合う。
 吉井氏は後に、講演で述懐した。「『もやい直し』は“語らう”ことで社会を変える試み」「それは池田名誉会長の哲学と同じだと思います」と。分断と対立の度を深める混迷した現代において、水俣の友が証明してきた社会変革の原理は、普遍的な輝きを放つ。
 20年後、50年後、100年後に水俣がどう変わっていくのかを見つめていこう――師の言葉を胸に、同志は今日も、対話の花を咲かせる。100年後の水俣のために。