〈箱根駅伝〉 創価大学・第100回大会の軌跡2024年1月5日

  • 最高の仲間と挑みつかんだ5年連続のシード権

 第100回箱根駅伝(2、3日)で10区間217・1キロを力走し、総合8位に入賞した創価大学。5年連続のシード権獲得は、4年生を中心とした団結と部員全員の努力の証しにほかならない。ここでは、チームを支えた4年生の奮闘を紹介する。

箱根駅伝を終え、充実の笑顔を浮かべる創価大学駅伝部。頭上には“勝利の証し”として、創立者・池田大作先生が事前に用意していた「月桂冠」が輝く(3日、創大で)

箱根駅伝を終え、充実の笑顔を浮かべる創価大学駅伝部。頭上には“勝利の証し”として、創立者・池田大作先生が事前に用意していた「月桂冠」が輝く(3日、創大で)

 地震で被災した方々にエールを。支えてくれた全ての方々に感謝を――たくさんの思いを胸に、最高の仲間と挑みつかんだ「総合8位」「5年連続のシード権」だった。
 
 そのけん引力となったのは4年生だ。
 
 「彼らの覚悟の姿勢が、下級生の勢いとかみ合ったことで、総合力の高いチームをつくることができました」――大会終了後、榎木和貴監督は語っていた。
 
 志村健太主将を中心に風通しが良く、「全員が主体者」のチームを築き上げた4年生。立役者の一人が寮長を務めた森下治選手である。
 
 皆の生活の細部にまで気を配り、競技のみならず日常でも“隙”が出ないよう率先垂範を心がけた最終年。
 
 「例えば寮内のトイレのスリッパが雑然としているなど、ささいな生活の乱れが競技面やチームの和の乱れにつながります。油断を排し、全員が競技に集中できる環境づくりに努めた1年間でした」(森下選手)
 
 そうした努力や工夫が一人一人の意識を高め、今季は例年よりも故障者や体調不良者が少なくなった。

ゴールした10区・上杉選手㊥と、苦楽を共にした桑田選手㊨、志村主将が抱擁を交わす(3日、東京・大手町で)

ゴールした10区・上杉選手㊥と、苦楽を共にした桑田選手㊨、志村主将が抱擁を交わす(3日、東京・大手町で)

 
 鹿児島・屋久島出身の森下選手。母子家庭で、高校卒業後は就職を考えていたという。
 
 転機は高校2年の時。出場した県の駅伝大会で区間賞を獲得し、アップダウンのあるコースを好走した活躍が榎木監督の目に留まる。
 
 その後、監督は島を訪ね、練習を視察。アドバイスを送りつつ、「箱根の5区を目指してみないか」と声をかけた。
 
 当時を振り返って森下選手は言う。
 
 「箱根駅伝はテレビの中の世界で、自分にとっては夢のまた夢でした。でも、この監督の下で成長したいという気持ちが芽生え、当初は存在も知らなかった創価大学への進学を決めたんです」
 
 慣れない東京で、初めての集団生活。右も左も分からなかったが、努力の末、1年生で箱根のエントリーメンバーに選出される。本番の出走はかなわなかったものの、準優勝チームの一員として銀メダルを手にした。
 
 “次は自分が走る”と誓い、2年、3年、4年と猛練習を重ねた。だが、その後は選外が続き、箱根路を走る夢は実現できなかった。
 
 先月のエントリーメンバー発表後、森下選手は創大に送り出してくれた母に連絡を入れた。
 
 母は「よく頑張ったね」と。その一言が本当にうれしかった。
 
 大会中は志村主将、石井大揮・久光康太両副主将らとチームサポートに回り、中継所への荷物運搬を担当。同期の10区・上杉祥大選手をゴールで出迎えた。
 
 「島育ちの自分が、競技者としてだけでなく、人間的にも大きく成長できたのは、駅伝部の仲間やスタッフ、母をはじめ支えてくれた人たちのおかげです。感謝しかありません」
 
 箱根常連校の伝統を築いた4年生15人は、創大駅伝部で走り抜いた誇りを胸に、それぞれのスタートラインに立つ。

箱根駅伝の補助員を務めた創大陸上競技部短距離のメンバー。2日間にわたり、無事故かつ円滑な大会運営に貢献した

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創価大学の学生たちが箱根路を力走する選手を全力で応援した

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