〈ライフスタイル〉 非行に走った思春期を経て、育児中の28歳で医学部合格 人生いつでもやり直せる!2024年1月14日

“みらい外来”で悩める親子に寄り添う

小児科医 河原風子さん

 今回は、福岡県で「みらい外来」を開設し、子どもの心身の不調や親子関係の悩みに向き合う医師、河原風子さんの登場です。著書『腐ったみかんが医者になった日』(幻冬舎)には、北九州市に生まれ育ち、高校時代は恐喝で警察に連行されるなど(その後、無罪に)荒れた青春時代も赤裸々に。今、温かなまなざしで周囲の人を包み込む、河原さんの来し方を聞きました。

 
本気で向き合ってくれた人

■厳しい母親に反発し、中学時代から深夜徘徊や野宿をしていたそうですね。

 教育虐待というか、親の過干渉や過度の期待で、家でもホッとできませんでした。小学生まで成績は良かったのですが、中学に入ると「絶対に勉強なんかしてやらん!」と、母が嫌がる方向に走りました。

 今、子どもたちと接していて、思春期の子どもにとって“安心できる居場所”があることは、とても重要だと痛感します。


■本のタイトルにある“腐ったみかん”は衝撃的な言葉ですが、高校の担任教師の言葉だとか。

 「君は腐ったみかんだ。君がいると周りのいい子たちまで悪くなる。学校を辞めてくれ」と。今、講演で話すと、小学生から「どうしてPTAに言わなかったんですか?」と言われます(笑)。その高校は2年で退学になり、定時制高校へ編入しました。


■幼少期からぜんそくがあり、荒れた生活の中で、たびたび救急外来に。

 近くの総合病院に行くと、いつも駆け付けてくれたのが医師の神代先生です。大人も避けていく不良の私に、神代先生は真っすぐ目を見て正面から向き合ってくれました。パワフルで、心をのぞかれているような感覚。見え透いたうそはバレると感じていました。

 中学の時、治療とは関係なく呼び出され「あんたみたいな子が登校拒否の子をつくるのよ!」と、いきなり怒られたことも。後々考えると、そういう子たちを診ていたのかもしれません。

 私がグレてどうなろうと関係ない立場なのに、本気で怒って私と向き合おうとしてくれてる、愛なのかなって思いました。

 その時に、なぜか「医者になりなさい」みたいなことを言われて。小さい頃から心のどこかに医者への憧れはあったんです。ぜんそくで苦しい時に駆け付け、楽にしてくれる。医者ってすごいなって。でも高校卒業もギリギリの私には絶対無理!と、気持ちを封印していました。

 
更生し、医学部を目指す

■高校卒業後は更生し派遣社員に。医師になる決意を固めたのはいつですか。
 
 事務職で働き、評価される中で、自分の居場所はこうやってつくっていくんだなと分かり、穏やかな日々で普通の人になれた気がしました。

 本気で医者を目指したきっかけは出産です。主治医の女性の先生が本当にすてきで。19歳の私が「男の先生は怖い」と言うと、いつ生まれるか分からないのに「私が行くから!」と。安心できましたね。医者って心まで救えるんだって思いました。

 2人目の出産も同じ先生にお世話になり、その姿を見て「絶対なりたい!」と。それまで医者を目指すことから逃げていたんです。無理と言えば楽なので。でも、もう自分の思いから逃げられないなって。本気で頑張れば受かると思いました。


■腹を決めた後、どのような勉強方法を?

 中学、高校と授業をまともに受けていなかったので塾に行くレベルではなく、取りあえずそこまで追い付こうと、公文式で中学の数学から始めました。

 娘たちを保育園に預け、午前はコンビニでバイト、午後は勉強、夕方からは娘たちと過ごし、夜に2時間くらい勉強という毎日。隙間時間も活用して。でも成績の伸びが遅く、最終的には予備校に行きました。


■育児と勉強の両立は大変だったのでは? モチベーションをどう保ったのですか。

 メチャクチャなりたかったんですよね、医者に。子どもが好きだし、困っている人を助けられる。どうしてもなりたかった。娘たちに何かあった時に診てあげられるとか、いろんなことをモチベーションに頑張りました。

 根性はあるので(笑)。言ったらやらないとカッコ悪いし、親が夢を追い、努力してかなえる姿を娘たちに見せたい、という思いもありました。

 
34歳で念願の医師に!

