〈ターニングポイント 信仰体験〉 遅咲きの庭師 パニック障害を越えて2024年1月11日

  • 信心の根を張り、勝利の芽吹きを待つ

 吐く息が白い早朝。日の光が差し込み始めた庭の全体を、安藤大樹は真剣なまなざしで見つめる。程なくして意を決したように、パチン、パチンと小気味よく、はさみを入れていく。

 一度切った枝は、元に戻すことはできない。だから――木にとって庭にとって、ベストな状態は何か。そこで暮らす人の願いは。全てのイメージが整ってから、はさみを握る。

「ちょっとした油断が事故につながる仕事。常に緊張感をもって取り組んでいます」。高所作業には細心の注意を払う

「ちょっとした油断が事故につながる仕事。常に緊張感をもって取り組んでいます」。高所作業には細心の注意を払う

 庭師として12年目。「まだまだ未熟者です。人の3倍努力しなきゃ」。そう言って整えたばかりの木々に目を向けた。

 * 

 幼い頃に両親が離婚し、弟と共に父に引き取られた。よく祖父母の家に行った。仏間で題目を唱える祖母の周りで、弟と遊んだ。

 やがて生活は荒れていく。夜中まで遊び歩き、勉強はからっきし。高校卒業後は、アルバイトを転々とした。

 20歳の時、弟と共に家を飛び出した。金なんかない。借金をして2人でアパートに住み始めた。祖母からは「御本尊様だけは持って行きなさい」と。

 車のコーティング業で懸命に働いた。1年がたった頃、体調に異変が起こる。外を歩いていると、不意に景色がぐにゃりとゆがむ。仕事ができなくなった。

 パニック障害、うつ病と診断された。外に出られない。誰とも話したくない。何もない殺風景なワンルームで膝を抱えた。

 カーテンのない窓越しに、夜空を見上げる。窓枠に映し出された空。それは、大樹が住む世界の小ささを物語っていた。“俺には何もない……”

 ふと、部屋の隅の御本尊に目がいった。幼い頃の祖母の言葉がよみがえる。「何でも願いがかなう御本尊様だよ」。初めて御本尊の前に座った。なりふり構ってはいられない。“助けてくれよ……”。大樹は泣きながら題目を唱え始めた。

 “あの時、こうしておけば……”。祈り始めると、これまでの人生が次々思い出され、後悔ばかりが先に立つ。

 次第にそれは形を変え“もし生まれ変われるなら……”と、未来の自分を想像するようになっていった。

 再び窓に目をやると、今度は夜空がキラキラ輝いて見えた。“題目って、すげえんだな”。一瞬で世界が変わった気がした。

 仕事に復帰。思わず社長に「俺、創価学会員なんですけど、題目ってヤバいっすよ」と語っていた。社長はけげんな顔をしていた。

 男子部の会合に参加するようになった。牙城会大学校(当時)にも入校し、すぐに2人の友人に弘教が実った。

 男子部の先輩が言った。「大樹はF1カーみたいだな。すごい馬力と、とんでもないスピードがある。でもな、だからこそブレーキとメンテナンスが大事なんだ」

 その通りだった。直後に、不注意から腰の骨を折る事故に遭う。仕事も辞めざるを得なくなった。治ったと思っていた病も、一進一退の日々が続く。

「題目と折伏で今の自分がある。その確信をありのまま語っています」と安藤さん(中央)。男子部の仲間と

「題目と折伏で今の自分がある。その確信をありのまま語っています」と安藤さん(中央)。男子部の仲間と

 再び仕事を転々と。だが以前とは心のありようが違った。“俺には信心がある!”。学会活動に挑戦しながら、一瞬一瞬を大切に生きた。

 折伏に臨む姿勢も変わっていく。勢いに任せた対話ではなく、じっくりと相手に心を寄せるようになった。折伏すべきは、まず自分自身だと知った。大樹は大学校時代に5人、その翌年に3人の友を入会に導いた。

 「よからんは不思議、わるからんは一定とおもえ」(新1620・全1190)の御文を言い聞かせながら、自分の生命を磨き続ける。持続の題目の大切さが身に染みた。

 29歳で病を克服。この頃、造園の世界と出合った。

 * 

 木と向き合っていると、不思議と気持ちが落ち着いてくるのが分かる。いつしか造園業に、のめり込んでいった。初めて本気になれることが見つかった。働きながら専門学校に通い、造園技能士の資格も取った。

 32歳の時に妻・早苗さん(41)=白ゆり長=と結婚。守りたい人ができ、さらに仕事に全力を傾けた。その妻の後押しもあり、35歳で独立。「大樹園」を立ち上げた。

愛する家族の存在が「僕の原動力」と(左から妻・早苗さん、次女・藍ちゃん、安藤さん、長女・佳蓮ちゃん)

愛する家族の存在が「僕の原動力」と(左から妻・早苗さん、次女・藍ちゃん、安藤さん、長女・佳蓮ちゃん)

 当初、顧客はゼロ。他社の仕事を手伝いながら、さらに技術を磨き、信頼を築いていった。

 ある日、40代ぐらいの女性から大きな柿の木の植え替えを相談された。見るとすでに木は腐りかけていて、伐採を勧めようと思った。ところが、話を聞くと、その木は兄が生まれた日に植えたという記念樹だった。

 迷った末、大樹は引き受けた。丁寧に土を掘り起こすと、立派な根が見えた。生きた根をどれだけ残せるかが勝負となる。後日、その木から新たな芽が出たと、お客から喜びの電話が入った。

 “大事なのは、どれだけ力強い根を張れるかなんだ”。木だけではない。大樹にとっての根っこ。それは間違いなく信心だった。

 「いかなる困難があろうが、一つ一つ、地道に、順番に積み上げて、努力し、そして待つことです。(中略)必ずや、勝利の時は訪れます」

 池田先生の言葉を胸に、仕事でどんなに疲れても唱え続ける題目。それこそが、揺るぎなき確信の根となると挑戦を重ねた。

 これまで実らせた弘教は19世帯。その中には、最初に題目の話をした、あのコーティング業の社長も。10年越しの対話が実った。

 どんなに小さな仕事にも全精魂を注いできた。最後の掃除にも気を配り、葉っぱ一枚、落として帰らないという思いでいる。

 今では、多い月で10件以上の新規の仕事が舞い込む。抱える顧客も、6年で150件以上にまでなった。

 思えば随分と遠回りしてきた気がする。だが全ての経験が、今の大樹の糧となった。

 「仕事も信心も基本の積み重ねが大切。もちろん、僕にとっての基本は題目です!」

 遅咲きの庭師に、勝利の芽吹きが訪れる。

 あんどう・だいき  1983年(昭和58年)生まれ、入会。東京都東村山市在住。庭師として35歳で独立。造園業会社「大樹園」の代表を務める。2女の父。区男子部主任部長。

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