〈20代のリアル ボクらのイマ。 信仰体験〉 アメリカ医師国家試験(1次)に合格2024年1月5日

  • 目の前の一人を大切に
  • “第二の故郷”に恩返し

 
 〈昨年、平沢良明さん(25)=石川県金沢市、学生部ビクトリー・リーダー=は、アメリカ医師国家試験(1次)に合格した〉
 
  
 小さい頃、母と医療ドラマをよく見ていたんです。薬品などが不足する国で、主人公が治療に臨む姿がかっこよかった。それが、世界で活躍する医師を目指したきっかけ。
 
 もちろん、それだけじゃないですよ。僕は、小学校から創価学園に通わせてもらった。「弟子です」って胸を張れるほどじゃないけれど、創立者・池田先生の思いに何度も触れるうち、“社会のため、世界のために、力をつけたい”との思いが芽生えてきて。
 でも浪人時代、センター試験(当時)で失敗。ズタボロの心で本部幹部会の中継に参加しました。この時、「負けじ魂の青春に勝利あり」と、先生から励ましをもらって。なんとか決意し直して、念願の医学部に合格できたんです。
 
  
 〈大学入学後、予想外の“洗礼”を受ける〉
 
  
 いろんなサークルの新入生歓迎会に行くたび、出身高校名をめっちゃ聞かれるんです。「創価高校!」って言うと、「……名門ー!」って一瞬、間が空く。聞いた話では、「創価学会が来る。全員、勧誘されるぞ」とまで、うわさされていたみたいで。
 僕は、家族から言われて勤行するような、かなりマイルドな信心(笑)。それでも、何も知らないだろう人が否定してくるのには、イラっとくる。
 
 同時に思ったのは、ここの先輩や同級生が接する1人目の学会員は、僕になるんだろうなということ。だったら、恥ずかしがるのは逆効果。むしろ、ありのままの姿を見せて、在学中の6年間で、学会への理解を勝ち取ろうと決めました。
 

  
 〈昨年、オーストラリアに病院実習で行き、医療現場に立った〉
 
  
 英語と医療知識、準備をやり切って挑んだ留学。ところが、全然、言葉が聞き取れないんです。
 医師から「スワビー取ってきて!」って言われて、反射的に「はいっ!」って答えて動き出すけれど、やっぱり分からなくて聞き返す。やれやれ、という感じで教えてもらったら、「スワブ(アルコール綿)」のことでした。
 とにかく言葉が早くて、なまりもあれば方言もある。無力感でいっぱいでした。でも、池田先生の言葉が浮かぶんです。
 
 「最後の一歩まで/断じて退くな!/幸福は 前にあるからだ/後ろに引き下がる青春は/自らの宝を/捨て去ってしまうからだ」
 
 ここで折れるわけにはいかない。毎日、研修終わりには図書館に行き、その日の復習を。一度言われたことは絶対に忘れないよう、食らいつきました。
 研修の最終日。担当医から「良明はハードワーカーだ。必ず良い医師になるよ」って言ってもらえた。
 帰国後、アメリカ医師国家試験の1次試験に合格。世界へ羽ばたく医師になる夢に、一歩、近づきました。
 

  
 〈努力を続ける平沢さん。最近、友人からうれしい言葉を聞いた〉
 
  
 友人たちの間で「どうして平沢は、あんなに人のために動けるのか」って話になったみたい。「創価の思想のおかげなんじゃないか」っていう結論になったと聞きました。
 「人のため」だなんて、僕にはまだ大げさすぎます。でも、自分の行動を通して、学会理解を広げようとしてきたことが、一つの結果になった気がして、うれしかった。医師として大事にしたいのも、誠実な振る舞いであり、目の前の一人を大切にする心です。
 
 医療現場での実習を通して感じたのは、“流れ作業”になってしまう怖さでした。例えば、がんの告知の際、聞いている方が絶句してしまうような言葉を使う医師もいた。一方で、患者さんの趣味や何げない一言を書き取り、その話題から話すようにしている医師も。
 「妙法の医師」という池田先生の指針を僕が体現するには、まだまだ答えが見えてないけれど、一人一人を大事にすることだと今は思ってます。生老病死に立ち会う者として、本当の意味で一人に寄り添える医師になりたいと思います。
 

「暗から明へ/悲哀から歓喜へ――」。師の励ましを自らの誓願とする北陸学生部の友(前列中央が平沢さん)

「暗から明へ/悲哀から歓喜へ――」。師の励ましを自らの誓願とする北陸学生部の友(前列中央が平沢さん)

●育んでくれた北陸への思い

 今年の元日、能登半島地震が発生した。金沢市に住む平沢さんのことが心配で、記者から電話をかけた。
 
 「何もできない自分が、もどかしいです……」。平沢さんは悔しさをにじませた。東京都八王子市の実家に帰省中に起きた地震だった。
 
 家族と見ていたテレビ画面が、緊急地震速報に変わる。画面に映る「石川県」「富山県」の文字。「えっ……」。驚きで言葉が出ない。
 輪島、七尾、氷見……津波警報と共に定点カメラで映し出される地域は、どこも行ったことのある場所ばかり。
 よくしてもらったドクターや看護師。患者も「いいお医者さんになってね」と声をかけてくれた。帰省しなかった年末年始に食事を届けてくれた女性部の人も。お世話になった人たちの顔が次々に浮かんだ。
 
 すぐさま友人、知人に連絡。近しい人は無事だったが、次第に被害の大きさが明らかになるにつれ、もどかしさが募った。
 「北陸は、僕を医学部生として、人間として育ててくれた第二の故郷です。一番大変な時に、まだ医師でもない僕は何もできないんだ、と無力さを痛感しました」
 
 平沢さんは、恩返しをしたいとずっと思ってきた。今年の春からは、研修医として働く予定。地域実習先の候補として輪島を考えているのも、少しでも役に立ちたいとの思いから。
 「本当の恩返しをするためには、経験と知識に裏打ちされた実力がなくちゃいけない。この時に、北陸の地で医学を学んだ者として、大きな使命を感じます」
 
 平沢さんが連絡をした相手の中には、自らの不安な心はありつつも、避難所で周囲の人の困りごとに耳を傾け、寄り添っている人もいた。
 
 「僕も無力さを嘆いてばかりではいられない。目の前の一人の不安を和らげられる人格と、具体的な実力を身に付けなければいけない」
 
 昨日、石川県へ戻った平沢さん。新たな誓いを胸に、日本の医師国家試験へ向け勉強をしつつ、目の前の一人のためにできることはないか、と行動を開始した。医師である前に、一人の人間としてできることを、と――。