誓願 210~212ページ 【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年1月5日

 この文化祭の前年にあたる八一年(昭和五十六年)十一月、第三回関西総会に出席するため、大阪を訪れた伸一に、関西の青年たちは言った。
 「来年三月の関西青年平和文化祭は、『学会ここにあり、創価の師弟は健在なり!』と、満天下に示す舞台にいたします!」
 「十万人の青年がお待ちしております!」
 伸一は、燃える太陽のごとき、若き情熱を感じた。
 文化祭は、三月二十一、二十二の両日にわたって行われる予定であったが、二十一日は激しい雨で中止となった。この日、大阪入りした伸一は、落胆しているであろう青年たちを励まそうと、役員会に駆けつけた。
 文化祭で関西の青年たちは、至難の技である六段円塔に挑もうとしていた。前年四月に、東京下町の同志が集った東京家族友好総会で、江東区男子部が完成させていたが、文化祭では、初の挑戦となる。その報告を受けていた伸一は、こう言って励ました。
 「今日は中止になって、さぞ残念に思っているだろうが、六段円塔という極限の演技を二日も続けることは、あまりにも過酷です。事故も起こりやすい。むしろ雨が降ってよかったんです。明日を楽しみにしています」
 文化祭は、安全、無事故が鉄則である。事故を起こしては、取り返しがつかない──関西の青年たちは、そう深く自覚し、六段円塔への挑戦が決まると、絶対無事故を決意し、事故を起こさぬための工夫、研究を重ね、皆で真剣に唱題に励んだ。
 出演者も体操競技の経験者などを優先して集め、まず、徹底した基礎体力づくりから始めた。走り込みや腕立て伏せ、足腰や体幹強化のための運動などが、来る日も、来る日も繰り返された。屋外の練習場では、怪我などさせてはならないと、近くの壮年・婦人部が、自主的にガラスの破片や小石を拾い、清掃に努めた。
 仏法は道理である。御書に「前前の用心」(一一九二ページ)と示されているように、万全な備えがあってこそ、すべての成功がある。