〈文化〉 スポーツウォッシングとは 西村章(スポーツライター)2024年1月18日

  • 熱狂・感動の裏に隠される不都合

代表例はベルリン五輪

 皆さんは「スポーツウォッシング」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。東京五輪開催を控えた2020年ごろから、日本でもちらほらと見かけるようになりました。
 これは、「スポーツの熱狂によって、人々の関心や意識が社会の問題からそらされている」様子を表す言葉です。簡単に言い換えると、スポーツを使って国家や政権、企業などのマイナスイメージを覆い隠そうとする行為です。
 皆さんは、日々、スポーツを観戦したり、自分でもやったりしていることでしょう。でも、手に汗握る勝負の楽しみや体を動かす喜びが、何か都合の悪いことをウヤムヤにするために利用されているとしたら……。そんなスポーツウォッシングについて知ってもらいたく、近著『スポーツウォッシング』(集英社新書)を出版しました。
 スポーツウォッシングの典型例としてよく取り上げられるのは、1936年のベルリン五輪です。ナチス政権下で、彼らが自分たちのイメージを好転させるために利用した大会として知られています。
 ヒトラーとナチス政権に対しては、この大会以前から厳しい批判が向けられていました。しかし、大会が始まると、「ヒトラーは今日の世界において、最高ではないとしても屈指の政治的指導者だ」「素晴らしい親切、細やかな思いやり、丁寧なもてなしを受けたという印象」などの記事が世界的な大新聞に掲載されるほどの効果を発揮したのです。

プレゼンス向上と表裏一体

 ただ、これほど露骨で分かりやすいケースは、現実には少ないのが実情です。
 例えば、W杯サッカーのカタール大会。スタジアム建設などの過酷な労働環境で、多くの出稼ぎ労働者が亡くなりました。また、地域的に女性や性的マイノリティーに対する差別も根強く、それらの批判から目をそらせるためのスポーツウォッシングではないかと指摘されました。
 この大会の一面として、スポーツウォッシングの作用があったのは間違いないでしょう。ただ、サッカーは彼らにとっても重要な文化で、スポーツ全般に力を入れる彼らが国際大会を招致しようと思うのも当然のこと。自国の世界的なプレゼンス(存在感、影響力)を向上させたい、という国家戦略と表裏一体なのです。
 だからこそ、スポーツの熱狂や華やかさのみに気を取られていると、それが覆い隠している問題を見過ごしてしまいます。私自身、カタールには、MotoGPの取材でかれこれ20年間訪れています。しかし、建設現場で働く人々がたくさん命を落としている過酷な労働環境の問題を理解したのは、初取材から10年以上が経過した2010年代中ごろでした。
 日本のメディアは、中東の出稼ぎ労働者問題や性的マイノリティーの抑圧に対して元々関心が薄く、W杯開催前から欧州メディアがスポーツウォッシングに批判的検証を行い、参加選手たちも人権抑圧に反対の声を上げていたのに対し、日本ではメディアも選手たちも目と耳と口を閉ざしているように見えました。

知らないうちに忍び寄る

 スポーツウォッシングの問題は、一筋縄でいかない分かりにくい問題です。でも、何かおかしいなと感じることが第一歩。
 「スポーツに政治を持ち込んではならない」と、よくいわれます。この言葉の理解について、日本とそれ以外の国々でかなり意識のズレがあるようです。近年、差別や平和問題などに対して、選手たちのアピールが増えています。
 例えば、東京五輪では女子サッカー選手たちが試合前に片膝をついてアピールしました。この行為は差別反対の象徴として、NFLのコリン・キャバニックが始めたものです。人種差別反対の意思表示として国歌斉唱の際に起立せず、片膝をついたのです。
 また、2020年の全米オープンテニスでは、大坂なおみ選手が黒いマスクで登場。マスクには、警察の人種差別的な暴力の被害に遭った犠牲者たちの名前が記され、BLM運動の支持を訴えたことは、世界的に話題になりました。
 日本のスポーツ報道は、「競技に感動した、楽しかった」という側面だけをいつも強調します。しかし、そんな結果に一喜一憂している私たちは、実は大事なことから目をそらされてしまっているのかもしれません。
 東京五輪の際、政治家の中からこんな発言が聞こえてきました。「こんな時だからこそ、五輪を開催すれば、不平不満を忘れてくれる」と。
 現代のスポーツはまるで古代ローマの“パンとサーカス”のように、娯楽で気をそらせて、市民をおとなしくさせる道具に使われているのかもしれません。スポーツウォッシングは、まるでヌエのように、その姿を見抜きにくい存在だからこそ、知らないうちに忍び寄ってきて、気付いたらそこにいるのです。=談

 にしむら・あきら 1964年、兵庫県生まれ。雑誌編集者を経てスポーツライターとして独立。1990年代から二輪ロードレースの取材をはじめる。著書に『MotoGP 最速ライダーの肖像』(集英社新書)など多数。