■勉強開始から約5年、2回目の受験で医学部に合格。学生時代に離婚し、シングルマザーに。34歳で医師国家試験に合格。その間、多くの友人が子育てを協力してくれるなど友情がずっと続いていて、河原さんはきっと“人が好き”なんだろうなと思いました。

 そうなんです、人が好きですね。人の中で生きていたいし、駆け付けることも苦じゃなく、呼ばれたら使命感でどうにかして助けようと思います。おせっかいでもあるので、人が喜んでくれたら幸せ。すると自然と自分に返ってくる気がします。

 心がけているのは“人の良いところを見る”こと。娘たちにも「それができるのが賢い人だよ」と伝えてきたので、彼女たちも人間関係に恵まれていますね。


■2022年に立ち上げた「みらい外来」には、県外から来る親子もいるとか。

 誰でも来られる空間をつくりたくて。軽症でもいいんですよ。何科か分からない時に、取りあえず行ける場所。小児科は本来、中学3年までですが、高校生まで枠を広げています。

 初診はじっくり話を聞きます。「別に」とか言う子も、また来てくれるんですよね。例えば、特に子どもの場合、眠れないなら睡眠薬を出して解決――とは私は思いません。眠れない原因があるはずです。学校が嫌なら休んでもいい。でもその原因が友達とのトラブルなら、そういうのって今後も起こりうるので、休むだけでなく「どうやって乗り越えるか考えることも必要だよね」と、一緒に考えながら、さりげなくアドバイスしたりします。


■「私生活を顧みず働こう」と決めて、取り組んでこられました。

 いろんな治療をやり尽くして、後は気持ちの問題という時は、病院の中では限界があるので一緒に外に出たりとか。自分の家族より仕事優先、それが使命と思ってきましたが、次女のSOSを感じて、今は家庭を大切にする時間も必要だと思っています。


■生きづらさを感じている若者にメッセージを。

 大人になれば自分の意志で生きられます。私の場合は医者でしたが、それぞれ自分らしく輝ける道がきっとあります。自分らしいとは何か、つらくても“自分と向き合うこと”をやめなかったことが、私は自信につながりました。

 意志と行動力さえあれば、何歳からでも自分らしい人生に変えられます。どうか、自身の力を信じ続けてください。

 
*電子版特設コーナー

◆悩んでいる若者たちへ

 今、学校や家庭で思い通りにいかない環境だとしても、自分の大切な人生、何のために生まれてきたのか考え続けてほしいと思います。

 生きづらさを感じてる場合、親が敷いたレールの上とか“自分の人生”を生きられていないことが多いと思います。自分らしく楽しくいられることは何か、考え続けてほしいです。

 自分と向き合うのってすごくきついですよね。私自身、それを思春期に何とかやれたことが、大きな自信につながっています。

 私には負しかなくて、この環境から抜け出すには自分を変えるしかなかった。まぁどん底に落ちたからこそ思えたのかもしれませんが、「逃げないぞ」と自分の弱い部分にも目を向けられました。

 それって勇気が必要ですが、自分の嫌な部分に向き合って、「丸ごと私なんだ」と受け入れることができた時、自分を好きになれました。


◆子どもに悩む親御さんへ
 
 核家族化も一つの背景かと思いますが、子どもへの愛が強過ぎる家庭が多いと感じます。もう必死に子育てされていて、診察室に入ってきた瞬間から親も子も重く、必死過ぎる感じを受けます。親御さんも、自分の人生を生き切ってもらいたいと思います。

 子ども時代にいっぱい失敗を経験してもらい、いっぱい選択権を与える。すごく難しいことですけど、強制するのではなく子どもがやることを見守ってあげてほしいです。

 親が口を出してしまう家庭で育つと、成人して社会に出て失敗した時にどうしていいか分からず、ポキッと心がすぐ折れてしまうんです。心が折れた若い人を見ると、守られ続けたんだろうな、と。ある程度野放しにすることも大事だと思います。


◆河原さん流子育て

 子育てで意識したのは「人間を育てる」ことです。私と同じ経験をさせたくなかったので、自分なりの子育てを考え実践しました。

例を挙げると……

①自分だけの幸せには価値がない

 友達など、人の気持ちを考えられる人に。


②友達のいいところを見つける

 「人の悪いところを見つけるのは誰にでもできる。人の良いところを見つけるのは賢い人にしかできない」と口癖のように言い聞かせてきました。

 そして、もし悪いところがあるなら、どうすればその子のためになるか、考えさせました。ただの悪口からは何も生まれません。その行動の背景に何があるのかを考えさせたことで、娘たちから友達の悪口を聞いたことがありません。友達を否定しないので、娘たちは友達との人間関係が良いのだと思います。


③困っている人を見捨てない

 「誰かがいじめられていたら助けなさい」と教えました。もし仕返しされても「ママはあなたたちを強い子に育てたから大丈夫」と暗示をかけ、自信がつくようにしました。人を助けることで何倍も成長できます。


④人生を楽しむ

 これは何よりも優先して教えたことです。どんな境遇でも人生を楽しみ、身近な幸せに気付き、感謝できる人になってほしいからです。

〈年表〉

8歳 両親が離婚
15歳 私立高校入学
   担任から「腐ったみかん」と
   言われる
18歳 定時制高校卒業、派遣社員に
20歳 長女出産
23歳 次女出産
28歳 医学部入学
34歳 大学卒業、医師国家試験合格
36歳 憧れの神代先生の下、
   小児科医として働く
39歳 みらい外来開設

怖いものがなかった、という高校時代の河原さん

怖いものがなかった、という高校時代の河原さん

河原さんの著書

河原さんの著書

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life@seikyo-np.jp



【編集】加藤瑞子
【インタビュー写真】中野香峯子
【高校時代の写真】河原さん提供