〈ヒューマン〉 舞台「廣島物語」を脚本・演出 藤森一朗さん2024年1月18日

  • 核兵器の残忍さ。
  • それを伝えるのが
  • 知った者の役割。

 <広島のある一家の戦前・戦後の生活を描いた舞台「廣島物語」。脚本・演出を手がける藤森一朗さんは核兵器の悲惨さを訴える>

 ――どうして原爆を題材にしたのでしょうか。

 ここ数年、広島や長崎の被爆記憶が風化しているように感じます。毎年、8月6日、9日に原爆忌の特別番組が放送されていましたが、最近はNHKで深夜に放送される程度。こうして忘れられていくのかと思ったのがきっかけでした。

 ――記憶を風化させないことが大切だと。

 私自身、被爆2世ですが、実は両親や親戚から被爆の話を聞いたことがないんです。思い出すのがつらいから話さない。だから、本来受け継いでいるはずのものが、何も残らない。そんな負の連鎖もあります。

 ――舞台を通して伝えたいことは?

 当時のことを調べてみると、こんな話も伝わっていないんだと気付かされます。例えば、あの日、爆心地で何があったのか。実は、類焼防止のために建物疎開が行われていました。そこには市内の中学1年生が動員されていたのです。原爆で数万人が犠牲になりましたが、その中心にいたのは中学1年生の子どもたちだったのです。

 ――他にはどんな話が?

 一般的には、一瞬で全員が亡くなったという、ぼんやりとしたイメージしかないと思います。でも、実際はもっと生々しい。親たちが子どもを捜しに行きます。でもほとんどが見つからない。見つかったとしても家に連れ帰るしかなく、何もできずに目の前で、次々と亡くなっていく。

 ――その場面は、舞台でも印象的でした。

 見ていただいた方からは、よく表現できたなと言われました。ただ、悲惨なだけでなく、その後の復興まで描いています。だから、まずは原爆のことを知る入り口として見てもらいたい。

 ――最近、世界の情勢がきな臭くなっています。

 核兵器が普通の武器のように報道されていることに危機感を覚えます。原爆の悲惨さを伝えるのが、被爆国である日本の果たす役割なのだと思います。(稲)

     ◇
 <舞台「廣島物語」は2月21日(水)~25日(日)、東京・渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホールで上演。詳細はエアースタジオのHP(http://www.airstudio.jp/index_2024hiroshimamonogatari.html)を参照>

 〈プロフィル〉
 1965年、広島県生まれ。演出家・脚本家。制作会社エアースタジオ代表。2009年に劇団空感演人を旗揚げし、演出家・脚本家を中心に活動しながら、ワークショップの講師などとして活躍している。

 〈MEMO〉
 取材中、「ゆでガエルになると怖い」との言葉が。水から火に掛けられたカエルは熱湯になっても逃げることなく、そのままゆであげられてしまう。
 同様に、現代では、核兵器を持っていても、誰も核兵器を使うことができない。しかし、核兵器の存在が当たり前になると、その怖さも薄れてしまう。それを評した言葉だ。
 悲惨さ、残酷さを風化させない。そのためにも、被爆の記憶を歴史に埋もれさせてはならない。