〈黄金の師弟旅〉第1回 青葉城址2024年1月17日

  • 学会は永遠に人材をもって城となす

 日本と世界の各地に刻まれた池田先生の励ましの足跡。「黄金の師弟旅」と題して、その舞台となった地を、師弟のドラマとともに紹介する。第1回は、宮城・仙台市の「青葉城址」を掲載する。

仙台市街や太平洋が一望できる青葉城址には、伊達政宗の騎馬像が立つ(宮城・仙台市で)

仙台市街や太平洋が一望できる青葉城址には、伊達政宗の騎馬像が立つ(宮城・仙台市で)

 文武に優れた将として名高い仙台藩の初代藩主・伊達政宗。彼が築いた仙台城は、「青葉城」との別称で有名である。青葉城址には、往時をしのぶ石垣が残る。
 1954年(昭和29年)4月25日、池田先生は、戸田先生と共に青葉城址を訪問した。
 戸田先生は、集った青年たちに、「未来がどうなるかは、何も論じなくとも、青年を見ればわかる」と語ると、政宗の事績に言及。そして、愛弟子に永遠の指針を託した。
 「学会は、人材をもって城となすのだ。人材の城をもって広宣流布に進むのだ!」
 さらに恩師は、池田先生の質問に答えながら、青年が人材として成長していくための要諦について、①使命の自覚②向上心③忍耐、との3点を示した。
 本年は、青葉城での師弟の語らいから70年の佳節を迎える。
 同行していた青年の中に、後に東北長を務める上田金治郎さん(=東北総主事)がいる。当時、中学3年生だった。
 「訪問の前日のことでした。『明日、戸田先生と池田室長が青葉城址を訪問するから、青年部は参加を』と連絡がありました。迷わず駆け付けました」
 上田さんは、53年(同28年)末に入会。その直後、東京で行われた第2回男子青年部総会に参加する。恩師の前で宣誓文を朗読する池田先生の堂々たる姿に、深い感銘を受けた。
 青葉城址訪問の前月の54年3月30日、26歳の先生は青年部の室長に就任したばかりだった。
 上田さんは振り返る。
 「青葉城址を訪問された日は日曜日で、約60人の青年たちが集っていたと記憶しています。戸田先生と池田先生のお姿は、誠に峻厳でした。とともに、師弟の温かさを実感しました」

青葉城址での師弟の語らいから40周年を記念して行われた勤行会(1994年9月4日、宮城・東北池田記念墓地公園で)

青葉城址での師弟の語らいから40周年を記念して行われた勤行会(1994年9月4日、宮城・東北池田記念墓地公園で)

互いに補い 固い団結を

 その後も、池田先生は、東北指導の合間を縫うようにして、恩師と語り合った青葉城址を度々訪れている。
 61年(同36年)11月20日、先生は東北本部落成式に出席。席上、“東北健児の歌”が発表された。作曲を担ったのは、上田さんだった。先生が加筆し、以後、「新世紀の歌」として全国で歌われていくことになる。
 この東北指導の中で、先生は上田さんに語った。
 「今はまだ日蓮大聖人の仏法を知る人は少ない。だが、見ていなさい。世界広布は、あっという間にできるよ」
 上田さんは、“師匠と共に、東北健児の手で世界広布を”と強く誓った。
 翌21日、先生は、東北の青年たちと青葉城址へ。
 大小さまざまな石が、堅固に積み重ねられている石垣を指さし、「互いに補い合い、団結していくことが大事だ。人材の城というのは、人材の団結の城ということだ」と訴えた。
 さらに、一首の和歌を詠む。
 「人材の 城を築けと 決意ます/恩師の去りし 青葉に立つれば」
 “創価の人材城を築け!”――先生は、恩師から託された指針を心に刻みながら、一人一人への激励に全精魂を注いでいたのである。

1971年2月28日、池田先生は青葉城址へ。この日、東北未来会の結成式や東北文化祭に出席し、“新たな人材”に万感の励ましを送った

1971年2月28日、池田先生は青葉城址へ。この日、東北未来会の結成式や東北文化祭に出席し、“新たな人材”に万感の励ましを送った

風雪越えし 我等こそ

 〽風雪越えし 我等こそ
  地涌の正義の 旗頭……
 東北の歌「青葉の誓い」の歌声が青葉城址に響いたのは、78年(同53年)8月のことだった。
 3カ月前の5月28日の夜、宮城県幹部会を終えた先生は、青葉城址に足を運ぶ。この年、第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた。先生は、仙台市街の夜景を眺めながら心に期した。
 “何があろうが、民衆を守るために、微動だにせぬ創価城を築き上げねばならない”
 同志に勇気を送ろうと学会歌の制作を重ねる中、8月6日、「東北の歌」が発表される。タイトルは「青葉の誓い」だった。
 青葉城址での師弟の原点を胸に、「人材の牙城・東北たれ」を合言葉に前進してきた友らは、この曲名に、喜びと決意をみなぎらせた。
 同歌は、6日に東京・信濃町で行われた、東北女子部の勤行会で発表され、8日付の聖教新聞に歌詞と譜面が掲載された。
 8日昼、婦人部と女子部の合唱団の代表が急きょ青葉城址に集った。先生の期待に応えたいと、師弟有縁の地で「青葉の誓い」を高らかに歌った。
 「青葉の森に 誓いたる/我等の誇り 忘れまじ」――歌詞の一節一節が、一人一人の誓願となって胸に焼き付けられた。
 木村美千代さん(=石巻躍進県女性部主事)は当時、婦人部の合唱団のアルトパートの責任者だった。育児のかたわら学会活動に奔走していた。
 後年、自宅で陶器販売も行う喫茶店を経営。東日本大震災など、困難を何度も乗り越えながら、地域に笑顔と信頼の輪を広げてきた。その原点となったのが、青葉城址での合唱だった。
 木村さんの長年の夢がかない、一昨年、自宅を個人会場として提供。2人の子どもも後継の人材として成長する。
 青葉城址に刻印された師弟のドラマ。その黄金譜は、未来部の友にも継承されている。
 宮城県の「青葉少年少女合唱団」は、20年ほど前から、青葉城址で野外研修を行っている。
 研修はメンバーの大きな触発に。参加した団員からは、「合唱団の一番の思い出」、「戸田先生、池田先生のことをもっと知りたいと思いました」などの声が寄せられている。
 先生は、青葉城を通して、こう同志に呼びかけた。
 「信念光る東北の同志の城、創価の人材の青葉城は、永久に難攻不落である。さあ、いよいよ強く、勇気に燃えて前進だ! これが学会精神である」
 東北、そして創価の同志の“強き団結”の中に、崩れざる師弟城が輝く。