〈信仰体験〉 夫との指切りげんまん “5年目”の年越し蕎麦2024年1月15日
- 心添えて 思いつなぐ
夫の思いを身に体し、店を愛する人々に、精いっぱいのおもてなし。それが石川さん(中央)の使命の道だ
【山形県南陽市】ラーメン激戦区赤湯エリアで、蕎麦とラーメンの人気店「手造麺ふたば」。店主は石川美保子さん(57)=地区副女性部長。製麺場には、在りし日の夫・淳さんが笑顔で納まった、手のひらほどのフォトフレームが。昨年秋になって、ようやく飾れた。夫が見守るなか、この暮れも、2人分の思いを練り込んだ自家製の年越し蕎麦を、待ち焦がれる人々の元へ、無事に届けることができた――。
製麺場に飾られた在りし日の夫・淳さん
お詫びと決意
夫・淳さんに異変が生じたのは、2013年(平成25年)のこと。
肝臓の数値が悪化。体調の優れない中、店に出る日が多くなった。
両親が創業したラーメンが人気の食堂を継ぎ、蕎麦をもう一つの“看板”に据えた。
それに合わせて、店舗も趣がある装いにリニューアルしたばかり。
東京の蕎麦の名店で修業した淳さんは、ラーメン、蕎麦のいずれも選りすぐった粉で製麺、蕎麦つゆにも徹底してこだわるなど一層、力を入れていた。
医師は入院を勧め、石川さんと4人の子どもたちも説得したが、店を守るためにも、“通院しながら治療する”と譲らなかった。
18年春、末の子が高校を卒業すると、ようやく、淳さんは本腰をいれて治療に入った。
肝硬変が進行し、腹水がたまるたび、入退院を繰り返した。
それでも、店の柱は自分であると、退院するたび、無理を押して厨房に立ち続けた。
信心には無理解だったが、自身の平癒を懸命に祈る妻と地域の女性部の姿に、創価学会への偏見は解け、認識を変えていく。
「学会って、困っている人や悩んでいる人の応援団なんだな」
師走に入り、年越し蕎麦の問い合わせが始まった頃、医師から「長くはもたない」と告げられた。
「今年は年越し蕎麦のお届けはできません。でも、来年は必ず、お届けしますから!」
お客へ詫びた。
それは同時に、夫妻で交わした決意の“指切りげんまん”。
淳さんは、懸命に回復を祈る子どもたちに心配をかけまいと、「大丈夫。絶対に店に立つから」と強がった。
迎えた元日。家族それぞれが、「一年の計」を約し合った。
翌月、淳さんは家族が見守る中、笑顔をたたえて息を引き取った。
はい上がる力
「俺の身に何かあったら、おまえの好きなようにしたらいい」
生前、夫が語っていた言葉が頭から離れない。
取引先から従業員、義父母までもが、石川さんの決断を静かに待ってくれていた。
悲しみが、心の奥にしまい込んでいた記憶の数々を、思い出させる――。
馴れそめは、夫の修業する蕎麦店に石川さんがアルバイトに入ったこと。
二人の人生は、蕎麦から始まった。
夫に信心の素晴らしさを理解してもらう前に、まずはわが心に崩れぬ“信心の宮殿”を築こうと走った誓いの女子部時代。
結婚の際、御本尊の安置と、学会活動を容認してくれた、義父母と夫の懐の深さ。
嫁いだ先で自らの振る舞いを通し、学会理解を広げてきた女性部の先輩が、折々に相談に乗ってくれたこと。
商売、育児、夫の闘病……どんな時も、聖教新聞や書籍を通じて送られる池田先生の励ましが、支えだった。
夫亡き後、悲嘆の淵からはい上がる力となったのも、小説『新・人間革命』の一節だった。
「負けるな。断じて、負けるな。あなたが元気であり続けることが、信心の力の証明です」
夫婦でお客と交わした年越し蕎麦の約束。
“それを果たすのは、私しかいない”――。
そう心が定まったのは、葬儀から1週間後のことだった。
昔から夫妻の心意気を知る従業員も賛同し、引退した義母も、厨房に戻ってきてくれた。
のれんがかかると、ありったけの笑顔と、こまやかな接客で店を支える従業員の姿に、涙が止まらなかった。
どんな忙しさにも、あうんの呼吸でテンポよく注文をさばく
激戦区でラーメンも評判の二刀流
「ふたば」の心意気を記した大書
手間をかけて届ける
「相変わらずおいしいね!」
「店を続けてくれて、本当にありがとう」
お客の声を、接客に当たる従業員が石川さんに伝えてくれる。
だが、夫が作る麺とほど遠いのは、自分が一番分かる。
それでも麺は店の“看板”。麺打ちは、石川さんが担うしかない。毎朝、製麺場に立つと胸が締め付けられた。
悲しみを振り払おうと、ひたすら唱題に励むしかなかった。
祈っては涙する日々が続いた、6月のある日のこと。
休憩中、開業時から店内に掲げてある、夫の思いを記した大書が目に入った。
〈おいしい麺を たくさんの人に食べてもらいたい 麺を手打ちすると手間はかかるが その分心を込められる そんな気がするのです〉
なぜ、たくさんの人たちに愛される店へとなれたのか、石川さんは分かった気がした。
それは、この心意気を体現しようと努力する従業員と、それに感じ入るお客さまがいるからだ――と。
心一つに、店を支えてきてくれた従業員と石川さん(左端)
「この時、真心込めて作り続ける限り、夫はずっと私の中で生き続けていると感じたんです」
悲しみが去ることはなかったが、納得の年越し蕎麦を届けられるよう、麺打ちに徹した。
そして迎えた2019年(令和元年)の年の瀬――。
残り一つとなった箱入り蕎麦を届け終え、ようやく、夫との約束の一分を果たせた気がした。
その後も力戦奮闘、一意専心の月日を送ること、4星霜。昨年暮れも無事、年越し蕎麦を届けることができた。とりわけ、今回は一番の出来栄えだった。
年が明け、製麺場で“打ち初め”に立つ石川さん。
写真額に納まる夫の頰が、ほんの少しだけ、緩んだ気がした――。